寒昴にもなれなくて
拝啓、上様。
年が暮れて益々肌寒くなる一方ですが、御身体は如何でしょうか?
正月も目前の12/30、私は東京に飛びました。いつもと同じLow-cost carrierです。全日本空輸や日本航空では経験できない、簡素で粗野なサービスが私は好きかもしれません。これは、悔し紛れとかではなく。
滑走路から飛び立つ飛行機の窓から見える新千歳の平野には、無粋にもゴルフ場と太陽光発電施設が面積を占めています。旧時代と新時代の負の遺産を横目に、私の乗るエアは白色の雲へ突入しました。
どうして私が大晦日に、親戚もおらず縁のない東京へ向かうのかというと、ただ旅人になりたかったからです。稚内の実家に帰ろうが、一人暮らしの札幌の部屋で寝正月を過ごそうが、それはどちらも寂しさは感じません。なんとなく独りになりたかったから、私は東京へ向かうことにしたのです。
薄い雲を抜けるとそこはもう雪景色ではなく、海原とか、綿畑とか、そう表現したほうが良い光景が広がっていました。飛行機は先程までの緩い旋回と急傾斜の上昇を止め、水平飛行に移りました。背中にかかっていた圧力は開放され、代わりに尾骶骨がLCCの安いシートに食い込みます。ここから2時間、この鈍くそして酷く疲労の貯まる痛みに耐えなければならないのかと思うと、少し憂鬱です。ベルト着用のサインが消え、機内のあちこちからカチャカチャという音が鳴りました。
通路を挟んで向かいの乗客は、大抵が揃いも揃って窓の外を眺めていました。そうでないのは、離陸の揺れも気にせず眠りこけていた老人くらい。私は彼らに倣い、小さな丸い窓から外を眺めました。ですが、私の座る側の窓は正面に太陽があり、眩しすぎて誰も遮光を開けていません。だから、それに気がついたのは私が一番初めだったと思います。
雲海──あまり厚みは感じない──の上を、龍が飛んでいました。翼は見えず、また大きな手足もない。爬虫類のような鱗をし、鹿のような角を持つ。唐風の絵にも描かれるような東洋の龍です。
私は唖然としました。
ここ最近の騒動、それこそ国家規模で社会も政治も経済も転がり回るようなニュースを思えばUMAくらい大したことじゃないのかも……──そんなことが一瞬脳裏に浮かびますが、やはり窓から見えるこの光景は異常です。龍、それはやはり架空の生物なのです!
生き物がこんな高度を飛ぶなんて、それもあの奇妙な形です。何トンもあるだろう巨躯が悠々と空を泳ぐのを見ると、だんだん不思議な気持ちになっていきました。
私が気づいてすぐに、周りの乗客も異変に騒ぎ始めました。機内の騒ぎが加速していく中、アナウンスが入りました。「ご搭乗の皆様──只今当機の進行方向右側にて巨大な生物らしきものが確認されております。航空管制及び自衛隊、警察、政府各所に確認を取っており、──」云々。
機内に緊張が広がりますがしかし、龍はこちらに興味を持つ様子もなく、しばらく遠方にその姿を見せているのみです。そして、すうと雲の中へ隠れ、見えなくなってしまいました。
依然、乗客はそわそわと、畏れと怯えを持ってざわめいていましたが、数分してまたアナウンスが入り、予定通り東京──成田空港ですから正しくは千葉県ですが──へ降り立つこと、機体に異常のないことが伝えられると、次第に落ち着きを取り戻していきました。フライト後半にもなると、他の人たちはさっき見た光景について、得難い経験をできて良かったとでも言うかのように、賑やかでした。
成田に到着してからは、まあ、普通の東京と言った感じです。特に事件も事故もありませんでしたから。ただ……、心は少し冷たく、そして痛かったかもしれません。そう、ここでは誰も私を知らないし見ないのです。ここは寂しい街です。
預け荷物のキャリーバッグを受け取ったあと、巨大なトランクケースを持った外国人観光客を縫って、京成線アクセス特急に向かいました。車内は空いていて、不自由なく座席を使えます。私は少し大きめのキャリーバッグを足の間に挟み、座席に落ち着きました。ヒーターのお陰で暖かいベンチは、LCCのシートよりも随分快適でした。
さっき見た龍のことで、私の心はうずうずしていたのですが、私とインタラクションしようという者はいません。それはもちろん当然のことです。しかし、やはり不満は募っていく一方でした──。
