ハラペコで目がまわってきた……。
○用語解説
『オフセットスクエア』──『アポカリプスソード』の真の力、“ルナティックラスター”を引き出し、扱える者の事。
※以下は『オフセットスクエア』に関する用語の解説。今後登場する用語もありますので、分からなくなった時はここを参照して下さいませ。
『アポカリプスソード』──“古代月”の力を秘めていると言われる伝説の魔剣の事。全部で四振り存在する。古代月と同色の刃を持ち、同名を冠するのが特徴で、“ルナティックラスター”を発動すると刃の輝きが増し、使用者に絶大な力をもたらす。
『古代月』──【ローレ・エルデ】の空に浮かぶ四つの月の事。紅蓮の月『ブロンケイド』、蒼穹の月『レイシール』、白銀の月『オルセディア』、漆黒の月『ファルナストス』が存在する。月と言っても宇宙にあるわけではなく、『オフセットスクエア』の目が届く範囲の空に浮かんでいる。常に四つの月が見えるのではなく、『オフセットスクエア』だけが知る特別な周期で、夜にだけ姿を現すという。月が見える夜のみ“ルナティックラスター”が使用可能。因みに、【ローレ・エルデ】に普通の月は存在しません。
「うわっ! 凄い、川もあるじゃないか!」
警戒心ゼロで飛び込んだ茂みの先には、滔々と流れる小さな川。
「ぷっはーー! やっぱり水は天然物に限るなぁ!」
ここは下流なのでそう美味い筈もないのだが、渇き切ったツヴァイの身体には今までに飲んだどこの水よりも美味く感じられた。
因みに言うと、この世界に天然以外の水は有り得ないのだが。
「おっ、木の実発見~! あっ、野イチゴ? も発見でありますっ! いや~水も食べ物もあって、これも日頃の行いの良さが実を結んだんだな」
因果応報とはこの事か~、と収穫したての木の実を口に放り込むツヴァイ。
「あれ……今の木の実、食べられる物だよな……?」
嚥下した木の実の不味さに一抹の不安が頭を過ぎる。しかし、それも三歩歩けば忘れた。
この男はどうしようもない楽天家だった。
手持ちは傷薬用にと残した布袋だけなので収納にも限界があるものの、ツヴァイは手当たり次第に木の実や果物をソレに詰め込んでいく。気付いた時には、大分森の奥まで入り込んでしまっていた。
「迷いの森だったりしてな、ハハハ」
森の薄暗さと静けさに、ツヴァイは不意に恐怖を覚えて身を強張らせる。ツヴァイは元々臆病な人間だが、そうでなくてもこの静寂は不気味だった。風と木々の語らいが微かに聞こえるだけで、そこに棲む筈の動物達の気配がないのだ。
(そこはかとなく嵐の予感……。早く戻ろ)
……ガサガサッ!
「ひひいっ!?」
不意な物音に情けない奇声を上げて飛び退るツヴァイ。風声鶴唳とはこの事だ。
しかし、臆病者にも怖いもの見たさは人並みに存在する。恐怖心と好奇心が鬩ぐ中、ツヴァイは亀にも劣る鈍重さで音のした方に歩み寄る。
「あっ……」
覗き見た、その先──。
そこに居たのは、天使。いや、そう見紛う程に美しい、一人の少女が居た。少女はツヴァイには全く気付かずに、せっせと周りの草花を摘んでいる。
(はぁぁぁぁ~~~、ヤ~バ~イ~か~も~~……)
少女が動く度に背を流れる、砂金を塗した様に艶やかな髪も。
割れ物を扱う様に踊る、白蝋の如く透明な指も。
浄玻璃の様に澄み切った、穢れ無く無垢な金の瞳も。
その全てが、あまりに美し過ぎた。
そして何がヤバイって、ツヴァイのいやらしい眼つきが一番ヤバイ。
(これは絶対お近づきにならなければッ! ……しかし……)
フェミニストである前にスケベな彼を躊躇させる光景が、そこにはある。
「これってピンチ? それともペット?」
少女の背後には巨大な芋虫を思わせる魔物が居た。その距離は、半歩未満。しかし、少女はまるでそれを許諾しているかの様に自然で、無防備。
対して後ろの魔物も、ただそこに居るだけで微動だにしない。
「よいしょ」
ツヴァイが頭を抱えていると、少女は意外と年寄り臭い掛け声をつけて立ち上がる。
