忘れたい初めてのキス
国防のためという一点に関しては、ライネイルへの協力は仕方が無いと考える。もしライネイルの身に何かが起こり結界に影響が出るとしたら、真っ先に被害に遭うのは国民で、危険の最前線に送られるのは騎士仲間だからだ。民や仲間を守るためであれば、この身を差し出すのが騎士なのだ。それと、ライネイルが弱っているのも嘘では無い。よくよく見れば顔色は悪く、なんというか覇気が無い。
しかし疑問は尽きない。私とこの男の接点などそれほど多くない。しかも卒業してからは顔を見ることすらなかったので、数年前の学園時代のみなのに、どうして私が指名されるのだろう。
不本意に表情を強張らせる私の前と背後で、優秀なはずの魔術師たちがキャッキャッとはしゃいだ会話を繰り広げている。
「やはり夕食はテーブルに情熱の赤い花を飾るべきだろうか」
「雰囲気は大事です。ムーディーな音楽はいかがでしょう?」
「ライネイル様の肌に唇を付けるわけですから、丁寧な清めも必要です」
どうやら私は終業後に花で飾られた馬車で送迎され、湯浴みで全身を磨かれ、夜景を見ながらディナーをこなし、ムーディーな音楽の鳴るライネイルの部屋で、ベッドに横たわるライネイルにお休みのキスをするらしい。
当事者を放ったらかしにして交わされる会話は、呪いへの対処方法ではなく、新婚夫婦の床入り準備に聞こえてしまうのは何故だろうか。このままでは「ライオネル様、初めてのロマンチックな口付けの演出」が決定事項にされてしまいそうで腹立たしい。
ゆらりと立ち上がって背後に控えるレファリン様をギロリと睨む。私の苛立ちを察してビクッとなるレファリン様と、ついでに隣のロナンレースも腰を引く。魔物討伐の前線に送られる騎士と違い、守られることが辺り前の魔術師が荒事に慣れていないのは当たり前である。視線だけで2人を黙らせ、そのままの瞳を目の前のライネイルに向けるが、この男は平然とした顔のまま「どうかしたのかユフィ?」と訪ねてきやがった。そんなライネイルの声を掻き消すように、ドスの利いた声を喉の奥から絞り出す。
「レファリン様。ライネイル様のこの後の予定は?」
「え!?……えぇと、書き上げた論文の最終確認を行われます。その後は修復依頼を受けていた魔道具の調整と、ユフィ様の出迎えのための用意ですが…」
「論文の期限は?」
「明後日でございます」
それを聞いたのと同時に足が前に出ていた。ダンッと行儀悪く机に片足を乗り上げてライネイルのネクタイを掴んで腕力で引き上げると、突然の私の傍若に驚いて目を丸めるライネイルの唇に、殴るかのようなキスをした。
さすがのライネイルも私のこの行動は予測できなかったようで、さっさと手を離すと、転がるように背後の椅子に座り込み、すぐにハッとして「うがい薬を!」とロナンレースとレファリンのどちらかに指示を飛ばす。2人が慌てたようにうがい薬がある場所に向かおうとした時だった、受け取るために伸ばされていたライネイルの腕が力なくダランと垂れ、あっという間に眠りの世界へと落ちていく。数秒にも満たない寝入りは、呪いのせいで限界まで眠りを我慢していたからかもしれない。その辺は詳しくないが、これで今夜の仕事は完了だ。
「ライネイル様!うがい薬です!」
「薬を飲まれた後の歯磨きはしないで大丈夫なのでしょうか?」
「どうしようレファー。ライネイル様が起きたときに、不潔なまま寝付いてしまったと落ち込まれてしまう」
「とりあえず身だしなみ用品一式を揃えておきましょう。すぐに清められるように水桶にたっぷりの水を……」
自分のために右往左往する部下を残し、ライネイルは座ったまま気持ち良さそうな寝息を立てている。その寝顔は腹立たしい程に安らかだ。
土足のまま乗ってしまった机に詫びて、どさくさにまぎれて部屋を抜け出す。かなり強引な手段に出てしまった自覚はあるが、あの小っ恥ずかしいコテコテの初めてのキスの演出に付き合わなくて済むのなら、しでかした甲斐はある。
最初に学園時代の対応で良いと言ったのはライネイルだ。咎められることは無いだろう。
王城の長い廊下を風を切って歩く。ライネイルの研究室のある場所は魔術師が多いため、騎士の私に向けられる視線は好意的では無い。早く通り抜けてしまおう。トトロポロッポに出てきた妖精も、役目を終えると流れ星のように消えてしまうと書いてあった。
