霊のいないアパート・1
五話完結です。
ゆるっとふわっとしたホラーです。
恐くないです。
美しいものって、それはどこにあるのでしょう。
少女は小さな手で古寺の床に書いた円をなぞる。
「月か?」
部屋の真ん中に座った老僧が訊ねるが、少女は首を横に振る。
チリンッと首に着けられた鈴が鳴った。
「じーさーん、飯買って来たぜ」
ドカドカと足音をさせて十代の少年が入って来る。
「ん?、お前、まだ居たのか。 早く成仏しねえと悪霊になっちまうぞ」
白い髪、青い目の少女はこの世のものではなかった。
チリンと小さな鈴が鳴る。
以前の鈴の付いたリボンは母親の化け猫に子猫の形見として返した。
その後、何故かこの子猫は少年の前に現れたのだ。
祓うことに失敗したのかと老人は焦ったが、どうやら少年に会いたくて戻って来たらしい。
この鈴はその時に、新たな依り代として少年が買って与えたものだ。
「おにーちゃん」
「おう」
まだ三歳くらいにしか見えない少女が少年の足元に寄り添う。
ゴソゴソとコンビニの袋を開け、少年は老人にお茶の缶と割引のシールが張られた弁当のパックを渡す。
「チビ、お前にはないぞ」
そう言って、少年は魚肉ソーセージを銜えると歯で噛み千切りながら封を切り、頬張る。
「欲しー」
少女は床に描かれた円を指差す。
「あー?、しょうがねえな。 後で返せよ」
少年は懐からピンポン玉くらいの白い球体を取り出して渡す。
「良いのか?、お前の大事なものだろう」
弁当を開きながら老人が問うと少年はふんっと鼻から息を吐く。
「預り物なだけさ。 ずっと連絡もないし、もう要らないかもな」
珠で遊ぶ化け猫の子供を見ながら少年は目を細める。
「それよりさ、次の仕事だけど」
老人と少年の二人は「時計屋」と呼ばれている不動産屋専属の祓い屋であった。
二人が根城にしている古い寺は、老人の知り合いのホームレス仲間から紹介された訳アリ物件だ。
しかしここは祓ってもお金にはならないので、放置している。
少年は地図を取り出して老人に見せた。
「ここね」
「ふむ、問題なかろう」
今回は近いようだ。
最近、霊障のある物件が格安であることが世間で話題になり、わざわざ選んで住む人たちも増えた。
それでも結局被害に遭うと紹介した不動産屋のせいにするのだ。
「自身で選んだくせになあ」
顔を寄せながら話をする姿は、歳は離れていても長年の付き合いのある友人のようだ。
「いつにするかの」
弁当の空箱をゴミ袋に入れながら老人が訊ねると少年は「うーん」と唸る。
いつもは金のために老人をこき使う少年が今一乗り気ではない。
「どうした」
「あー、なんか嫌な予感がするんだよ」
不動産屋が提示した謝礼が破格だったのだ。
世間から見れば、ホームレスの老人と学校に行っていない子供のコンビである。
軽くみられることが多い。
しかし、少年を幼い頃から可愛がってくれている不動産屋のおやじの紹介である。
断るのは気が引けた。
「なんかそこも嫌なんだよな」
見透かされているような、誰かが後ろで糸を引いているような感じがした。
「とりあえず、下見に行って来るよ」
「分かった。 夜には出掛けられるように準備しておこう」
少年は「頼む」と言って立ち上がる。
球を転がして遊んでいた少女の霊に近寄って、少年は手を差し出す。
「ほら、返しな、チビ」
イヤイヤするとチリンと鈴が鳴る。
「しょうがねえなあ、でも失くすなよ」
少年は化け猫の子供の頭を撫でて、寺を出て行った。
梅雨が終わりに近付いていた日だった。
心霊現象というのは、それだけで霊感の無い人間には娯楽になるらしい。
「俺は仕事じゃなかったらあんまり関わりたくないけどなあ」
そう言いながら電車で移動していく。
少年は、ぼんやり眺める踏切に、駅に差し掛かればホームに、霊の姿を見る。
(俺には関係ない)そう思っていないと寄って来る。
幼い頃からそういう状況だったので、何に対しても興味がなさそうな無表情な子供になった。
恐いと思ったことはない。
煩わしいと思うことはよくある。
電車を降りて駅前の商店街を抜け、住宅地に入った。
新しい家と古い家、高層マンションや木造アパート。
この町は雑多なものが入り混じる。
生者と亡者が入り混じっていてもおかしくはない。
「ここかあ」
外観は新しいが、どうやら外壁だけを塗装し直しただけのようだ。
廊下の壁のモルタルが剥がれ、下から古い横木が見えている。
家賃が安いだけあって、集合の郵便受けも建物の割にボロくて壊れかけていた。
こんなところでも安いというだけで入居する人間はいる。
一応、一階の廊下の奥まで行って戻って来た少年は、急に開いた部屋の扉にぶつかった。
「いってえなあ」
「あ、ごめん」
若い女性だった。
「だから慌てるなって言っただろ」
その後ろから茶髪男性が出て来る。
「ごめんな、大丈夫だった?」
「ああ」
祓い屋の少年はスイッと二人を避けてアパートを出る。
「あんな子、ここには住んでないよね」
「ああ、あんな目立つ男の子ならすぐ分かるさ」
二人の会話を背中で聞きながら。
少年は色合いの薄い髪と肌、整った顔にモデルのようなスラリとした身体付きをしている。
産婦人科の病院の前に置き去りにされていたため、施設で育つ。
見かけはまるで外国人の子のようだったので、引き取り手も多かったが何度引き取られても戻って来た。
何もなくても泣いたり笑ったりする、喜怒哀楽の激しい不気味な赤ん坊だったらしい。
後で分かったのは、生まれつき恐ろしいほどの霊感があったということ。
しかし、それは誰も証明なんて出来ない。
学校も最低限しか行かず、施設も自分から出た。
小さな不動産屋の裏口の扉を開ける。
少年は唯一、何も訊かずに飯を奢ってくれる不動産屋のおやじだけに懐いていた。
「坊主、飯食ったか」
いつも第一声がこれだ。
「食った。 おっさん、あの物件見て来たよ」
どさりと客用の椅子に座る。
「そうか、早いな。 どうだった?」
少年はチラリとおやじの顔を見る。
「焼きが回ったんじゃね?、何にも感じなかったぜ」
身長の割に長い脚を組む。
「そうかー。 入居者全員から霊がいるから怖くて居られない、早く出たいって連絡が来ててな」
アパートは入居時に敷金礼金を求められることが多い。
退去時にはそれを一部返さなければならないので、一度に何人も退去となると返金や査定にも時間がかかる。
最近ではそういうのをゼロにして入居者を募る場合もあるが、そういうのは入る人間のほうが訳アリ物件だったりするので、この不動産屋ではあまりやらない。
「形だけでいいならやってもいいよ」
「お、そうか、助かる」
報酬もいいからな、と呟くと、不動産屋のおやじが笑う。
「それなんだが、入居者の一人が祓ってくれるなら自分たちも祓い料を出すって言い出してな」
それでいつもの報酬に上乗せとなったそうだ。
「へえ」
少年の脳裏に、さっきアパートで会った男女の顔が浮かんでいた。