ひからびた聖女の結末。
「神聖力がなくなっています。残念ですがユリアナ様、もうあなたは……」
「ええ、分かっております。次代の聖女が現れたのでしょう」
海よりも深いアイスブルーの瞳に、小さな鼻と可憐な唇。
純白の衣装をまとったその姿は、まさに聖女と呼ばれるに相応しい。
けれども、かつて神々しく光り輝いていた金色の髪は色を失い、老婆のように艶のない白髪へと変貌していた。
今代の聖女であるユリアナは、神官長に淡く微笑む。
「仕方のないことです。聖女とはそういう宿命。莫大な神聖力を宿してこの世に生まれ、世界の為に祈りを捧げる。大地を潤し、人々を疫病から守る存在。神聖力を失った聖女は、もうこの世界にはいらぬ存在ですから」
「どうしてそのような事を仰るのですか。ユリアナ様は、歴代の聖女のなかでも特に徳が厚く、人民に愛された素晴らしいお方。ユリアナ様ならきっと、聖女の役を退いた後でも──」
「神官長……」
初老を迎えた神官長の手を、ユリアナが優しく掴む。
「わたくしは、慣例通りこの大神殿を去ります。準備を、手伝ってくれますね?」
「ユリアナ様……」
大神殿で唯一、ユリアナを幼少期の頃からお世話を任されている神官長。家族はおらず、その身一つで神殿に仕える彼にとって、ユリアナこそが家族であり娘のような存在だった。ゆえにこそ、『聖女の慣例』に歯がゆい思いを抱いていた。
聖女は、聖女としての力を覚醒させたその時点で、遣いによって両親のもとから引き離され、この大神殿へとやってくる。
その日から、例えまだ拙い言葉を話す幼子でも聖女として扱われ、祀られる。ユリアナは7歳で親元から引き離され、聖女として大神殿に仕えている。どこかで魔獣が大量発生し、国の王が手に負えないとなれば聖女が自ら赴き、魔獣を祓う。そして大神殿に戻り、再び祈りを捧げる。人々が聖女に助けを乞えば、聖女はその地に赴かなければならない。病人の為に祈り、国の為に祈り、世界の為に祈る。
それを、神聖力が無くなるまで繰り返すのだ。
神聖力がなくなった聖女は、『人』となり、ようやくお勤めから解放される。
けれども、聖女は帰郷を許されない。
遥か昔、聖女から只人になった女性が襲われ、無残にも殺されるという事件があった。聖女を利用しようと企てた人間の仕業だと言われている。
以来、大神殿は聖女を守るため、お役目の終わった聖女を雪深い森にある教会に匿う。
神官長は言いつけ通り、大神殿から去るユリアナの手伝いをした。荷造りはもちろんのこと、体の清めや髪の手入れも。その間、ユリアナを慕う多くの聖職者たちが顔を見せに来た。惜しまれた。中には涙を流した者もいる。
(愛されていたのね。わたくしが去った後でも、彼らに幸福がもたらされますように)
ユリアナは数人の侍女を連れて、国のはずれにある教会に身を移した。ここは大神殿が管理する教会の一つ。冬には雪が降り積もり、辺り一帯を埋め尽くす。秘匿とされた地域ゆえ誰も知らない場所。
暖かいうちは畑を耕し、食料を作る。
たまにやってくる客人をもてなし、日々を読書で過ごす。
そうやって、日々を過ごした。
ある日の事だった。
かねてから親交のあった、サフィード公爵がやってきた。
サフィード公爵は気さくな人。炎のように燃える赤髪が特徴で、心優しく正義感溢れる男性。聖女であったときは、彼に護衛をしてもらっていた。魔物や盗賊から守ってもらった事もある。
(でもどうしてサフィード様が……)
ユリアナの初恋でもある男性。
聖女は伴侶を持たない掟があるため、想いを伝えられなかったひと。
予想しないサフィードの登場は嬉しかったが、同時に、聖女の輝きを失った今の自分を見られたくない思いが募る。ユリアナはすぐ、任務に戻る様に伝えた。
彼の家系は代々聖女を守っている。新しい聖女が生まれた今、来る意味はないはずだと。
「あなたに会いに来たんです」
まっすぐ見つめられた。
ユリアナは、ひとまずにサフィードをもてなした。
侍女に紅茶を注いでもらい、サフィードとともに飲む。
