霊のいないアパート・4
刑事の車に老人と女性が乗り込む。
「えっ、この人は何だ?」
乗り込んで来た女性に驚いた刑事が訊ねる。
「少年が連れ去られるのを目撃しました!」
本当は言い争っているのをチラッと見ただけである。
「ワシが指示するでな、ほら、この先を左じゃ」
老人は刑事を急かす。
「う、分かった」
美少年好きなどと要らぬ疑いをかけられた刑事は、仕方なく老人の示した先へと動き出す。
死んだ猫は、かなりあの車に恨みを抱いたようで匂いと気配を鮮明に覚えていた。
「どうやら、あの車はこの辺りを良く走っていたらしい。
近くに仕事場があるんじゃろう」
チリンと音がした。
刑事と女性には見えないが、化け猫の少女がすぐ近くの駐車場を指差している。
「刑事さん、あそこじゃ」
「ほんとだ、あれです、あの黒いワゴン車。 アパートの隣の駐車場によく停まってます」
車を停め、三人はその車に近寄る。
「おい、なんだお前ら。 うちの車に何か用か」
強面の男が近くのビルから出てきて三人を睨んだ。
「警察だ、ちょっと聞きたいことがある」
「へ?、俺は何もしてねぇよ」
男は途端にしどろもどろになった。
「目撃者がいるんだ。 この車がびしょ、あ、ゴホン。
無理矢理、少年を乗せて拉致したと」
「そ、それは!、いや、無理矢理じゃねぇんだ」
来てもらえば分かると、強面の男に連れられてビルの一室に入った。
部屋の中は普通の事務所である。
事務机の他にパソコンや音響機器が多い。
強面の男と、他にも若い男女が三人ほどいた。
「あれ?、爺さん、どうしたの?」
事務所の片隅にある来客用の応接セット。
少年がソファにのんびりと座っている。
老人に憑いていた化け猫の少女が、嬉しそうに少年の傍に飛んでいった。
「お前さんこそ、こんな所で何をしておるんじゃ」
老人たちも少年の傍に移動する。
「こりゃ、どういうことだ、爺さん」
刑事が老人を睨む。
とにかく座れ、と少年が言う。
「無事で良かった」
そう言って笑う老人に少年はため息を吐いた。
「よくねえよ。 どうやら、俺を盗み撮りしてたヤツがいたらしい」
それで話を聞くために自分から車に乗り込んだそうだ。
刑事は少年の言動はさておき、整った顔立ちと色の薄い髪や肌、目の色に惹き付けられる。
まさしく美少年。
若い刑事がボーッとしている間にも話は進む。
アパートの霊現象は捕まった男女が引越費用欲しさに広めた噂だったらしい。
それで。
「わ、私がご説明いたします」
少年の向かいに座っていた、おどおどした眼鏡の三十代の男性が話し出す。
名刺を見ると社長らしい。
「私どもの会社では芸能事務所から依頼されて動画を作成しております。
それで、あの、スタッフの一人が住んでいる隣のアパートで霊障だと騒ぐ人物に会いまして。
不動産会社に言えば除霊してくれるはずだから、と話したら、それを録画しておいて霊障が収まらなかった場合の証拠にしたいと言われたそうなんです。
それであの夜、除霊が行われると聞いたうちのスタッフが勝手に、その色々と」
不動産会社に許可を取らずに撮影してしまった。
「何となく見られてるのは分かってた。
それでもう一度行って、周囲を探ってたらコイツらが俺を見て逃げたんだ」
少年はスタッフらしい男女を指差す。
除霊依頼のアパートの入り口は隣の駐車場側にある。
「さすがに部屋の中には入れませんが、出入りする人間を撮ってました」
「それと、部屋に盗聴器があった」
握り潰された盗聴器を少年は机の上にばら撒く。
「てか、コイツら、だれ?」
見知らぬ顔に気付いた少年が刑事と女性を睨んだ。
警察手帳を見て、少年は顔を歪める。