頭の中に童話の挿絵を思い浮かべ、妖精がキスしていた場所がトトロポロッポの額であったとを思い出してしまい、足を止めてその場に蹲る。そうだ、妖精は確かに額にキスをしていた。ライネイルもその手下共も、キスが必要だと何度も言っていたが、一言も唇にとは言っていないし、犯人が5歳の女の子なら、挿絵通りの願掛けをしたはずだ。
ライネイルが驚いた顔をしていたのは、思っていたのと違う場所にキスをされたからかもしれない。
暫く蹲って自分の失態を嘆き、もう済んでしまったものは変えようがないから仕方がないと、項垂れたまま立ち上がる。とぼとぼと足を進めて向かうのは、本来の私の居場所である騎士塔だ。
城の敷地内の中枢部にある魔術塔とは違い、騎士塔は敷地の端に4つ存在して、有事の際にどこから攻められても対応可能なように造られている。その中の東塔が、私の現在所属している部隊の拠点だ。
「おーい、ユフィ、魔術師野郎に呼び出された理由分かったか?」
「レーヴェル副隊長。……その、大した理由では無く、級友の顔を久しぶりに見たので、近況を聞きたかったそうです」
「はぁ?そんな理由で多忙な騎士を呼び出したのか?奴等は相変わらずの傲慢さだな」
騎士と魔術師は犬猿の仲なので、呼び出された私が何を言われたのか心配してくれていたらしい。到着早々に副隊長のレーヴェルに声を掛けて貰ったが、真実は言えないため、道すがら考えておいた適当な理由を説明すると、彼は面白くなさそうに頭を搔いた。
「それにしても、お前があのライネイルと顔見知りだとは知らなかった」
「学生時代に何度が顔を合わせたことがある程度です」
「それだけの相手をわざわざ呼び出すか?それで級友になるなら、同学年のオレはアイツの大親友だ」
そんな話を聞きながら、毎日の訓練を行う演習場へと足を踏みいれる。騎士団の中では温和とされている副隊長ですら魔術師相手には態度が悪いので、ライネイル達の策通りの迎えを阻止したのは正しい行動だったようだ。
自分がムカついたからという理由はさておき、魔術師が用意した馬車に堂々と騎士の私が乗り込むのは、2つの組織の何らかの火種になりかねない。やはりライネイルには私以外の他の誰かを眠りの妖精にするように説得しよう。まぁ、もうすでに先ほどの無礼のせいで憤慨して、「アイツは役割から外す!」と宣言しているかもしれないので、そうなっていたら嬉しい。
演習場に到着すると、グラウンドの中央で模擬戦が行われていた。派手な立ち回りで目立っているのは、外見も派手なユイルだ。学生時代からの私の同期で、何度も一緒に修羅場をくぐり抜けてきた戦友でもある。
木刀を上から振り切ったユイルは、相手が攻撃を躱そうとして踏み込んだ足が着地する寸前に、己の左足で横に蹴り払った。軸足にするために体重を乗せた足を払うのは、中々の嫌味な攻撃だろう。踏ん張りが利かない相手は地面に転がり、倒れ込んだその顔面に木刀の切っ先が突き付けられる。
模擬戦はユイルの完全勝利だ。観戦していた周りの野次がワー!と歓声を上げる。ユイルは当たり前の態度で自分を讃える声を聞き、突き付けていた木刀を引いた。
「圧勝だねユイル」
「副隊長、と、ユフィ!どうよオレ様の剣捌きは」
「その自画自賛がなかったら、素直に褒められると思う」
「勝利を誇るのは勝者の特権だろ。つべこべ言ってないで褒めろ」
「どうしますか副隊長」
「倒れた相手に手を貸して起こさなかった時点で褒める必要な無い」
「嘘だろ!?そりゃないだろ副隊長!勝ちは勝ちで、騎士は強いことが全てだろうが!」
「お前はまず、目上の人間に対する礼儀を覚えなさい」
上下関係が厳しい騎士団の中で、どうしてかこいつだけはいつも態度が大きい。それは他の隊員と比べて圧倒的な格闘センスを持っているからだろう。つまり強い。
外見だけじゃ無く、功績も派手なこの男に模擬戦で勝てるのは、部隊の中でも数人しかいない。そのせいで、入隊以来、ユイルの騎士道が全く育っていないのが、我が騎士団の目下の悩みだろう。
副隊長は深々とため息を吐いた。
「お前、後で説教だからな。片付けが終わったらオレの執務室へ来い」
「え!?嘘だよな?練習終わったら新人に装備の手入れのやり方を教える約束してるんだけど」
「……そういう所だけ律儀なよな、お前は。分かった、今日は見逃そう」
「さっすが副隊長!分かってるぅ!」
