82 運命のパズルのピース ④
大変お待たせしましたm(__)m
わたしは陛下の首にしがみ付く様に腕を回していた。
(…ああ)
かちり、と音をたてて何かが収まった様な感覚を感じたのと同時に、何とも言えない安心感がわたしを包んだ。
(これでいい)
(これでいいんだわ)
不可思議な思いに身体の中がひたひたと満たされていく。
頬を寄せると、陛下の体温の温かさを感じて目を閉じた。
すると不思議なことに――突然泣きたくなる様な感情が、わたしの中で湧き出した。
それは嵐のような激しく渦巻いて
(...離れたくない)
と叫んでいる。
(離れたくない)
(このまま…)
(このまま)
(お願い、どうか)
『...どうかこのまま』
『たとえせかいがおわってしまったとしても』
『わたくしをはなさないで』
『…ヴェガ』
「マヤ」
ちょうどその時、耳元で陛下のひび割れた低い声が聞こえた。
わたしはハッとして顔を上げた。
陛下は歩みを止めて、何時もの無機質な陛下の真っ黒い瞳がわたしをじっと見下ろしている。
「…あ…」
心臓の鼓動がいきなり跳ねあがって、顔が紅潮するのが分かった。
わたし達は暫く見つめ合っていたように思う。
(どうしよう…)
胸が痛くなるほど苦しい。
*****
泣き止んだ筈のマヤ王女がまた涙を流しているのに気付いたガウディは、足を止め彼女へと尋ねた。
「何故泣いている?」
着ていた絹のチュニックのマヤ王女が寄せた頬の辺りが、彼女の落した涙でじんわりと湿っていた。
その言葉に驚いた様に顔を上げたマヤの碧い瞳から、すうと一筋の涙が落ちて頬を伝う。
「あ…どうして?…」
自分がまた泣いている事に今気づいたマヤ王女は、ハッと頬に手をやって顔を赤らめた。
そのまま慌てて手で頬を拭った王女は、自身が流した涙に少し戸惑っていた。
「どうしてか...その、切なくなってしまって…わたくしにも訳が分かりません」
王女はそのまま考える様な表情を浮かべ、暫くして
「けれど多分...このひと時が得難いものだと…何だか感傷的な気持ちになってしまったからだと思いますわ」
と言って、小さな白い花の様に淡く微笑んだ。
ガウディは小首を傾げたまま無表情で王女を見つめていたが、少し屈んで腕に抱えていたマヤを床に下ろした。
「…陛下?」
抱えられていたのを突然降ろされたマヤ王女は、不思議そうな表情でガウディを見上げた。
ガウディはマヤをじっと見下ろしながら、ひび割れた声で話し始めた。
「マヤ...先程お前に余の瑕疵だと言ったが」
「あ…はい」
「余はいままで取り返しの付かない過ちを何度か…している」
「はい…?」
「例え変えられなかったのだとしても…その内のふたつを今でも悔やんでいる」
「陛下…?」
告解の様なガウディの言葉を聞いたマヤは『一体何が始まるのだろう』といった怪訝な顔をしていた。
「ひとつは迂闊にも母を死なせてしまった事、そして二つ目は義弟を繋ぎ止められなかった事だ」
「繋ぎ止める…ニキアス様をですか?」
アウロニア帝国皇帝ガウディは光の無い昏い目で、マヤ王女の海の様に碧く明るい瞳を見つめた。
「余の元から逃がしてしまった。それ故…結局『神』の頸木から二人を解放する事が出来なかった」
*****
皇帝が一人で皇宮内を歩き回る事など滅多にない。
広い皇宮内の廊下の先で小さく見えるガウディの姿を追いかける様に、ドロレス執政官と皇宮侍医エシュムン、そして『ヴェガ』神の神官ボレアスは並んで歩いていた。
「おお…陛下達は大分先に行ってしまわれましたな」
「全く陛下ときたら、お一人で先に行かれるなんて…」
ドロレス執政官はイライラとした口調で言った。
「共の衛兵もお付けにならないのは危険だというのに。万が一暗殺者でも現れたら…」
巨体のドロレスが早足で歩く姿は、大分息が切れて如何にも苦しそうだった。
地下牢に来るまで一緒について来た衛兵を、ガウディは早々に持ち場に帰してしまったのである。
エシュムン医師は彼を安心させる様に言った。
