61(幕間)死神の預言者 ②
お待たせしました。
ガウディ皇帝の話しになります。
薄闇の中――しっとりとした重みを感じる。
柔らかな女の身体が俺の上に乗っている。
これは
(いつもの夢か)
白黒の世界の中でいつも同じ女が登場する…幼い頃から何度も見る夢だ。
この味気ない視界の中、目の前の女だけが何時も何度も色鮮やかに存在する。
艶やかな蜂蜜色の金髪が目の前に浮かび上がり、潤んだ碧い瞳は物言いたげに俺を見上げている。
花びらの様な唇が開いて桃の様に甘い吐息が掛かり、女は俺に何かを話しかけた。
俺は手を伸ばし、その白い顔を両の手の平で挟んだ。
いつもは花が咲く様に艶然と微笑むのが、今回は何故なのか驚いた様に少し目を見開いた。
『…へ…か、…レダ様…は……ん…』
困惑した表情を浮かべたまま女が何かを言っている。
次の瞬間――色鮮やかな女以外は色の無い視界がグルグルと周り始め、すぐ暗闇に吸い込まれる様に何も聞こえなくなった。
そうだ。
女の名前は『レダ』
この世界で一番美しい女。
俺の運命の女。
*****
この世に生を受けた瞬間から、ガウディは『気味の悪い子』と言われていた。
それは生家の使用人だけでなく、自分の実父もまたそう言っているのをガウディ自身が何度も聞いている。
それは決して母エレクトラの胎内にいる時からの記憶があった、と言う事だけではなかった。
生まれた時からガウディには不思議なものが見えていて、何も無い空中を目で追ったり指差したりをして、その当時より気味悪がられていたのだ。
ガウディにだけ見えるそれは、突如何もないところから現れ、対象に纏わり付く。
一見すると、塵の様に小さな黒い羽虫の集団だった。
幻覚ではない。
それは必ず特定の条件下でのみ現れた。
そして時にそれと同時に不可思議な映像が見える事も頻繁にあった。
生まれた時から見えていたものが実は他の者には見えないものだと、ガウディは程なくして覚った。
自分は『普通の人間とは違う』と言う事もまた分かっていた。
そしてそれ以降――注意深い彼は、他人に不思議な物が見えるという事を話さず、見える素振りも出さない様になった。
それは『レダの預言者』とも噂される母にですらそうだった。
*****
栗色の髪と明るい瞳の美貌を持つドリスは、小鹿の様な可愛らしい印象を持つ若い奴隷上がりの侍女だった。
彼女は女主人エレクトラに向かって訴えていた。
「申し訳ありませんが、もう我慢できません。ガウディ様は手当たり次第庭の虫を集めて、虫かごに閉じ込めているのです。一体何が目的で、あんな惨い事を…」
「まあ、ドリス。大袈裟だわ…あの子はただ虫を集めているだけじゃない。まだ小さな男の子なんだから…」
「奥様、違います。わざと大きなカマキリをバッタや蝶と一緒に閉じ込めていらっしゃるのです。カマキリが籠の中の虫を次々と食い尽くす様を楽しんでいらっしゃるのですわ。それに死んだ虫を集めて並べてたり…」
この邸の女主人は身体を震わせながら訴える彼女を一瞥し、興味無さげに鼻を鳴らした。
「ねえ…ドリスの話は本当なの?ガウディ?」
「はい、本当です。母上、大方は」
母親の呼びかけに年のわりにひょろりとして背が高く、チュニックにサンダル姿の少年が柱の影のからスッと現れた。
少年特有の高い声だが、無表情で、黒い瞳はもっとずっと年を重ねている様に見える。
完全に気配の無かったガウディ少年の姿を確認した若い侍女は、『ひっ』と小さく悲鳴を上げて青ざめて、じりっと後退りした。
まさか当の本人に話しを聞かれているとは思わなかったのだろう。
「何故そんな事をしたのかを母に教えて?」
「庭にいる虫の中で、どれが一番強いのかに単純に興味があったので」
ガウディは母親にそう端的に答えた。
エレクトラは『そう、成程ね。分かったわ』と頷いた。
そして呆然と立ち尽くすドリスの方へをくるりと振り向くと
「…ですって。ドリス分かった?大した事じゃ無いわ」
と言って『これで終わりよ』と両手を合わせて叩いた。
「くだらない話だわ、全く。たかが庭にいる虫の話しじゃないの。そんなことよりもドリス…お前に聞きたい事があるのよ」
エレクトラは成人したばかりのすらりとした姿の侍女を、鋭い視線でちらりと見た。
その時真っ黒いガウディの瞳は、虚空から黒い靄のような小さな黒い虫の塊が出現するのを捉えた。
(ああ、またか)
ある場面の時、それは必ず現れる。
邸宅から見下ろせる城下街の空には、常在するかのようにそれは大量に浮かんでいるし、自宅の庭の彼方此方から細い煙の様に立ち上がるのも見える。
先日ガウディが大量の虫を籠の中に入れてから間もなくしてそれは生まれ、時に今の様に邸内でも出現する。
ガウディにとっては、これまで数知れず日常的に見ている光景である。
そして、今その黒い小さな虫の塊は渦を巻く様にゆっくりと旋回した後、若い侍女ドリスの心臓の辺りに真っ直ぐに吸い込まれて行った。
「…では母上これで失礼致します」
その場を去るため、ガウディは二人の前で礼儀正しく挨拶をした。
自室へと足を向けたその時、ガウディの脳裏にフラッシュバックの様にある場面がはっきりと見えた。
細い刃物が、深々と――ドリスの胸に突き立っている光景である。
そしてまたガウディは知っていた。
目の前のテーブルの上にある果物籠の中に、果実を剥くための小さいが刃の鋭いナイフが入っている事を。
立去るガウディの背中を追いかける様に、母の問い詰める鋭い声が聞こえる。
「お前…わたくしの夫と寝ているわね?」
「それは…誤解ですわ、奥様。そんなことは…」
「わたくしが何も知らないと思っているの!?ただの奴隷だった身分を夫がわざわざ引き上げてここで働かせているのを…」
「お、御赦し下さい。け、決してわたくしからではありません!大公様が、わたくしを…」
「わたくしに『赦して』ですって?たかが使用人の分際でなんて図々しい女なの…!?」
母のヒステリックな叫び声とドリスの弱々しい泣き声が部屋に響いている。
(どんなに懇願しても母上は決して容赦しないだろう)
父を愛しているのかは甚だ疑問だが、奴隷上がりの女に寝取られるのは母自身のプライドが許さない。
彼女にとって邸内の奴隷や使用人など、庭にいる虫と大差が無いからだ。
(もう事の顛末は予想できるが…)
あの若いドリスの姿は消えるだろう。
壁に飛んで床に滴り流れた血は、綺麗に掃除されて跡形も残らない。
父もきっと彼女が居なくなった事を長くは気にしまい。
一時の情事に選ぶ相手は、腐る程邸内に転がっているからだ。
ガウディ自身もいち侍女の行く末に興味が無かった。
「お助け下さい!赦して!」
と引き裂く様な細い女の悲鳴が背後で聞こえた気がしたが、ガウディは振り返らなかった。
それよりも今の彼にとって、最近頻繁に夢に現れる――母と同じ色の髪と瞳の、甘い花の香りのする女の正体の方が、ずっと気になっていたのだ。
お待たせしました。m(__)m
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