京成線から直通、浅草駅で都営地下鉄銀座線を降り、スカイツリーの見える街へ足を踏み出します。大きな通りへ出るとすぐに、浅草寺の雷門が見えました。東京の見栄と資本が牙を向く傍で、時の潮流に洗われ昇華された枯木寒巌が保たれているのを見ると、人の感性というか慣性というか……とかく悪いものでもないなと思います。
通りの信号が青になったので雷門へ向かいましたところ、右手に夕陽を背景にして東京スカイツリーが忌々しくも台東区を彩っていたので、懐からミラーレス一眼カメラを取り出しファインダーに収めました。なんともまあ、美しく腹立たしいものでしょうか。
信号が赤になる前に道を渡りきって、仲見世通りの裏手を抜けようと雷門を左寄りでくぐったのですが、いるわいるわ、観光客が所狭しと詰まっています。雷門の辺りも人がわんさかいたのですが、彼らは皆、仲見世通りの方を通るものと思っていました。ですから、裏手の、古着屋とかアイス屋が少しある程度の路地が、歩くのも困難だとは思っていなかったのです。キャリーバッグを引っ掛けないよう、人にぶつからないよう、注意して進まなければなりません。仲見世通りの裏を抜ける頃には、遣いすぎた気が擦り減ってしまっていました。
仲見世を抜けると私は左に向かうので、浅草寺の人の流れから抜けられますし通路が広くなったこともあり、幾分か楽に進めました。路地を通り花屋敷沿いにキャリーバッグを転がすと、私の拠点、8人相部屋のホステルが見えました。愚かにもホテルを確保せずに東京へ来た私は、つい先刻、京成線に乗っているときに宿を探していたのです。それでたまたま、ここの部屋が予約できました。立派でなくても安い宿が見つかっただけ僥倖と言うものでしょう。フロントでチェックインして3泊分の料金を支払います。すると、私の財布はなんともひもじくなってしまいました。
明日はATMに行かないと。──そういう憂鬱なことを考えていると憂鬱なものを呼び寄せてしまうのかもしれません。──憂鬱というのは磁石のようなものですから。
エレベーターを上がって部屋に入り、自分の借りたはずのベッドを確認したところ、私の番号が振られているベッド──入口近くの二段ベッドの下段──に他人の荷物が置かれているのです!ああ、どうしましょう、これは下ろしても良いものでしょうか……ですが何泊一緒になるか分からない方たちです、険悪な雰囲気にはしたくありません。一先ず一階のフロントに戻り、スタッフの方に確認することにしました。
「もし……私のベッドに、他の方のカバンが置かれているのですが……なにか手違いでしょうか……?」と問うと、受付の方は、悩まし気な顔をして、どうしましょう……?と返してきました。ええ、そうですね……。どうなさるのでしょうか?
その方曰く、8人部屋のうち私以外の7名はグループなのだそうです。ですから、貸し切りのつもりで私のベッドまで使ってしまったのでしょう。他に空いているベッドがあればそちらを使うよう受付の方は仰られましたが、部屋に戻って確認してみましても、どのベッドも荷物なりなんなりが置いてあります。仕方ありません、荷物の持ち主が帰ってこられるまで待って、退けて頂くよう相談してみましょう。そう思い、私のキャリーバッグは端に置いて出掛けることにしました。しかし……放置されているのが海外の、それもアジア系の菓子袋なのですが、言葉は通じるのでしょうか……?
時間は17時、夕方とはいえ、もう日は随分傾いています。
荷が減った私は、少し足も軽やかに気がしたのですが、ふと痩せてしまった財布のことを思うとつい暗く、キリキリと痛むような気分になってしまいました。銀行から降ろすにしても、もう残金は僅かなはずです。そして、私は気づきました。
私がこの街と関わるのは、貨幣を通じてのみであり、他にはありえないのだと。無一文になったとき、私は真に孤独になり、もはや露ほどもこの街の資本を利用することも、サービスを受けることも叶わないのです。
今、雨が降っていたならば、私は涙を流していたでしょう。あるいは晴れていたならば、感激していたでしょう。ですが、空には美しい月が浮かんでいます。lunatic──それに相応しい顔を、私は浮かべていたと、記憶しています。
朝食と昼食を兼ねた食事のことを一般にブランチと呼びます。では、昼食と夕食を兼ねた場合、なんと呼ぶのでしょうか?ランナー?いえ、それは運動じみていて良くありません。食事とは本来静かでないといけないのですから。やはり、ディンチなどと呼ぶのが収まりが良いでしょうか?