──それが、きっかけだった。
未だ気付かない少女の背で、魔物の頭が音も無く割れる。四つに分かれた頭は胴体の半分近くまで広がり、少女を容易く丸呑みするだけの巨大な“口”になった。
「もしかして極めて緊急事態ですかっ!?」
ツヴァイは直感すると同時に茂みを飛び出して叫ぶ。
「後ろっ! 危ないッッ!!」
「え? え?」
少女は突然の出来事に何の反応も出来ない。だが驚いたのは魔物も同じ。僅かに反応を遅らせた魔物と少女との間にツヴァイが割って入る。
「君、動ける? ここはオレが何とかするから、早く逃げて」
その後オレも逃げるから、とは言わない。しかし少女はツヴァイが危惧した通り、無言のまま動かない。足が竦んでしまったようだ。
「チッ!!」
それは舌打ちではなく、掛け声だ。ツヴァイは少女を抱き寄せると、全身の力を両足に集約し地を蹴った。
短い飛翔。その足を、魔物の攻撃が掠めていく。
「どあっ!?」
「きゃあっ!」
着地は盛大に失敗。補足するが、別に魔物の所為などではない。抱かえた少女諸共、ツヴァイは地面を勢い良く滑った。
「ご、ごめん。大丈夫?」
「だ、大丈夫です……」
ツヴァイの問い掛けに硬い笑顔で答える少女。その表情から察するに、どうやらどこかを擦りむいてしまったようだ。
(くそ~、いきなり印象悪くなったじゃないか~)
心中で舌打ちしつつ、ツヴァイは未だに腰を抜かしている少女を座らせると瞋恚の炎を宿した眼で魔物を射抜く。
(名誉挽回をかけて、コイツは確実にこの手で倒す!)
ツヴァイは外套を翻し、身体ごと魔物に振り向く。腰に帯びた長剣を一息に抜き放ち、横一線に銀光が走る。
構えは正眼。魔物との距離は目測にして凡そ五歩。ツヴァイにとって、それは既に必殺の間合いだ。重心を落とし、機が生み出される瞬間を静かに待つ。
刹那、その場の風、音の全てが止まる──。
「ッ!!」
踏み込む足に迷いは無い。空を裂き風を巻いて肉薄する様は、宛ら白い光芒。
白銀が閃く。大上段からの一の太刀が魔物を死に体にし、二の太刀がそれを屠る。それで、勝負は呆気無く幕を下ろしたのだった。
「ふう~。……さてお嬢さん、お怪我はありませんか?」
一打ち出来なかった事に己の未熟さを噛み締めつつも、ツヴァイは座り込んだままの少女に手を差し出す。
ぐきゅきゅうぅ~。
可愛らしいと言えなくもない返事が、腹から聞こえた。
「こらっ! お前に訊いたんじゃないっ!!」
ドゴッ、とボディブローを炸裂させるツヴァイ。それが自分の腹だという事に気付いたのは、悶絶し、のた打ち回る最中での事。
「お、面白い方ですね」
セリフとは裏腹に、戸惑った表情で少女が言った。
(あ。めっちゃ引かれてる)
「あああのっ、ボクは別に旅の一人漫才師というワケではなくっ」
「ふふっ、分かってますよ。腹ペコの旅人さん」
笑顔で妙な称号を授けられ、複雑な表情で頷くツヴァイ。望み通りお近づきにはなれたが、理想とは程遠い形になってしまった。心中で意気消沈するツヴァイだったが少女はそれには気付かない様子で、
「本当にありがとうございます。助けていただかなければ、今頃私はこうして無事に居る事はなかったでしょう」
深々と頭を垂れ、感謝の気持ちを表した。瞬間、ツヴァイの理性は凄まじい羽音を立てて舞い上がった。
「あっはははは! いや! オレは人として当然の事をしたまでで、疚しい考えはちょっとだけでした」
つい本音が零れる。少女は一瞬怪訝そうに首を傾げるが、こういう人なのだろうと早くも納得し、姿勢を正して言う。
「申し遅れました。私はセレナ・フローズンと申します」
「へぇ~セレナかぁ……うん、うん、凄くいい名前だね、君にピッタリだよ。あ、オレはツヴァイ・ラスティードって言います。末永く宜しく」
「ラスティード……?」
ツヴァイの言葉から、一部分だけ復唱するセレナ。その様子に、ツヴァイは一気に身体の熱が引くのを覚えた。
(しまった……この『セイガル大陸』でも、兄さんの名は知れ渡っているのか?)