彼は昔のままだった。
「では、また来ますね」
そう言って、サフィードは帰って言った。
一か月後、彼は再びやってきた。おもてなしをして、他愛のない話をして、帰っていく。また一か月後には、たくさんの本とお菓子のお土産を持ってきた。次の一か月後も、また次も。
そうやって、サフィードは通い続けた。
「わたくしのところに通って、いいのですか? 誰かに怒られたり、しないのですか?」
「怒られるも何も、もう俺は聖女の護衛の任務から外れていますので」
「え? でも」
「俺はもう、サフィード・イェルマリアスではありません。公爵の地位と聖女護衛の任務は、二週間ほど前に弟に譲りました。今日で12回目になっちゃいましたね、さすがに時間をかけすぎですね。すみません」
「どうして……」
「もちろん、ユリアナ様のお近くにいたいからですよ」
サフィードが近づいてくる。
大きな手が、ユリアナの手を覆った。
「わたくしはもう聖女では」
「いいえ、俺が傍にいたいのは聖女ではありません。ユリアナ様、あなた一人だけです」
「こんなに髪が白いのに……」
「お美しいじゃありませんが。前のユリアナ様も、今のユリアナ様も、どちらも俺には魅力的です。……本当はもっと早く、この気持ちを伝えてしまいたかった。でもあなたは聖女でしたから、聖女にこの気持ちを伝えるのはタブーですからね」
彼の目が細められる。
信じられない、と思った。
(サフィード様が、わたくしのことが好き? ……これは、夢でもわたくしの妄想でもなくて?)
想いは通じ合っていた。
それが分かって、とっても嬉しくて。
ぎゅっと、ユリアナは手を握る。
「ユリアナ様は、俺の事が嫌いですか……?」
「そんなこと……! わたくしはずっと、サフィード様のことが好きでした……さっきだって、サフィード様を追い返さなくてはと思いながら、もっとお話ししたいって思っていたんです」
「よかった」
そう言って、サフィードはユリアナの顎に手をかけた。
「嬉しいです、ユリアナ様。いえ、ユリアナ──」
ちゅっ、と唇を吸い付かれた。
サフィードの声が甘く、聞いているだけで脳が蕩けそうになる。
「聖女の役目を終え、只人になった女性は結婚しても良いと聞き及びました。大神殿にはすでに話を通してあります。神官長……あの人も、あなたには幸せになってもらいたかったようですよ。おかげですんなり話が通りました」
「まさか……」
「俺は公爵を捨てた、ただ一人の男としてあなたを妻に迎えたい。どうか、俺と一緒に幸せになってほしい」
聖女になったその瞬間から、恋も何もかも諦めていた。
彼の事が好きでも、聖女である限り報われない。
聖女は純潔でなければならず、恋人を作ることも許されないから。
たとえ聖女の任をおりても、神聖力を失った白い髪なんて気持ち悪がられるに決まっている。
干からびた元聖女なんて、何も価値がないと思っていた。
「はい」
ユリアナは、最高の笑顔を見せてサフィードの結婚を受け入れた。
◇
王国の、とある村。
小さな家には仲睦まじげな二人の夫婦と元気一杯の子ども二人が暮らしていた。
旦那のほうは、なんと元貴族。
いいところの坊ちゃんだったと村ではもっぱらの噂だが、奥さんと結婚するために名前を捨てたのだという。なんとかっこいい旦那だと、村娘たちはこぞって顔を赤らめる。
奥さんは、優しい雰囲気のある白い髪の女性。不思議な力があって、彼女が笑顔になると幸せがやってくるそうだ。村で一番シャイな男が、彼女の笑顔を見た翌月には美人な嫁を貰ったっていう話だから、信憑性があると村中で話題になっている。
夫婦の子ども二人は大きく育ち、元気に外で走り回っている。線の細い奥さんは家事や育児などで大変そうだったが、充実した毎日を過ごし、ときおり満開の笑顔を咲かせているという話だ。
短めの話ですが、ハッピーな感じを意識しました。
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