──とかく私は、遅めの昼食か、早めの夕食を取ることにしました。折角の旅路なのです。コンビニ飯などという無粋な真似はしたくありません。定食屋、それも小綺麗でなくて、適度に安価で、地元の人も入るような店を探して歩き回ります。そうやって探していると、路地にビニルの幌を伸ばしたテントで酒を振る舞うような居酒屋がいくつもありました。しかし、一人旅の身で、それもこんな時間──まだ日暮れすぐ、17時すぎです──から酒をかっ食らうのは如何なものでしょう……そう自制して、他に視線を遣ります。……ふと、カツ丼の店が目につきました。店先のショーウィンドウに刺身や親子丼、カツ丼などの食品サンプルが並んでいます。さっきグーグルマップで調べたところによると、ここの評価はそこそこ高かったはずです。店構えの低廉さが意外なほどには。ええ、ここにしましょう。なにより空腹のこの身が、胃にガツンと来るものを欲しているのです。
軽い引き戸を開けて店内に入ります。中には、調理をしている店の夫婦と、カウンターに酔っ払いが一人。カウンター席の前には個人の名前入りの酒瓶がいくつも置いてあります。きっと夜は居酒屋として営業していて、地元の方が何人もボトルキープされているのでしょう。そして、顔を赤らめているこの方もその一人かと思われます。
大将が今の時間はカウンター席だけだと言うので、酔っぱらいから一番遠いカウンター席に座ります。酔っぱらいとは、最も面倒な要素の一つですから。
では、カツ丼を一つ──料理を注文すると、女将さんがお冷とお漬物を持ってきてくださいました。その後、料理が出てくるまでは少し、そうですね、15分ほど時間がかかりました。その間は、本を読んだりテレビの将棋中継を見たり、隣の酔っぱらいと大将の駄弁を聞いておりました。これがまあ思ったよりも面白くて、少し聴き入ってしまいました。
大抵は他愛もないような話です。道場の誰某さんはもう70にもなるのにまだ衰えない、そろそろ俺にも勝たせてくれとか、何処其処さんの店はテレビに出過ぎなんだよずっと客並んでんじゃねぇか、あいつ小心者なのによぉとか、本当にどうでもいいことばかりで、挙げ句には「ネットだかなんかを見てみんなうちの店に来んだよ。でもよ?昼間っから一時間そこらも並んでる暇があったら、その時間をよおめぇさん、別の用に使ゃいいじゃねぇかって思うんだよ」なんてことを大将が仰るのです。あの、私だってインターネットで見かけてフラっと入ってきた余所者なんですけどね──……。
そんなことを考えながら彼らの会話に耳を澄ませます。内容に価値があるわけではありません。ですが、そこはかとなく、私を惹きつけるものがそれにはありました。繋がり、インタラクション、生きるということ、それがここにはありました。無個性?寂しい街?とんでもない。彼らにはそれぞれ輝いた人生があるのです。私が特別だと、こんなもの世界のどこを探してもあるはずがないと思い込んできたあらゆる経験と同質かそれ以上のものがここの人たちにもあって、一人ひとりが莫大な感情に衝き動かされていて、そして……ああ…………っ!!
そう、淋しかったのは私、この街に孤独を持ち込んだのは私だったのです……!
私はすでに布団に包まっていました。ああ、なんということでしょうか?淋しさを求めてやって来たこの街で、この街に孤独なものは私を除いていないということに気づいたのです。私のベッドを占領していた若者たちの荷物は既に退けました。ここは私のベッドなのです。それがルールですから。それが契約というものですから。
若者たちはまだ帰ってくる気配はありません。荷物とともに床に放置されていたゴミ。その中に、ディズニーリゾートのチケット引換券がありました。彼らは親友同士でこの街を楽しんでいるのです。私はどうでしょう?飛行機、ホステル、飲食店、ネット──私の総ては、ここではシステムによって実行されます。そこに人の入り込む余地はありません。なぜなら、私に交換価値以外の意味を見出すものがこの街にはいないから、或いは私自身がそれを作り出そうともしなかったからです。私は気づきました。本当の孤独が何かということを。死ぬというのがどんなだろうかということを。
微睡みの中に、蛍光ランプの明かりと足音が入ります。私はあのあと眠りについて──そうです、おそらく、相部屋の彼らが帰ってきたのでしょう。今は何時でしょうか?寝る前に最後に時計を見たのは21時頃だったはず──今は24時を回った頃でしょうか?それよりずっと深夜だったかも知れません。──心配していたこと、つまり相部屋の方たちとのトラブルというものは起こらなかったようです。ええ、なによりも良かった……人と衝突するのは、システムに定められた以外のインタラクションは、あまりにも危険すぎますから……。
しかし……、私は気づきます。私を保障するシステムこそが、私を孤独足らせているということに。そんなものがなければ──つまり貨幣や公共サービス、あらゆる大衆的なシステムがなければ──ここに来るまでに私はどこかで孤独を脱する必要があったのでしょう。ですが、持たざる者を支える仕組みは、却って持たざる者であることを、私に許容してしまったのです……!
