62 ファム・ファタル ③
お待たせしました。
ちょっと長くなりました。
どうやら陛下が愛人の部屋を巡回する周期と時間は、事前に計画的に細かく決められているらしい。
愛人の立場のわたしも、その詳細は知らない。
けれどその話を聞いた時には、(まるで大奥みたい)と思ったのを覚えている。
ただしここが重要なのだが、そのスケジュール通り陛下が部屋を訪れるかどうかは、執務の状況とその時の陛下の気分にかなり掛かっているらしい。
皇后陛下を含め数十人にのぼる側妃や愛人がこの皇宮内にいるのだから仕方がないが、当然数か月もの間陛下のお渡りが無いこともある。
愛人や側妃の方の中には、まだ若い女性もたくさんいる。
それがただ陛下の訪れを皇宮内でじっと待つ日々なんて、籠の中の鳥の様で気の毒だと思っていたのだけれど。
*****
ニキアスがそろそろ帰ってくると聞いた後の頃の話だ。
不思議に思ったわたしはリラに尋ねた。
「でも何ヶ月も陛下が来ない事もあるのでしょう?皆寂しくならないのかしらね」
「その通りですけれど。まあマヤ様ったらなんて初心で…いえ、王女様というお立場でしたからご存じないのかもしれませんが…」
リラは少し呆れた様にわたしを見つめた。
そして小声になって話を続けた。
「失礼ですけれど、陛下がええと…そちら方面にはかなりあっさりと淡泊でいらっしゃるのはご存じでしょう?」
『ご存じでしょう?』と訊かれても、わたしと陛下とは実際そう言う関係にないので分からない。
「そうかしら…」
と曖昧に答えたわたしに、リラは驚く事を教えてくれた。
やっと来られた陛下のお渡りが、誰に対しても『さっさと済ませて直ぐ帰る』様なおざなりの儀礼的なものであるのは、奥方や愛人間ではかなり有名な話だった。
それでもさして不満があがらなかったのは、妻や愛人の待遇が良かっただけでなく、ある裏事情があったからだという。
*****
「実は陛下の御相手となられる女性の方々は、皆情人を持つ事が許されております」
「え…それって…」
陛下が浮気を容認してらっしゃるってこと?
リラの言葉にわたしは驚いてあんぐり口を開けてしまった。
「浮気だなんて大袈裟なものではございません。寂しい夜を慰めるひと時のお相手というだけですわ」
リラは首を振りながらあっさりと言った。
何という事だ。
(セフレやワンナイトならいいよって言ってるも同然じゃないの)
「もちろんお相手側の入念な身元調査はされますが、『健康でかつ政治介入しない相手であればある程度は良い』と、陛下から許可もいただておりますのよ」
「ま、まあ…そう。何て自由な…」
「はい。ですがもちろん御子を妊娠することは許されてはおりません。もし万が一陛下以外の御子を懐妊された場合は、直ぐに皇宮から退出させられてしまいますが…」
「そうだったのね…知らなかったわ」
(確かに何だか怪しげな会話はあったわ...)
愛人の立場になってから、わたしは皇宮の中にある豪華な婦人用大浴場に頻繁に行くようになった。
そこでは側妃の方か愛人だったのかは分からなかったけれど、数人で集まっていた彼女達は、浴場に響き渡る程の音量で、熱く激しい夜の営みについて話していた。
余りにもあの無表情な陛下と、彼女等の話しの内容が結びつかなかったからおかしいなとは思っていたのだ。
その話を聞いてなぜか心の何処かでホッとしていた。
あれはつまり自分の愛人の話しだったのだと、やっと合点がいったのだ。
(…まあわたしが前の世界で働いていた時も、似たような…『女子会』と言う名の暴露大会はあったしね)
リラは少し悪戯っぽく笑いながら言った。
「ええ、ですからマヤ様もお寂しかったら、自由恋愛をお楽しみいただいても大丈夫ですのよ」
リラの言葉に驚いたわたしは慌てて答えた。
「リラったら…わ、わたくしはいいわ。だって…」
(だってニキアスがいるもの…)
もう数週間もすれば――彼が帰ってくる。
「…と、今まではそうだったのですけれども」
するとリラはそこで居住まいを正し、何故か改まったような口調になった。
「どうやら最近は心境の変化でもあったのか、少し陛下のご様子が変わってきた様ですの」
「まあ、陛下のご様子が?」
(そう?お変わりになったかしら?)
