49 (幕間) 記憶 ③
過去の話の続きです。
「…どうかされたんですか?」
背の高いやたらと顔の整った少年は、屈んだままのマヤを見下ろして尋ねた。
丁度声変わりの時なのか思っていたよりも低めの声だった。
濡れてさらに艶を増す長い黒髪と艶のある象牙色の肌をしている。
濃く長い睫毛に囲まれた、青の混じる濃いグレーの瞳が印象的だった。
鼻梁は高く、額と頭の形も美しい。
唇がまた女性の様に少し厚みがあり、色気が漂う。
(こんなに綺麗な子が神殿にいたのね…)
ただ惜しいかな、左目に細い手ぬぐいの様な物を巻き付けている。
(あれさえなければ…完璧なのに)
マヤは少年の顔を見たまま呟いた。
「お前…綺麗な顔をしているわね」
お前と言ったのは、彼が下働きか奴隷だと思っていたからだ。
「…経典で見た芸術の神ルチアダ様みたい」
マヤの呟きをきいた少年は、心底嫌そうな表情になった。
「女神じゃないですか」
「め、女神の何がダメなのよ…容姿を神様に例えられているんだから、もっと喜んでもいいんじゃなくて?」
マヤが噛みついて言うと目の前の少年は小馬鹿にした様に鼻で笑った。
マヤは驚いた。
いままでこんな風に他人に鼻で笑われた事など無かったからだ。
「そ、それよりこんな所で何をしているの?」
少年はまた表情を変えずに
「水浴びです」
とだけ言った。
「え…何故?」
「汗をかいたからです」
「え?…こんなに涼しいのに何故…」
「――…」
マヤが訊くと、少年はまた嫌そうに『かまってくれるな』といった顔をしてマヤを見た。
「…わ、分かったわ」
マヤは大人しく頷いた。
「――それでは」
マヤを残してあっさりその場を離れようとしたので少年に思わず声を掛けた。
「――あ!ねえ、お前の名前は?」
少年は少し振り向いて
「…ニキアス」
とだけ言うと、直ぐに小径の木々に紛れてその姿は見えなくなってしまった。
******
「ね、神官長。ニキアスって知ってる?」
「…知っていますが、彼がなにか粗相しましたか?」
「あ、ううん。違うの」
マヤが全く気にしていなかっただけで、彼は以外に有名人らしい。
名前を言えば大体皆知っていたからだ。
(日常生活で遭わなかったという事もあったが)
身分はほとんど下働きだが、神官の補助の仕事もする様だ。
「神官見習いじゃなくても?」
「とても頭が良い子なので…」
算術や数式の計算で手伝っているらしいです、と神官長は言った。
「もう少ししたら、見習いにあげても良い程の秀才です」
「そうだったの…」
(算術が得意なのか…いいなあ…)
マヤが全く不得意なのだ。
想像できる以上の数の計算になると直ぐに分からなくなってしまう。
「彼は生まれが特殊なので…」
考え事をしているマヤの頭に、神官長の次の言葉はほとんど入って来なかった。
*******
「ねえ――何処にいくの?ニキアス…」
マヤは川の方向へ向かう小径を歩くニキアスへ声をかけた。
歴史書を読みながら時間を潰してニキアスを待っていたのだ。
ニキアスはマヤが声を掛けると、こちらを向いて無言のままマヤを見つめた。
「あのね、算術が得意って聞いたの…だから、教えてくれない?」
「は?…何故俺なんですか?姫さまには教師が沢山いますよね」
ニキアスは尋ねた。
マヤは歴史書をパンッと音を立てて閉じた。
「――それよ!…先生にきいてもさっぱりチンプンカンプンなのよ」
「分からないと言っているポイントを説明して欲しいのに」
子供に分かる様説明して欲しいのに、丁寧な説明を繰り返すだけで何度聞いても分からない。
「もともとマヤは目に見える数しか分からないのに、大きな数を出されても指が追い付かないのよ」
それを聞いたニキアスは、おもわず失笑した。
「姫さま…数字音痴なんですか?」
「そ…そうなのかも、しれないけど…」
でも一生懸命にやっているつもりなのよと八の字に眉を寄せる顔は、彼女を更に幼く見せた。
「いいですけど、姫さまは俺になにかしてくれますか?」
「え…?」
少年が言っている意味が分からず、マヤはニキアスへ尋ねた。
ニキアスは川の方向を顎でひょいと指して
「あそこの川辺で待っている人は、俺がある事をすれば、代わりに本や経典を読ませてくれます。…姫さまは俺に何かくれますか?」
ある事の意味がマヤには分からなかったが、本や経典の提供で良ければ朝飯前だ。
マヤは承知したと頷いた。
「いいわ、まかせて。わたしが読み終わった経典や歴史の本をあげる。あ、ついでに蝋板とスライタスもあげるわ」
ニキアスは川辺へと向かう足を止め、あっさりとマヤの方へ向かって歩いてきた。
そうしてニキアスには算術を教えてもらい、マヤは本を貸して時折文字を教えるという関係が始まったのだった。
お待たせしました。
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