翌朝、目を覚ましたのはまだ外が暗く、しかし既に街が動き始めていた──いや、動き始めているはずの時頃でした。大体6時半過ぎでしょうか。
私は、何か違和感に気づいて身体を起こしました。私が何を感じたのか、そのときは分かりませんでしたが、後々思うに、きっとそれはカーテン越しに差し込む光がなかったせいなのでしょう。いえ、日の出前なら本来、外から光が差し込むはずなんてなくて、夜でも街が眠らなかった今までが異質だったと言うべきなのかもしれません。それに、その時の部屋はきっとひどく寒くて、湿っぽかったはずです。
ともかく、なにかに気づいた私は二段ベッドの下段から這い出て、外に行くことにしました。相部屋の若者たちは誰一人起きていません。
廊下に出ると、そこは真っ暗でした。階段すらも電気がついていません。停電でしょうか?階段を降り、1階に向かいました。一階の昇降口からゆらゆらとオレンジ色の光が見えました。蝋燭でも使っているのでしょう。受付の前の狭いホールには所狭しと机やカウンターが並んでいて、この時間は朝食のパンやコーヒーの芳醇が香っているはずでした。しかし、そこにはキャンドルライトに照らされて、この時間には似つかわしくないほど多くの客がいるのでした。はじめ、彼らは停電で不安になってここに集まっているのだと思っていました。ですが、どうも少し、様子が異なるようなのです。そう、まるで昨日の機内のような──
そこで私は、その理由に、ホールを騒がせていたものがなんだったのか気づきました。玄関の外、昨日までは窓から東京下町の路地が見えていたはずです。花屋敷の塀がそびえ、電柱が乱立し、この街のただでさえ狭い空に東京スカイツリーが影を落とし……、──ですが、薄暗い中でもはっきりと分かるくらい、あまりにも異質な光景がそこには広がっていました。
崩れ落ちた外壁、剥き出しの鉄骨、苔生したコンクリートブロック、植物に突き破られ無惨に砕けたアスファルト────ポスト・アポカリプスと聞いてはじめに想像するような、或いは終末世界とでも表現するような、文明が滅び打ち捨てられたようにしか見えない、朽ち果てたビル街の姿がそこにはあったのです……!!──いや、これはもはや森林と言うべきなのでしょうか、至る所に巨木が、白みだした空を背景にその姿を浮かべています。
ひたと壁を触ってあることに気がつきます。その感触が、壁紙でもコンクリートでもないのです。やたらとゴツゴツしていて、でも石や金属のようにヒンヤリするわけでもなくて……──しばしの逡巡と共に目を凝らしたら、すぐにその正体はわかりました。木です、樹皮だったのです。そう、この建物は半ば巨木に呑み込まれていたのです。間近に見て、その異質さに驚きます。
直径が50cm、木に手を回して向こう側で手が触れられないくらいの木で大木と呼ばれ、径が1mも2mもあれば巨木と言って差し支えないでしょう。ですが、壁を突き破り建物の中に樹皮を晒したそれは、あまりにも大きすぎて径の推定すらできないではありませんか。そのレベルの巨樹たちが幾本も幾千本も、街を、建物を呑み込みながら、この街に繁茂しています。
私はなにも考えられずに、ふとホステルの玄関から外に出ました。空はずんずん明るくなっていきました。私の足はそれと同調するかのように早くなり、遂には走り出していました。白い息が淡くて深い夜明け前に溶けてゆきます。薄着で飛び出したせいで風が体中を巡りました。
突如、前から暖かく眩しい光に当てられて、私の足は留まります。思わず手を顔の前に翳して、正面から昇る陽に呆然と立ち尽くしました。私のいる路地にも陽の光が満ちて、辺りが鮮明に見えるようになります。朝霧が燦めいて、それはもう幻想のように美しかったと記憶しています。青いポリバケツ、千切れた電線と電柱、植木鉢、窓ガラス、自動車、チャリ、商業ビル、民家、電光看板…………どれも割れて錆びて壊れて朽ちていました。ですが…………、どうしましょう、適切な表現が思い浮かびません……。ええ、もう諦めたほうがいいのかもしれませんね、他の言葉では表わせそうにありませんから。そう、ただ、ただ!美しかったのです!