腹ペコより何より、今の彼に与えられた、忌むべき戒めの称号。
“英雄の弟”──形だけの『オフセットスクエア』。
いつか受け継ぐべきモノ。……だが今は、手に余るモノ。
「凄い……貴方は、白刃の剣聖とご血縁の方なのですか?」
(……英雄だもんな。知らない方がどうかしてる。少なくとも『エザヴェラ地方』の人間にとって、オレは……)
「……あぁ。アインス・ラスティードはオレの、実の兄だよ」
抑揚の無い声で答えた瞬間、どうしようもない遣る瀬無さが彼の胸を襲う。ツヴァイの存在を個人として認める者、認める場所は……もう何処にも無いのか。
「そうなのですか……やはり英雄の血は争えないのでしょうね。私は運がいいです。英雄に命を救われるなんて、そうそう無い事です」
瞼を閉じそっと胸に手を添え、感慨深げに呟くセレナ。しかしその言葉に感じた違和に、ツヴァイが口を挟む。
「英雄に? あはは、君間違えてるよ。英雄じゃなくて、英雄の弟に、でしょ?」
「失礼ですね、間違えてなんかないですよ」
答え、セレナはむ~とツヴァイを睨み付ける。その態度にツヴァイが目を丸くすると、セレナは再び目を閉じて続ける。
「──貴方のお兄様は世界を。そして、貴方は私を救って下さいました。少なくとも私にとって貴方は、英雄なのですよ」
淀みなく言い切って、僅かに頬を染めるセレナ。
「え、エイユウ? オ、オレが……?」
震えるツヴァイの声に、セレナは頷きで応える。途端、ツヴァイの眼から大粒の涙が零れ落ちた。比喩ではなく。
「ええっ!? あの、ツヴァイさん? 泣いているのですか?」
「うぅっ、そう、そうだよ泣いてるの! だってしょうがないじゃないかッ! 英雄だなんて言われたの初めてだし……セ、セレナさんの所為なんだから!」
「ご……ごめんなさい」
「ひっく……あ、謝らないでよ、嬉しくて泣いてるんだから…………はい、おさまったよ」
ぐきゅきゅ~~~ん……。
「…………」
鳴き止まないのが約一名。
(へ、変な……いえ、面白い人ですね……)
セレナは乾いた笑みを浮かべつつ、ツヴァイをそう評価した。
「あははは。運動したからしょうがないかな? どれ、もう一個あげよう」
笑って誤魔化すツヴァイが、布袋から収穫したての野いちごを取り出し口に放り込む。だが、それと同時にセレナが突然絶叫を発した。
「ああっ、駄目! 駄目です吐き出してくださいっ!!」
「!? お、おどかさないでよ、噛まずに飲んじゃったじゃないか」
「の、飲んじゃったのですかッ!?」
呑気に答えるツヴァイをよそに、頭を抱えワナワナと震えるセレナ。いや……震えているのは、セレナではない。
──ツヴァイの身体が、小刻みに揺れ始めていた。
「は……れ?」
ガクリと膝をつくツヴァイ。既に呂律も回らない。視界には靄がかかり、もう色くらいしか判別出来ない状態だ。
「……今ツヴァイさんが飲み込んだのは、毒草の一種です。即効性が強く、口にしてしまうとすぐさま身体が麻痺状態になって動く事も喋る事も出来なくなります」
「そ……みはい、れ……」
コクコクと頷くツヴァイ。セレナが小さく溜め息をつくが、それすら見えていないだろう。
「でも大丈夫です、解毒剤がありますから。服用方法がちょっと特殊なのですが、え~っと……あった! はい、この実を食べて下さい。これも即効性ですから直ぐに──えっ」
動けないツヴァイの口元に木の実を持っていくセレナが、何故か動きを止めた。その視線の先には、ツヴァイの手から落ちた布袋。いや、正確にはそこから零れ出た、セレナの言う解毒剤と同じ木の実だ。
「ひょっとして、これも食べました?」
コクコクと頷くツヴァイ。セレナが盛大に溜め息をつくが、やはり見えていないだろう。
「……服用方法が特殊だと言いましたが、特殊というのは服用手順の事なのですよ。元々この木の実にも毒がありましてですね、効能の関係上順序によって食べ合わせが悪くなり解毒作用がなくなってしまうのです」
「やあ……らめらろ?」
「駄目ですね。寧ろこれは最悪の状態ですから、自然回復には数日掛かるかと……」
セレナの下した宣告に、項垂れ沈黙するツヴァイ。哀れだ。
「私の住む村がこの近くにありますので、そこにお連れします。助けて頂いたお礼もしたかったので、丁度いいですね」
言って、セレナは自分の細い肩にツヴァイの腕を回して立ち上がらせる。
心身ともに健全ならば美味し過ぎる状況だが、身体に異常を来している今のツヴァイには少しでも彼女の負担を減らすように歩く事しか出来なかった。
(英雄かぁ……まだまだ、だな。はは、はははは……はぁ~)
為すがままの自分が余りに情けなくて、ツヴァイは密かにまた、泣いた……──。