リラの話しにわたしは内心首を捻った。
わたしの部屋を訪れる陛下の態度には、特に大きな変化は見られない。
先日も預言の話しや工事の進捗だけでは、直ぐに話が尽きてしまった。
そのままお帰りになるのかと思いきや、陛下はカウチに腰を下ろし、果物籠の中にあった大きな桃を帰る時間までひたすら剥く様にわたしに命じた。
とは言え陛下が桃を食べたいわけでは無いらしい。
陛下の意図は分からないが、装飾された爪で苦労しながら指で桃を剥くわたしを、陛下はただ無言で見ているだけだった。
(相変わらず無表情でいらっしゃるし…)
あの黒い瞳に見られると未だに動悸がして、何故か身体が硬直してしまう。
「皇宮の内情に詳しくないわたくしの父まで知っていたので驚きましたわ」
「何かご事情が変わったのかしら…」
「ええ。全く…不思議に思われませんか?マヤ様」
「え?何?一体何の事かしら?」
察するにリラに何かを(多分答えだろう)促されているとは思うけれど、全く思いつかない。
「あの、悪いけど…リラの言っている意味が、わたくし本当に分からないわ」
「まさか…本当にお気づきになられていないのですか?」
「え?どういうこと?」
(もしやあの無表情な陛下が、面白い冗談でも云う様になったとか…)
勘の悪いわたしに焦れたリラは、とうとう我慢できなくなった様に答えた。
「ここ数週間の間、陛下はほぼ毎日の様にマヤ様のお部屋に通われております。これは今までの愛人だけでなく、皇后陛下や側妃の方にもなさらなかった事ですわ」
わたしはリラの言葉に心臓を射抜かれた様な気になった。
*****
「そ、そうかしらね。それは…知らなかったわ…」
思わずモゴモゴと言葉を濁した。
(不思議に思ってはいたけれど)
敢えてその事は考えない様にしていた。
執務や会議でお忙しいはずの陛下だけど、ほんの1、2時間、何なら顔出し程度も含めればほぼ毎日来られている。
もうすぐニキアスが帰って来るという話があってからは、特にそうだ。
『ニキアスの元に帰って良い』と言った後でも、陛下は連日わたしの部屋へ訪れた。
何事も無かったかのような陛下の態度に、わたし自身どういう顔で会えばよいのか分からなかったのだが。
(そもそも陛下の態度や対応について考えても仕方が無い事…)
――わたしだけじゃない。
周りのみんなが今までの陛下の数々の言動に散々振り回されている。
*****
「まあ、御存じ無いなんて、マヤ様。とうとう陛下にも寵愛する女性が出来た。しかもそれが『皆既日食』を預言したレダの預言者だと…元老院でももっぱらの噂になっているそうですのよ」
そう言って、リラはわたしの顔をじっと覗き込んだ。
何と答えていいか分からない。
わたしはリラの視線から逃げる様に顔を背けた。
「女性として一度に複数の男性に愛される事はとても幸せな事ですわ。そして時に女もまたそうなる事も…マヤ様、片方の男性がお側にいないのなら尚更…」
リラの言葉が見えない刃の様にわたしに突き刺さった。
(彼女が言っているのは陛下の事だけではない)
彼女はニキアスが居ない数か月のうちに、わたしのが心変わりしたのではないかと思っていのだ。
ここ数週間のあいだ――。
部屋にいつ来るか分からない陛下をリラや衛兵に『いつ来られるのかしら?』と確認したり、予定の時間の大分前から部屋を整えて身支度をして待っている事を、きっと彼女は言っているのだ。
(別に心待ちになどしていないわ)
わたしにはニキアスがいる。
それに部屋に来られた陛下とひらすら地図とアウロニアのミニチュアを見て話しをして、いつも訪室が終わる。
時折陛下がわたしを見つめる視線は感じても。
(わたし…何も思ってないわ。顔が赤くなるのはきっと…)
陛下に見られて――いつもとても緊張するからだ。