私はあの景色をなによりも愛おしく思っております。何もかも全てが答えに見えて、私は彼らを肯定することも否定することもなく無防備に受け止めました。脚は動きません。けれども竦んではいなかったはずです。私はすべての行為──見ることも匂うことも息をすることさえ──を意識していて、それらはオーバーフローを起こしていました。動けなかった──いや動かなかったのはそのためです。
街中から幾筋ものナニかが立ち昇りました。くねくねと細長いものです。実際には相当大きいであろうそれらが、遠くに小さく見えました。それが何であるのか、私はすぐに気が付きました。忘れるはずもありません、昨日見た龍が、そこには何頭も泳いでいるのです。
彼らは巨樹たちの麓から纏わるように出づるのち、細氷のような燦きを残して真っ直ぐ天へ昇ってゆきました。雲へ消え、あるいは青天に霞んだあとのことは分かりませんが、きっと今も雲の上を悠々と泳いでいることでしょう。
どれだけ呆と突っ立っていたことか分かりません。気づけば私以外にも何人かが、家屋やビルから出てきました。皆驚きの顔をしていました。それもそうです、なにか、途轍もないものが変わってしまったのですから。……そうです、これから私は……私たちはどうすれば良いのでしょう。帰りの飛行機は?仕事は…………?
くるくる頭が回って、そこでかくんと思考が停まってしまいました。視覚情報が霞んできて、それが底をついて今度は少し見えるようになってきた頃、周りにも似たような人たちがいるということに気がつきます。なぜかスーツを着て、玄関で棒立ちに固まっているのです。異変を知って、それでもなお彼らはいつもと同じ、黒い軍服に着替えたのです。胸がチクリと痛みました。私はそれを見てようやくするべきことがわかったような気がしました。人の頭は、プログラムも学習もされていない未知に遭遇したとき、ロボットみたく停止やエラー、継ぎ接ぎのデタラメを吐き出すようなことはしないだけの能力を持っているはずです。例え大きな岩があろうとそこを避けて流れ続ける河のように、脳は思考し続けられるようできているのです。棒立ちになってはいけません。そう、私は考えなければならないのです。
私は現状を把握することから始めました。インフラは、見ての通り壊滅です。これがどれくらいの規模かは分かりませんが、国の救援が、例えば自衛隊のヘリや軍用車両がここに届かないくらいには大規模なものなのでしょう。だとすれば大局的な判断は現時点では下せません。
……そもそもここに留まることが不適切なのではないでしょうか?この災害の範疇から出られれば、いえ、支援活動が行われているくらいの場所まで向かうことができれば、なんともならないことはないでしょう。
私は走ってきた道を歩いて戻ることにしました。慌てて来たものですから道を覚えているわけではなかったのですが、角を曲がったりはしていませんでしたから、道なりにゆけば見覚えのある路地に入りました。道端には未だ呆然とする者、何度も携帯電話を操作する者、多々おりました。それを見て、私もポッケに入れていた携帯電話を開きましたが、どうも圏外のようす。電話回線も繋がっていません。
ホステルの自室の中には、さすがにあの若者たちも騒ぎに気づいて起きたのでしょう、誰もいませんでした。キャリーバッグに衣類、その他いろいろ詰め込んでザックを背負いました。幸い、昨日買っていた菓子パンが2つと、おにぎりが3つありました。二食分を思って用意していたのですが、まあこれで1日は保つでしょう。
エレベーターは使えませんから、キャリーバッグを持ち上げて階段を降ります。時々車輪を階段の縁にぶつけながら下り、頭を抱える若者たちの間を抜けて外に出ました。私のような国内観光客ならともかく、ここにも多く泊まっている外国の人たちはえらく大変でしょう。言葉だって不自由でしょうに。
細い路地をキャリーバッグを引いて歩くと、普段のアスファルト舗装が如何に有り難いものだったのか実感します。ひどくヒビの入ったこの道──いえ、もはや瓦礫と瓦礫の間と言うのが正しいでしょう──では、キャリーバッグは車輪を転がすというより引き摺ると表現したほうが良いように思われます。
廃墟となった浅草寺の境内に出て、スカイツリーのあった方角を確認します。というのも、そこはすでに鉄の塔はなく、天を衝かんとする一際大きな巨樹が密生していたのです。しかしそれも、この街ではもはや辺りを覆う非常識のいち背景でしかありません。ともかく、そちらの方角はここからちょうど真東のはずです。次に、どの方向へ向かうかということです。
