79 運命のパズルのピース ①
お待たせしました<(_ _)>
空は鈍色の雲が立ち込めている。
何時の間にか細かい雨が降り出したのだろう、柔らかい雨粒は美しい皇宮の庭の木々をしっとりと濡らしていた。
地下牢を出た陛下は、わたしを抱えたまま庭の見える長い廊下をゆっくりと歩いていた。
鼻を啜りながら、昂ぶってしまった自分の気持ちが少しずつ落ち着いてくると、わたしは改めて自分が陛下に抱えられている事に気づいた。
(…もうお腹の痛みは治まっているのかしら)
心配になったが、少なくとも数時間前異変を訴えていた時の顔色の悪さは、今はすっかり消えている様だ。
通常運転の無表情さでわたしを抱えながら、ふらつきの無い足取りで歩く姿は
(『ヴェガ』の呪いと言われる病を陛下が発症しているのは本当なのかしら?)
と、一瞬疑ってしまう程だ。
(エシュムン様とボレアスがあの場で嘘をつく理由なんてない)
そう思い直すと、陛下の今着ている服がわたしの部屋を訪れた時とは違う部屋着になっている事にふと気がついた。
(地下牢へ連れて行かれた原因は、ひとえにわたしの話しをろくに聞いてくれないドロレス執政官のせいだ、と内心思っているけれど)
ご自分の部屋に運ばれた後、着替え(させられ)たのだろう――陛下は半そでひざ丈のチュニックに突っ掛けるだけのサンダルに、いつもはきっちり巻き付けられたトーガでは無く、濃紺の簡素な長いマントを羽織っていた。
指にはいつものアウロニアの紋章の入った金のシグネットリングのみだ。
(もしかして…エシュムン様の薬から目が覚めてから直ぐに迎えに来てくれたのかしら?)
この格好からして恐らく間違いないだろう。
『全て余の瑕疵だ。悪かった』
さっきの突然の陛下の謝罪に、わたしの怒りの殆どが吹っ飛んでしまったというのが正直なところだ。
エシュムンとボレアスの話しを聞いてしまうと、『ヴェガ』神の呪いの病にかかっているという陛下に対して何時までも根に持ってなどいられない。
(…でも)
ふと心配になってしまった。
このままいつまでも陛下に抱えて貰っていていいのだろうか、と。
それに…わたしはちらっと陛下の顔を見上げた。
陛下の頬にうっすらと赤い線の様な小さなひっかき傷が見える。
今考えれば恐ろしい事だけど、わたしはなんとアウロニア帝国の皇帝陛下の頬に傷を付けてしまったのだ。
(はずみとは言え…)
ハッと我に返って今更反省しても遅い。
(大変な事をしてしまった…)
陛下から今のところ何も言及はないけれど、本来ならば場合によってはお手打ちものだ。
お手打ちが大袈裟でも、何かしらの罰を命じられてもおかしくはない。
そんな事を考えながら陛下の顔をじっと見つめていると、前を向いていた陛下が視線を感じたのか、いきなりわたしの方を見下ろした。
「泣き止んだか」
「あ...は、はい」
わたしは口ごもってしまった。
パニックで半ばヒステリー状態になり、大暴れしてしまった事への羞恥心と陛下への申し訳なさがない交ぜになって、どう返したらいいのか分からなくなってしまった。
*****
皇帝ガウディは歩みを止めて、真っ黒な光の無い瞳でマヤ王女見つめながら訊いた。
「落ち着いたか」
「は、はい...あの…」
「歩くか?」
「――え?」
その言葉にマヤ王女は虚を突かれた様にガウディの顔を見上げた。
ぽかんと自分を見上げるマヤ王女へと無表情のままのガウディは訊いた。
「降りて自分で歩くか?」
「…あの…えと…」
自分を抱える男の言葉を聞いて、涙でまだ潤んでいるマヤ王女の碧い瞳は迷う様に揺れた。
ガウディは小首を傾げたまま王女がどうしたらいいのかを決めかねているのをじっと見つめていた。
が、小さくため息を吐くと、自分の言葉の意味を告げた。
「…他意はない。お前が自分で歩きたければ降ろすし、そうで無ければこのままで連れていくだけだ」
「…は、はい…」
ガウディの言葉を聞いてなお、しばらくマヤ王女は躊躇っていた。
*****
『降りて自分で歩くか?』
と言われた時、わたしは自分の心の内を陛下に見抜かれた様な気がした。
そしてなんというか――とても残念な気持ちになった。
迎えには来られたけれど、きっとこの状況は陛下にとってはご迷惑なのだと思ったのだ。
本当なら、直ぐに降りて歩いた方が良いに決まっている。
けれど――迷ってしまった。
(これ…早く降りて自分で歩けってことなのよね)
(どうしよう…そう言った方がいいのかしら)
でも今は何故か…このままでいたい自分がいた。
陛下に抱えられているのが、思いのほか心地よかったからかもしれない。
降りて自分で歩くべきか。
それとも――陛下の頬を傷つけた女の厚かましい願いだが…このままで、というべきか。
けれど次の瞬間陛下が
『お前が自分で歩きたければ降ろすし、そうで無ければこのままで連れていくだけだ』
そう言葉に出された時――安心した。
自分が迷惑でないと、とても嬉しかったのだ。
(嬉しくて…)
だから…このままが良かった。
*****
「――降りるか?」
マヤ王女はガウディを暫く見つめていたが、やがて無言のまま小さく首を振った。
マヤの蜂蜜色の艶やかな髪が左右に揺れて、淡い白い顔を縁取った。
そして自らの両腕を伸ばすと、おずおずとガウディの首元に回してそのままガウディの鎖骨辺りに顔を埋めた。
「…どうか陛下…このまま…」
『わたくし…このままがいいのです…』とマヤ王女が小さく呟いて、目を閉じた。
その言葉を聞いたガウディは彼女をしっかりと抱え直し、またゆっくりと歩き出した。
皇宮の長く続く廊下に、ガウディの歩くサンダルの足音だけが響いていた。
*****
それはとても妙な感覚だった。
女神様の声は全く聞こえていなかった…けれど。
陛下の首にしがみ付く様に腕を回した――その瞬間。
わたしの中で、これがあるべき姿だとカチリと何かがはまった様な気がしていた。
お待たせしました。m(__)m
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