女性は少し顔を赤からめて言った。
「何かトラブルで困っていらっしゃるのではないかと」
アパートの前で老人に話し掛けたのだと説明した。
少年は老人が頷いたのを確認して、ため息を吐く。
「とりあえず、俺としては画像と盗聴した音源の消去。
もう二度と俺に関わらないという念書も頼む」
学校はまともに出ていないが、こういうところは不動産屋のおやじに教育されている。
「刑事さんがいるならちょうどいいや。
顔と名前を覚えてさ、こいつらがまた何かやらかしたら捕まえてよ」
今度は若い刑事が顔を顰めた。
「それには被害届を書いてもらわなきゃならんが、署まで来てもらえるか」
「それなら代理で爺さんが行くから問題ないよ」
「それは!」
立ち上がろうとする刑事を老人が止めた。
老人は温和な顔で若い刑事を見ている。
「刑事さん、ワシらの仕事は何だったか覚えておられるか」
職業欄に祓い屋とは書けない。
では何と書くか。
「不動産会社社員」
「さようで。 うちの社長が責任を持って、この子の件はきっちり話し合いいたしますのでな」
この少年が表に出ることはないのだ。
「で、でしたら、こちらもお願いしたいことが!」
眼鏡の気弱そうな社長が身を乗り出す。
「盗撮、盗聴についてはお詫びして、そちらのおっしゃる通りにいたします。
その代わりといってはなんですが。
ぜひ、君を主役にした動画を撮らせて欲しい!」
ガバッと土下座ばりに頭を下げた。
「はあ?、やだよ」
「お願いします!、ちゃんとギャラも支払います!」
「話になんねえ。 爺さん、帰ろ。 後は不動産屋のおやじに任せるわ」
少年にすれば、自分を盗撮した犯人が分かればいいのだ。
後の対応は警察や弁護士とも繋がりを持つ、不動産屋のおやじがやってくれる。
「もし、俺の画像が流出したら出元はここしかないから、営業妨害で訴えさせてもらう。
そこの刑事さんが証人だからな」
そう言い捨てて、少年と老人は出て行った。
ガックリと肩を落とす制作会社の社長。
「ああ、勿体無い、あんな良い素材は滅多にないのに」
「あのお」
女性が恐る恐る訊ねる。
「すみません、あの人、誰なんでしょう。
営業妨害って、どこかの芸能プロダクションの方ですか?」
ハーフタレントか、モデルに見える。
しかし、刑事も初体面なので知らない。
二人で眼鏡の社長に顔を向けた。
「あれはこの辺りでは有名な霊媒師、祓い屋ですよ」
主に不動産屋の事故物件を扱っている二人組なのだという。
「あのビジュアル!、あの口の悪さ!。 今なら絶対、若者受けするのに勿体無いぃ」
涙を流さんばかりに残念がる社長に、刑事も女性も引いた。
とにかく、若い刑事は言われた通り、映像や音声を処分することを約束させる。
「いや、やっぱり心配だから全部出せ、今ここで」
刑事は自分が責任を持って処分すると請け負い、提出させた記憶媒体を持って立ち上がる。
「ついでに言わせてもらえば、もしコピーとか持ってても世間に出さないほうが身のためだからな」
刑事は知っている。
あの少年みたいな子供は、普通の家庭で育った人間とは違う常識で生きているのだ。
「祓い屋に呪われたら、だれが祓うんだよ」
ボソッと刑事が呟いた言葉に眼鏡の社長は背筋を寒くした。
刑事は女性に「送ります」と声を掛けた。
女性は「ありがとうございます」と車に乗り込む。
アパートの側で降りる時、女性は刑事に確かめるように訊いた。
「さっきの画像、ちゃんと処分して下さるんですよね。
まさか、自分でこっそり楽しむなんてしませんよね?」
「も、モチロンですよ、あははは」
老人に頼まれた猫の死体処理の連絡をした後、走り去る車に女性は不安を覚えた。