私は、この非現実的な事象は、東京という現実を超越した現実が引き起こしたものだと感じておりました。仮想と空想が資本となってスタックしたのがこの街です。であるなら、その堆積物が崩壊し反転することも道理のように思えるのです。児童のままごとが、いつか終わりを迎えるように。つまり爆心地は東京であり、東京に集う私たちであり──この街の外は案外普通なのではないかと、そう思えるのです。
私は、しかし、南西へ……つまり山手線であり、千代田区であり、東京のより中心地へ向かうことに決めました。大晦日の冷え込む朝、“何か”を失った沢山の人々が街の至る所で座り込み、虚ろに立ち尽くし、或いは私と同じように何処かへ向かって歩いていました。皆、籠から放たれた小鳥のように、初めて使うその翼で藻掻いていたのです。
私が直感に反して都心に向かうことに決めたのは、一つはその方が救援が早いのではと思ったためです。街にどの規模でこの異常が起きているか分かりませんが、海に木は生えませんから、船が来られないということもないでしょう。それに、皇居の周り、霞が関や永田町があるような地域なら政府要人や国の重要人物もいますし国の中枢なのですから、なによりも早く復旧が進むでしょう。……というか、都心に集中していた行政は機能しているのでしょうか。
みんな考えることは一緒なのか、どこか目的を持って歩く人たちは私と同じように都心に向かっていて、気づけばそれは行進のようになっていました。キャリーバッグを牽く私は彼らよりも幾分遅い足取りでしたが、追い抜かれまいと気合を込めて歩みました。
しばらく歩いていると、身体は軽く火照って、汗ばんできました。キャリーバッグの車輪は未だ大げさに暴れていて、それを引っ張る私の上腕は筋肉痛に苦しみ、肩が張っています。ハンドルから伝わる振動で手のひらが痺れて、身体はいよいよ辛さに満ち溢れてきました。
大分歩くと、ごみごみした町並みの中に橋梁が見えました。鉄道です。それももはや、蔦や苔に覆われて野に還ろうとしていたのですが。ともかくそれに沿って私は再び歩きはじめました。もっともっと街の中心へ、人の思いが渦巻くところへ。そこも人の流れができていて、都心の方へ向かう列はさらに大きくなっていきました。
それからさらに2時間ほど歩いた頃でしょうか?遂に車輪が壊れて、キャリーバッグはその機能を失いました。壊れた衝撃が、がくんと肩に伝わりました。思えばずっと歩き続けていて、私も体力の限界を感じていた頃でしたから、壊れたキャリーバッグはまるで自身の写し鏡かのように思われました。
建物が密集して薄暗い、JRの橋梁沿いの道路で、私はキャリーバッグを寝かせて、その上に私は座り込みました。そうすると、先刻まではアドレナリンで誤魔化せていた疲れがどっと、脚から肩まで全身を満たし、立つのも億劫に思えるほど身体は重くなりました。ペットボトルのお茶を飲み、乾いた喉を潤します。冷えた飲み物を胃に流していると、ぎゅうと音が鳴り空腹を告げました。思えば朝からずっと何も食べていなかったのですから、当然のことです。ザックから1つパンを取り出し頬張りました。砂糖の甘味が舌を発情させ脳を駆け巡ります。浸透圧の上がった口内をお茶で流し、またパンにかじりつきました。
ふと、今いる場所を確かめようと携帯を起動してみました。ですが、今朝と同じように、やはりネットもGPSも電話もだめでした。一切の外部的な情報が手に入りません。昨日まではこれさえあれば、それこそ単身東京に来るくらいなんでもありませんでした。ですが、それを失って初めて、私は私の孤独さを改めて実感しました。
汗が額を伝い、目尻から沁みてきました。そして、汗ではない、しょっぱい何かが目から零れ落ちました。私は初めて人が恋しくなりました。嗚咽を押し込むようにパンを飲み込んで、鼻を啜りました。辺りでは、人々が瓦礫や壊れた道路を行き交い、知人や家族を探して、あるいは都心へ向かう人の流れに乗って彷徨い歩いています。
私は壊れたキャリーバッグを捨てることにしました。服と食糧だけザックに詰めて、他は置いて歩き始めました。身軽になったこの身体はとても自由で、けれども不安に満ち満ちていました。ですからこの開放感が好ましいものなのか、それともなにか破滅的なものを含んでいるのか、私には判断しかねていました。私にできるのは、ただ黙って、JRの軌道に沿って歩き続けることだけだったのです──。
歩けば歩くほど、風景は悲壮さを増しました。立派なものほど、壊れたときの痛みは大きいのです。