そう言った瞬間にユイルは胸ぐらを掴まれて、ドスの利いた声の副隊長に「そういう所を改めろって言ってるんだよ、このくそガキ」と凄まれて、若干反省した顔をしていた。
降参したように軽く両手を挙げたユイルは、話は済んだとばかりに副隊長から私に視線を移すと、いじめっ子のような目を細めて笑う。
「んで、お前は何をした訳?呼び出されたんだって?誰から?」
「顔見知りだ」
「それだけの相手がわざわざ騎士を呼び出したりするか?」
「相手が貴族だと、こちらの都合はお構いなしなのが普通だろ」
「まぁ、それを言われたらそうだな。でもお前は一応男爵家の出だろ?オレみたいな根っからの平民からしたら、お高いお貴族様だぞ」
「そう思うならもう少し敬え」
「努力する」
「するつもりも無い癖に、調子づくな」
流れる汗を服で拭ったユイルは、駆け寄ってきた新人に使用済みの木刀を渡す。ユイルは我が騎士団の問題児であることは間違いないが、どうしてか愛され要員でもある。屈託の無い笑顔で新人に手を上げて礼を伝えると、そのままその手を私の頭の上に置いた。
「んで?呼び出しは誰から?」
「またその会話を始めるのか。しつこいぞ」
「だって気になるだろ。他の奴等が、ついにユフィに婚約の打診でもあったんじゃないかって推理してたぞ。んな訳ないのにな」
からかうことが目的だと書いてある瞳が楽しそうに細められる。ニィッとした口の端から覗く八重歯が憎らしい。
ユイルの言うとおり、ほぼ平民と変わらない田舎の貧乏男爵の三女なんぞにわざわざ婚約の打診をするような好き者はいない。いたとしたら後ろめたい事情を抱えているか、正妻ではないかのどちらかだろう。
物心ついたときから自分の貴族としての待遇はあまり良いものでは無いと理解していたが、こうも直接的に弄られるとムカつきはする。
頭の手を払いのけて、手ぐしでサッと髪型を直す。
「お前の言う通りだ」
「やっぱそうだよな!お前はお貴族様の妻よりも、オレの隣で剣を振ってる方が似合ってるって。マジで!」
「そうではない」
「ん?ん?どういう意味だ?」
「だから、お前の言う通りだと言ってる」
多くは語らず、意味深に唇の端をつり上げた。
仲間内での嘘は信頼を削ぐ行為のため御法度だが、ミスリードくらいは許される。
私の返答にユイルは不思議そうに目を丸くして瞬きを繰り返し、何かを察したのか表情を強張らせて、眉間に凄い皺を寄せた。
「は?マジで婚約の打診?」
「口外御法度と言われている。そういう訳で、これ以上は何も話せない」
「ちょっと待てよ!そういう訳にはいかないだろ?だ、だってほら!オレ達は仲間だろうが」
「必要があれば隊長と副隊長には話す」
「オレは!?」
「お前が隊長か副隊長に就任していないのなら話さない」
これでこの話は終わりだと釘を刺すが、ユイルは納得が出来ないようだ。まだ何か言っているユイルに、「更衣室まで付いてくるつもりか?」と言って置いていく。建物内に入る前に演習場を振り返ると、ユイルがまた何かやらかしたのか、副隊長のレーヴェルに胸ぐらを掴まれているところだった。ユイルが副隊長をよく怒らせるから、私も副隊長の癖が移って、つい手が出ちゃうんだよな……と考え、つい先ほどしでかしてしまった光景を頭に思い浮かべてしまい、壁にゴツンと頭をぶつけておいた。
……あれ、私の初めてのキスだったのに……
思い出したせいでこみ上げてくる羞恥心に胸が痛い。服の上からギュッと心臓の辺りを掴んで、苦しさをやり過ごす。
初めてのキスが物語のように王子様に捧げるものでは無いというのは、幼い頃から分かっていた。だが、自覚は薄いけれど、やはり人並みに憧れはあったのだと思う。それが胸ぐらを掴んで、自分から強引に奪ったのが最初とは、なんだかやりきれない。
フーッと息を吐いて気持ちを落ち着かせる。忘れてしまおう。どうせ、もうお役目ご免になるのだから。だったら、潔癖からして多分向こうも初めてだろうキスを強引に奪ってやったことを、してやったりと思うまでだ。
……はぁ、今日の事は忘れて、今夜は早く寝よう…
心地よい眠りにつけそうな気はしないから、せめて深い眠りにつこうと、日課の鍛錬のメニューを増やす。額から汗が流れ落ちるほど体を疲れさせてはみたけれど、目を閉じるとどうしても脳裏に眠りの妖精の話が浮かんできてしまう苛立ちに、ベッドの中で1人舌打ちをしてしまった。