「ドロレス…何をそんなに気が立っとるのか知らんが、何かあっても儂が昔から仕込んどる。そこいらの小童では返り討ちにあうだけだろうよ」
鼻息も荒くドロレス執政官は吐き捨てる様に言った。
「そればかりではありません。腹黒いあの女狐も一緒だから余計に心配なのです。次は一体何を企らんでいるのやら…」
プリプリと怒って歩く執政官をボレアス神官はただ呆れた様に見ていたが、エシュムン医師は軽くたしなめた。
「落ち着け、ドロレス…立派な執政官がそんな厄介小姑の様な物言いをするものではない」
そう言ってからエシュムンは、ふと意地の悪い笑みを浮かべた。
「いや、しかしレオス将軍――それこそ義弟君の様な手練の暗殺者が来たら、さしもの陛下でも分からんか」
ドロレス執政官はサッと青ざめながら、皇宮侍医に唾を飛ばして文句を言った。
「エシュムン様何てことを!冗談で縁起でもない事を云うのは止めて下さい。この状況ではかえって洒落になりませんぞ」
「...それはさておき」
と真顔になったエシュムン医師は、執政官の足先から頭までチェックする様に視線を動かし頷きながら言った。
「お前さんの方はもう少し…その、目方を減らした方が良いと思うぞ。このままでは陛下より早くぽっくり逝ってしまうかもしれん」
「私の事はどうでも良いのです。ガウディ様に出会ってから私は、人生の中で無駄に我慢することが如何にバカバカしいかを……」
とまで言った執政官は、『…そう言えば』とふと考え込む様に言葉を止めた。
「もしガウディ様がこちらの道で無く…その、『ヴェガ』神様の預言者となり、世捨て人の様な生活をする方をお選びになっていたとしたら――誰がこの『アウロニア帝国の皇帝』の役を担う予定だったのでしょうか?...エシュムン様はご存じですか?」
ドロレスにとっては少し興味があるだけの大した事の無い疑問だったのだが、驚く程――神官と皇宮侍医の反応が微妙だった。
お互いに顔を一瞬気まずそうに見合わせていて、これが如何に尋ねては不味い質問内容だったのかが分かったのだ。
隣に立つ神官ボレアスからドロレスのほうへと視線を移したエシュムン医師の言葉は何時も歯切れの良さは無く、珍しく言い淀んでいた。
「それは――その…言う必要が無い」
「お前がそれを知った所で、多分皇宮にいないだろうしな」
「そんな言い方をされれば、余計に気になると言うものですよ、エシュムン様」
自分より遥かに大人達に子供扱いされた様で不満になった執政官は、ふくふくとした手を振り回しながら皇宮侍医に向かって抗議した。
「『もし』の話しをしても仕方がないじゃろう。陛下がそちらを選ぶ可能性は殆ど無かったそうだから」
「そうなのですか?ならば…別にお二人共隠す必要もないじゃないですか。これはただの世間話なのですよ」
二人の反応とエシュムンの声音と言い方に違和感を覚えた執政官は、粘って食い下がる様に尋ねた。
同じく『ヴェガ』神の神官ボレアスも暫く黙っていたが、やがてその口を開いた。
「有り得ん仮定の話をするのはどうかとも思うが、もしガウディ様がアウロニアの皇帝になる道を選ばなかった…」
純粋な興味を浮かべる満月の様に丸いドロレス執政官の顔を見つめながら、ボレアス神官は言った。
「――恐らく義弟ニキアスがガウディ様の代わりになっていた」
「なんと…」
ドロレス執政官は初めて聞く話の驚きに瞳を大きく見開き、豊かな頬を震わせていた。
ボレアス神官は重々しく頷いた。
「そうだ。おそらく義弟君が陛下のお立場に――ザリア大陸を戦火で燃やし尽くすアウロニア帝国最後の皇帝になっていただろう」
そしてエシュムン医師は頬をぽりぽりと掻きながら、その言葉を引き継ぐ様に続けた。
「うむ。まぁ…だからガウディ様はこちらの道を選んだとも言える。『ヴェガ』様の『預言者』で生まれた以上、御自身の御命が長くはないと覚っていたからの」
お待たせしました。m(__)m
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