ふと気づけば、そこは東京駅でした。駅舎の中から膨れ上がるように生えた巨樹は、赤煉瓦を粉砕しフリー・クラシック建築の清廉さを失わせていました。南東の方角に低く、日が見えました。感じるのは、ただ疲労。徒労であったという事実が、ぎりぎりでこの身を支えていた希望を砕き、膝が落ちました。そう、目の前に広がる景色はやっぱり悲痛なもので──つまり救済なんてものはなかったのです……!人々は虚ろとした目で遠くを眺め、何かを待ちぼうけるように佇んでいました。
なんだか、笑えてきました。本当に、滑稽で滑稽で。私も、みんなも、どうしようもなく愚かなのです。こんなところに来たのが間違いでした。どうして私たちはこんなところまで来てしまったのでしょう。
動き続けなければならない。それは、たしかに本当なのでしょう。赤の女王仮説──走らなければ同じところには留まれないのです。ですが、私たちはどこかでそれを履き違えてしまったような気がするのです。ああ、結局私も、その渦から抜け出すことはできませんでした。なにか間違っていること、こんなのじゃ幸せになんかなれないこと、それを知ってて分かってて、それでも選択を間違えたのです。
そう難しい話ではなかったはずです。人の多い場所に行ったって上手くいくとは限らないし、接する人の分溶けなきゃいけない自分の領域が増えるのです。“多数”のなかで、自分を異質でないものに作り替え、統計に計数されなければならないのです……。
つまり、なにが言いたいかというと……、この場で私はひどく無価値で無意味な存在だったのです。誘蛾灯に惹き寄せられた愚かな蛾虫の一匹、それが私なのでした。
私は東京駅を突き破った巨木に寄り掛かり、座り込みました。ほとんど倒れ込んだと言っても過言ではありません。そうして寝転がって、どうしようもなく非生産的で非社会的な態度で街を見ました。誰も私みたく寝転がってなんかいませんでした。ここに来るまではなんだか休憩するのも憚られるような、周りもずんずん進むものですから、止まったらその分置いていかれるような気がしていました。だって、立ち止まったらいつ追いつけばいいのでしょう。
──でも、今はもうそんな焦りはありません。着いてしまったのですから、終点に。
幾日そうしていたことでしょう。私は疾うに動くことを諦めて、かき集めたダンボールや衣類、新聞紙に覆われ、蓑虫のように寝転がっていました。一日分と思っていた食糧を細々と食べて、満たされない飢えを宥めていました。
周囲の人達もいつまでも動けるわけはなく、一人、また一人と斃れてゆきます。皆偉いことに、誰も彼もが斃れるまで立ち続けているのです。まるで希望に取り憑かれたように、彼らは頑なに休息を拒んでいました。そして、ふっと、何かの糸が切れたかのように倒れ込むのです。──或いはビルに登ってふらりと身を投げる者もありました。
そこは地獄でした。この世の地獄、一生に見られる苦痛のすべてが、そこにはありました。私は目蓋を閉じることもせず、寝転がってそれを見ていました……。
幾度目かの夜を越えて目を覚ました頃、隣に少年がいることに私は気がつきました。少年はボロ雑巾のように痩せ細って、私の隣に座り込んでいました。と言っても、私だって似たようなもの──ボロ雑巾も同然だったでしょう。
少年の眼窩は窪み、頬は痩せこけていたため、彼の年齢はよくわかりませんでしたが、背格好は小学生か中学生くらいでしょうか?歯を鳴らし寒さに耐える彼を、私は蓑を開けて抱き込みました。ダンボールや衣類、新聞紙の中で、私は彼の酷く冷たくなった身体を抱擁しました。その細い腕が、胴が、手のひらを通して感じられます。
「臭い……」と彼は呟きました。
「あなたこそ」
私たちは死の臭いを漂わせていたのでしょう。死にゆく人の臭い、役目を終えた細胞が積もりゆく臭い──。
脇に置いていたカバンに手を突っ込みましたが、すでに食料は尽きていて、パンの袋がパサリと音を立てたのみでした。
「ごめんね、もうご飯ないや」
そう言って、私は少年の頭を撫でました。
「僕も……もう……」
彼は私の胸に顔を埋めました。
「もう、終わるの……?」
消え入りそうな声で彼は尋ねます。
「終わりがちゃんと終わりなのもいいかもね……。たいてい、終わらないのが終わりなのですから」ふたりとも、何処ともなく向こうを見ました。近過ぎもせず、苦しくはない程度に遠くの方を──。
「冬というのは淋しいですね。なにも、食べられそうなものがない」少し笑いながら私はそう言いました。まるで食いしん坊の台詞みたいだなあと思いながら。
「ナナカマドって知ってる?」と少年は言いました。当然です、北海道では極々一般的な街路樹なのですから。
「ナナカマドはね、秋に実を生らすんだけど、冬になって葉が落ちても赤い実だけは残ってるんだ」
確かに、あの木は冬になってもたわわに実をつけていて、雪を冠して重そうに枝を撓らせています。
