52 (幕間) 記憶 ④
「あと一週間でわたしの誕生日よ」
マヤ王女は誇らしげに言った。
「八歳になるのよ?…すごい事だと思わない?」
昔から七歳までは神の子とされ、八歳から人間の子供と認知される。
「そうですか…」
ニキアスはおざなりに頷いて、蝋板にかかれた数式を指差した。
「姫さま、この数式間違っています…五万五千÷二十二ですよ?何ですか、この答は。それに絵では無くて数字を書いて下さい」
五歳でも計算できますよとニキアスが言っているのをマヤは無視して
「毎年お父様からプレゼントが贈られるの。今年は何かしら?」
「……」
「分かったわよ…考えるわ」
ニキアスの無言の圧にブツブツいいながらマヤは計算を始めた。
ニキアスはふと気になってマヤへと尋ねた。
「神殿に入られてもお父上様と会ったりしているのですか?」
「ううん…マヤは逢えないけど神官長様は会ってるみたい…」
計算途中の蝋板を見つめながらマヤは言った。
ニキアスは、マヤが持ってきた小さな林檎をかじりながら数式と格闘するマヤを見つめていた。
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ーー月が空の真上に昇る頃、ニキアスは神官長の寝台より起き上がった。
裸の肩に艶やかな黒髪がかかる。
やはり左顔の面布はつけたままだった。
たまに閨に呼ばれる事があるのだ…マヤと関わってからは大分少ないが。
ニキアスは床に散らかる衣服を手早く身に着けた。
部屋の外で神官長と神官らが話をしているのが聞こえたからだ。
足音を消しドアの近くまで移動する。
そして耳を近づけて、会話に聞き耳を立てた。
「陛下には困ったものだ…我が娘が預言者だからと言って、預言の内容まで自分の意のままに出来ると思ってらっしゃる…」
レダの神殿の神官長はため息をついた。
「仕方が無いです…我が神殿が国王の多額の寄付で成り立っているところがありますから…」
「預言内容は如何様にでも曲解出来る。ともかく国王の機嫌を損ねるのはまずい」
「お任せください…神官長さま。マヤさまは世俗を知らず、幼い。まだ上手くあしらえますので」
神官が廊下を歩き去っていく足音がする。
神官長はその場で佇んでいるらしい。
ニキアスは神官長の部屋の窓からそっと外へ出たのだった。
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「ニキアス、これをあげるわ」
マヤは手の平いっぱいの練り菓子をニキアスに渡した。
「何ですか…これ?」
「練り菓子よ。見た事ないの?下働きだと見た事もないかもしれないわね」
ニキアスの質問にマヤは得意げに答えた。
「これはね、大豆や麦の粉に蜂蜜や油を混ぜてつくるお菓子よ」
「いや…」
練り菓子自体をニキアスは知っているのだ。
神官の仕事の手伝いや夜のお世話をすれば、一つ二つ握らせてくれる菓子だったから。
ニキアスは正直この菓子が甘すぎて苦手だった。
(これなら蜂蜜の酒をもらった方がマシだ)
と思っていたのだ。
それをこんな手の平一杯に…。
「ニキアスの誕生日がもう過ぎたって聞いたから、遅れたけどあげるわ」
マヤはニキアスへあげる事が嬉しそうに言った。
ニキアスはあきれて思わず言葉に出してしまった。
「まさか…これが贈り物…って事ですか?」
それを聞いたマヤはむくれて、
「じゃあ来年はちゃんと欲しいものを言ってよ」
ちゃんと送るから、と腕を組み仁王立ちをして言ったのだった。
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「甘い…」
ニキアスは練り菓子を齧りながら呟いた。
(甘すぎる…)
机の上にこんもりと小さな山になっている練り菓子を、ニキアスはため息とともに見つめた。
処分に困るコレを他人に配るか、はたまた隠して捨てるかで真剣に悩んだが、いざそうしようとすると何故かマヤの顔が浮かび、どうしてもできない。
(はぁ…あと三つは今日中に食べないと…)
歯茎が痙攣しそうな甘さに耐えながら、ニキアスは次のひとつを口に運んだのだった。
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その二日後マヤが滝を見たいというので、小川が流れる先にある小さな滝を一緒に見に行く事にした。
細く落ちる滝は水量は少ないが、高さはなかなかある。
そこには小さな滝つぼがあり、水は澄んで魚も泳いでいる。
「あ、あそこ見て!ニキアス」
魚を見ていたニキアスは、マヤの声に促され崖の方に目をやった。
マヤが指差す先に見えていたのは、ニキアスでも知っている珍しい花だ。
この時期にしか咲かないものなのだ。
白い小さな可憐な花だが香りが高く、香油として身分の高い女性が使う成分になってはいるが、希少価値が高いので入手するのも困難だった。
希少価値の高いものを良い、とはやはり王女だなと思っていると
「マヤ、お花をもらった事がないの」
と言い出した。
「みんな大切な人からお花をもらったりするんでしょ?…いいなあ」
マヤがあまりにもしみじみと言うので、
「毎年贈り物をもらっているのでは?」
ニキアスが尋ねると
「うん…でも神殿の勉強には関係ないから…貰えないんだと思うわ」
マヤは少し笑って言った。
「あ、でも毎年筆記用具や経典はたくさん贈って貰えるから、ニキアスにもあげられるわね」
(花くらいなら下働きの女でも贈って貰えるものを)
何不自由なく神殿で勉強している姫ぎみだと思っていたが。
「見て!ニキアス、お魚が跳ねたわ!」
ニキアスには魚を見つけ歓声をあげるマヤ王女が、ほんの少し哀れに映ったのだった。
お待たせしました。
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