以前に比べてずっと距離が縮まった気がするのも
(わたしの気のせい…)
わたしは何故か必死になりながらリラに説明をした。
「リラ待って、違うわ。それは誤解よ。陛下がこの部屋に来られる目的は違うし、それはわたくしも同じよ。以前のレダ様の預言の内容を二人で確認して、これからの計画を…」
「マヤ様、何が誤解なのかわたくしには分かりません。それに…申し訳ありませんが、わたくしはその様な陛下とのお話の詳細を聞けるような立場ではありません」
「ねえ…リラ、わたくし達本当に、本当に何もないの。本当に…」
(愛人の立場と言っても、皆の噂になる様な関係じゃないわ)
陛下はわたしに手を出さない。
陛下自身がこの部屋に移った際、約束もしたのだ。
ふと『レダの預言者』だった時のあの夜の記憶が一瞬思い出された。
陛下に抱えられ、わたしが半裸で眠っていた時の事だ。
首を噛まれて…何故か身体の至る所に噛み痕が残っていたけれど。
(あの時は、何も無かった)
エシュムン様もそう言っていた。
(そうよ)
倒れたわたしを陛下が看病してくれただけなのだ。
*****
モヤモヤする気持ちを振り切る様に、わたしはリラにきっぱりと云った。
「リラ…陛下にとってわたしはニキアスの人質で、多少は使えるいち預言者だったに過ぎないと思うわ」
自分でこんな事を言っておいて何故か胸がチクリと痛んだけど、実際そうなのだ。
陛下の周りには他にもお抱えの預言者はいるし、多分わたしよりも優秀で、相応しい立場の預言者はいるだろう。
そもそも陛下御自身が明確に信仰する神を掲げていない。
(もともと神様に縋るような性格では無いし…)
リラは頷づく様に首を振った。
「わたくしも以前まで、陛下がニキアス様への楔としてマヤ様を皇宮内に留めていると考えておりましたが…最近は…」
「その通りよ。わたくしはニキアスへの人質。だけど陛下は…」
「陛下は…ニキアスの元にもう帰っていいと仰ったの」
わたしの声がリラの言葉を遮るように響いた。
「…マ…」
いつになくわたしの強い口調に気おされる様に、リラは口を噤んでしまった。
「陛下自身がハッキリとそうおっしゃったという事は…わたくしはもう皇宮にとって…不必要な存在だという事よ」
(陛下がニキアスに弑逆され、そのニキアスもギデオンに倒される)
蝗害の広まったアウロニアは民同士の争いが激化し――ギデオンに因る軍の投入で大地は広く焼け野原になり、ギデオンはアウロニア帝国の新しい王になる。
これ以上の小説『亡国の皇子』の未来を知らないわたしだ。
そして今は――レダ様への誓いすら捨てようとしている。
(これからは女神様の預言者でも無くなる)
そうしたら女神様の声を聞くことは無くなるのだろう。
そして女神の干渉が無い代わりに、未来視も出来なくなる。
わたしの『預言者』としての存在意義は無いに等しいのだ。
「……マヤ様」
「…帰るわ。ニキアスのところに」
「マヤ様…わたくしは…」
「陛下とは…何もないの。これ以上ややこしくしたくない…」
一瞬複雑そうな表情を浮かべたけれど、
「…承知致しましたわ、マヤ様。わたくし」
リラは直ぐに切り替える様に、またテキパキと自分の仕事へと戻った。
(…そうよ。今はこれ以上、深く考えたくない)
わたしは皇宮を出る。
その後の陛下が、アウロニアが一体どうなってしまうのかは――皇宮を出てしまうわたしにはきっと関与出来ない。
その場に残されたわたしの胸のモヤモヤはしばらく晴れなかった。
お待たせしました。m(__)m
読んでいただきありがとうございます。
ブックマーク・評価いつもありがとうございます!
なろう勝手にランキング登録中です。
よろしければ下記のバナーよりぽちっとお願いします。