「あれはね、実に毒があって、不味いから鳥が食べたがらないんだよ。でも、凍結を繰り返すと、毒が抜け糖度が増して、キレンジャクみたいな渡り鳥なんかが食べに来るんだ」
それは初めて聞く話です。なるほど冬まで実が保つのは鳥が食べたがらないからなのですね。
「冬だからってなにもないことはないんだよ。冬に熟す実だってある……。でも、ここには……」
そう、ここにはナナカマドは生えていないのです。
「私は、何かになりたいと思っておりました。無個性で無機質な機械的な人たちではなく。だからここまで身を削ってきましたし、“何者”かに近づけたような気がしていました。でも──たとえ弱い光でも、小さな彼らは輝いていたのです、確かにこの暗い空で」
月はおろか、星屑にすら私はなれなかったのです。
また彼の頭を撫でて、私はふとこの子を守りたいと思いました。私一人ならここで朽ちても良いと諦めていた心に、希望とは程遠いものの、絶望を遠ざけるような何かが芽生えたのです。
「君、生きたい?」と尋ねると、彼は少し考え込んで、それから俯き気味に応えました。
「死にたいとは思わないけど……生きるのはこんなにも辛いんだね」
苦しそうに微笑む彼はあまりにも痛々しく、しかしこれ以上なく美しく思えました。
私は彼を抱きかかえて立ち上がりました。
「自分で立てそう?」
「なんとか」
生まれたての子鹿──いえ、飢えて痩せ細った死にかけの子鹿のように、私たちは地面の上に立ちました。
「行こう」
いつか来た道、線路を辿って、私は北へ東へ進むことにしました。なにかを期待していたわけではありません。これは前進ではなく、帰路なのです。歩き辛いその道は、確かに私がやって来た道です。ふらふらと覚束ない足取りで、身体の芯まで冷気を侵食させるような薄暗い朝を、私たちは進みました。次第に風が強くなり、終いには雪も交じるようになりました。手足の末端の感覚はなくなり、意識と無意識の狭間、認知が非統合な状態へ遷移していきました。
──頬をつんざくような風が冷たくて「これは痛みでしょうか」私は聞く。君はきっとええそうだ、と。しずかに、静かに。
──ただこの手の思うままに。私は何も考えていないし何も感じていない。ただ手が動く。心すら動いていないのに。
──澄み切った街に泳ぐ魚たち。ビルの隙間を縫うようにそれは流れる。いつ私は彼らに合流するのだろう。ただぼんやりそんなことを考える。
──あゝ、君はどこへ行ったのだろう。愛しいという言葉さえも煩わしく安っぽく思える君よ。私はこの気持ちがわからないから、何も意図しないことにした。
──心の底で舞いたった泥をなるべく正しく描写する。そこに私は介在しない。
気づけば私は暖かい部屋の中にいました。ぱちぱちと弾ける音、炎がゆらゆらと壁面を照らしています。毛布を掛けられて、私は布団の上に眠っていたようです。
「ああ、起きたのかい」
扉を開けて、おばさんと呼んでも良い程度には年を召した女性が入ってきました──。
どこまで歩いたのか、私には記憶がありませんでした。ただ、どこかで力尽き倒れてしまっていたようです。気を失ったとき辺りは吹雪で、この家の方に拾われるのが少し遅ければ、私たちは命を落としていたことでしょう。
私は今、あの日出会った少年とともにこの掘っ立て小屋で、傷つき草臥れた身体を癒やしています。ここにはおばさんの他に、旦那さんと帰ってきた娘さんがいて、ひもじいながらもなんとか生活しています。ほかにも似たような家は何件もあって、さながら集落のようです。今日も隣に住む大工の親父さんが小屋を建てるのを手伝っていました。することは沢山あります。暖を取るにも、木を伐って薪を割らないといけないのですから。水だって山まで汲みに行くか、川の水を沸かさなければなりません。
おじさんとおばさんはこれまで紙を作る工場をやっていたそうで、この手紙もそれに綴らせていただきました。あなたには上手く届きましたでしょうか?あなたの街へ行くという方がいたものですから、これを渡すようお願いしたのです。
聞いたところによると、あなたの街は無事だそうですね。私と少年の体調が恢復すれば、いつか訪れようと思っています。それまではどうか体調に気をつけて、力強く、生きていてください。
夜空の星屑たちは大抵薄暗くって、他とも見分けがつかないような、有象無象ばかりだと思っていましたし、実際そうなのでしょう。それでも彼らは輝いていて、この星空に浮かぶのです。街明かりが消えて、私は初めて昴と言うものを見ました。ただ一人漂っていた私は、街灯に眩んで彼らの姿すら見落としていました。いえ、知っていて、なお見ようとしなかったのです。
私は今、星座に成れているでしょうか?
それではどうか、ご自愛くださいませ。
敬具