73『ヴェガ』神の呪い ①
お待たせしました。
「早く!開けて――ボレアス!」
目の前の虫に対する恐怖の方が勝ったのか、マヤ王女はこの場にボレアスが居る事を不思議に思う暇もない様だった。
切羽詰まったマヤ王女の金切り声を聞き、ボレアスは慌てて目の前の独房の鉄柵の扉を開けようと手を伸ばした。
「ああ、無理です、ボレアス様。牢には元々鍵がかかっております」
エシュムン医師は鉄柵に掛かっている小さな鍵を指さした。
「急いで番兵から牢の鍵を貰ってきます。ボレアス様はそのままでマヤ様のお側に…」
足早に入口へと向かうエシュムンを見送りつつ、ボレアスは、独房の中で蒼白でパニック状態になっているマヤ王女を宥めようと声を掛けた。
「マヤ姫…落ち着きなさい。こんな場所に入れられてしまった経緯は後ほど聞かせて貰うとして、今エシュムンが鍵を持ってきますから」
マヤ王女は、ボレアスの言葉を殆ど聞いていなかった。
半泣きでひたすら全身を震わせながら、自分の脚元と後ろの地面を凝視している。
「ボ、ボレアス…、ゲジゲジが…お願い。何とかして…」
爪先立ったマヤの足に向かって少しずつ集まってくる虫の群れを見て、彼女は既に我慢の限界だった。
「分かりました…しばしお待ちを」
ボレアスはその場で『ヴェガ』神の祈りの文言を唱えると共に、そのまま手を伸ばした。
マヤ王女の周りでカサカサと群れる虫達の影へ『その場で留まる様に』と命令をしたのだ。
途端に足の長い虫達の歩みがぴたりと止まった。
それはまるで!ボレアスの言葉と祈りの力が届いたかの様だった。
「ほら、落ち着いて。これで大丈夫です。マヤ姫」
「ええ…ありがとう…ボレアス…」
マヤ王女は、置物の様に固まってしまった虫の塊を神経質に見つめていた。
そんなマヤ王女の様子を見ながら、
(…ハルケ山で連れて行かれた時の状況の方が、ずっと命がけだっただろうに)
『ヴェガ』神の神官は心の内で思った。
あの時の彼女は、突如現れた盗賊団に連れて行かれ、怯えてもいたが毅然と彼等に立ち向かう姿勢があったのに。
この何処にでもいる虫に対しこんなにも取り乱しているマヤの姿は、ボレアスから見れば可愛らしいが、やや滑稽でもあった。
*****
「…ではエシュムンが鍵を持ってくるまでの間、何故こんな場所に放り込まれてしまったのか、お聞かせ願いますか?」
ボレアスの問いにハッと我に返ったマヤ王女は、暫く考えている様な表情を浮かべた。
「あの…これを貴方に言っていいのか分からないの…」
背後の虫の影をちらりと見ながら、マヤ王女はポツリポツリと話し始めた。
「…でも、エシュムン様から貰ったと仰っていたから…」
「エシュムンに?」
「ええと…その、お薬を頂いたと…」
「薬?」
「あの…痛み止めと言われて。それを数粒飲まれてから、まるで糸が切れた様に深く眠ってしまわれて…」
「成程。ガウディ…様が自分で飲まれたと」
「そうです。でも…」
両手をぎゅっと握り、もじもじとしながら、マヤ王女はボレアスの顔を見上げた。
「ドロレス執政官はそれを知らなかったみたい。それで…、あの、ボレアスはその…お薬の事をご存じ…?」
不安気な表情のマヤ王女を見つめながら、
(恐らく…『ヴェガ』の呪いと言われる病にかかったガウディの痛み止めの事だろう)
と『ヴェガ』神の神官は彼女の言う『薬』のあたりを付けた。
その病は全身を少しずつ壊死させ、最終的に皮膚迄黒く染めていく病気だ。
はるか昔から『ヴェガ』の呪いとしてその病自体存在はするが、かかる者は限定的で、その発症機序や詳細は良く知られていなかった。
しかし巷で噂をされている様な、決して伝染性のある病では無かった。
何故ならその病は『ヴェガ』神の信者にしか発症しなかったからである。
*****
元々『ヴェガ』神の信者は、このアウロニア帝国内でも極僅かしかいない。
他の神と異なり、信者でありながらその事を隠して生活する者が殆どだ。
神の性質からして信者であるが故に迫害されたり、弾圧された歴史が過去にあったからである。
それでもやはり『ヴェガ』神の力を借りたいと願う人々は、世にちらほらいるものだ。
(…市井で暗殺集団を率いていたエシュムンの様に)
そして同じく『ヴェガ』神の預言者も、この世に誕生する事はごく稀であった。
ただの人間の身では『ヴェガ』神に近づけば近づく程、人間の『生』とは真逆の力を持つヴェガ神の『死』と『闇』にその身を侵されてしまう。
その為この世に誕生した貴重な預言者も、その生は短く儚く終えるのだ。
ボレアスはその当時の事を思い出していた。
ボレアス自身も地上での『ヴェガ』神殿の神官達を束ねる身として、あの時『ヴェガ』の神殿に同席していたのだった。
背が高くひょろりとした体躯のガウディは、13歳になる前に『ヴェガ』神に直々に夢で招かれ、ハルケ山の入口から地下神殿にやって来た。
そこで彼は選択を迫られたのだ。
『ヴェガ』神の預言者になり、寿命が終わるまでの短い間闇に紛れながらひっそりと暮らすか、もしくは――。
(若しくは…マルス家からアウロニア国を奪い、その手で領土を広げ、帝国の主になるか)
そして彼は結局、アウロニア帝国の皇帝になる道を選んだ。
全ては――『亡国の皇子』を完遂するために。
お待たせしました。m(__)m
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