59 ファム・ファタル ①
お待たせいたしました<(_ _)>
マヤの耳には老人の声と陛下の声がまるで副音声の様に二重に聞こえた。
「この帝国は滅ぶ」
「それはたとえ神ですら変えられぬ『運命』……」
(どこかで聞いたことのある声…)
確かに聞き覚えがある声なのに、何故かマヤ王女には思い出せなかった。
何故か頭にぼんやりと霞が掛かってしまったかの様に、そのひとの事が思い出せない。
アウロニア皇帝は壁に掛かったレリーフの赤い石に目をやった後、小さく溜め息を吐き、呆然としたままのマヤを見下ろした。
「…そういう事になる、そうだ」
(そうだ?)
「陛下、あの…それはどういう意味なのですか?」
「…ただの老人の与太話だと思っていれば良い。お前は間もなく此処を去る身なのだから」
ガウディは煩わしい内容の世間話をやっと済ませたのようにカウチに寄りかかると、長い足をまた組み変えた。
マヤにとって老人の声とガウディ自身の声が二重に聞こえたりする事はおなじみの不思議現象のひとつだったが、それよりも――。
(何かおかしいわ…何故陛下の顔色がこんなに悪いの?)
マヤ王女にはガウディの蒼白ともいえる顔色の悪さと、いつもはしない――片手で腹部を押さえている様な仕草が気になった。
良く見ればガウディの額には、小さなあぶら汗の様なものがふつふつと浮かんでいるではないか。
「へ、陛下どうかされました?…大丈夫ですか?」
「騒ぐな。大事ない」
「お待ちください、今衛兵を…」
「呼ぶな。最近…よくある事だ」
「さ、最近?で、ですが...」
『帝国の終わり』云々の深刻で重大な話を置いておいても、激務による過労や睡眠不足がたたっているのかもしれない。
明らかに辛そうなのを全く表情や態度に出さない様に耐えているのも、何だかおかしかった。
マヤは、部屋の奥にある豪華な天蓋付きの寝台に目をやった。
そこは大の大人が三、四人は寝れそうな広い寝床で、マヤがこの部屋に移ってからというものずっと一人で寝ていた場所である。
なぜこんな行動を自分が取ったのか、マヤ自身にも分からない。
マヤはスッとガウディの足元にかがむと、そっと白く冷たくなっているガウディの手を両手で包んだ。
「あの、わたくし…陛下のお身体が心配ですわ。少しでいいからどうぞ横になってお休みくださいませ」
*****
蒼白でふらつきながらも立ち上がったガウディは、マヤに手を引かれながら、ゆっくりと豪華な寝台に大人しく付いて行った。
ガウディが長身を気だるそうに横たえたのを確認したマヤは、『御召し物とお履き物を失礼いたします』と、皇帝が身に付けていたトーガとサンダルを手早く脱がせた。
ガウディが水差しを指さした。
「…水を汲んで、ここへ」
苦痛の滲む声だった。
「はい。今直ぐ…」
部屋の水差しからゴブレットに水を汲むと、マヤは急いで寝台に横たわるガウディの元へと戻った。
「薬を…飲まねば」
肘で少し身体を起こしながら、ガウディは小さく震える手で懐からピルケースの様な小さな銀箱を取り出した。
そして妙な匂いのする黒い丸薬を2、3粒手の平にのせた。
(いったい何のお薬かしら…)
ツンとする刺激臭と甘い匂いに、マヤは思わず鼻に皺を寄せた。
「これは…何のお薬でございますか?」
「エシュムンが調合した痛み止めだ…良く効く」
(痛み止め?…どこか痛みということ?)
するとガウディは丸薬を一気に口に放り込んだ後
「…水をくれ」
とマヤに向かって手を伸ばした。
「はい…こちらですわ」
マヤがゴブレットを渡そうとすると、ガウディの震える指先が宙でぴたりと止まった。
水を見ながら僅かに躊躇するガウディを見た時、マヤはハッと気が付いた。
(そうだわ…陛下は全ての飲み物、食べ物に気を遣っていたっけ)
皇帝ガウディは基本自室での食事以外はしない。
王にしては珍しく『食』に興味が無いのか、大量の豪華な珍しい食材の並ぶ宴の席でも、吐いてまで食べる他の元老院の貴族等とは異なりほんの少量しか口にしなかった。
しかも自分の皿の物は取り分けておいて、事前に毒見をしておくのが通例だという念の入れようだ。
ガウディ自身、毒への耐性をある程度付けている噂もあるが、過去何度も毒を盛られた経験がある皇帝は疑り深くなっている。
「…確認いたしますわ」
マヤの部屋でわざわざ水差しに何か混入する人物もいないだろうが、確認しなければガウディは水を受け取りそうになかった。
マヤは持っていたゴブレットを傾けると、中の水の匂いを嗅いで躊躇いなく口に含んだ。
無味無臭――当たり前だが、ただの水だ。
何も無い事を確認したマヤは、そのままゴブレットをガウディの目の前に渡した。
「どうぞ陛下。安全ですわ」
そう言いながら、ゴブレットを再度目の前に渡すマヤをガウディは見つめた。
小刻みに震える手で皇帝は水の入ったゴブレットを受け取った。
マヤに手を貸して貰いながら妙な匂いのする丸薬を飲んだガウディは、小さくため息を付いてまた横になった。
余りに体調の悪そうなガウディの様子を見たマヤは心配になった。
(どうしよう、このご様子...。直ぐにエシュムン様を呼んで来た方がいいんじゃないのかしら…)
「あの、陛下…やはりお医者様を呼んだ方がよろしいのでは…」
「医者…エシュムンの事か?」
「はい、今お呼びしますので、しばらくお待ち下さ…きゃっ…」
マヤが踵を返した瞬間、何かにグイと引っ張られてしまった。
後ろを振り向くとガウディが長い指でマヤの手首を掴んでいた。
*****
「行くな」
わたしの耳に陛下の低く掠れた声が届いた。
見れば陛下の指がわたしの手首をしっかりと掴んでいる。
「ですが陛下…」
『このままでは…』と言いかけたわたしは、小さく悲鳴を上げた。
グイと腕を引っ張られ、陛下の身体の上に倒れ込んでしまったからだ。
「…無駄足になる」
頭の上から陛下の低く掠れた声が聞こえる。
「へ、陛下?…」
「エシュムンを呼んだとて同じ…あ奴もこれ以上は…何もできぬ」
「でも…」
「このまま動くな。暫し時が経てば治まる…」
慌てて陛下の身体の上から起き上がろうとしたわたしを、陛下は長い腕で再び抱きしめた。
「…余に…同じ事を二度言わせるな、預言者」
「は…は…い…」
小さい声だったが陛下の命令だ。
わたしはそのまま従うしかなかった。
*****
どれくらい時が経ったのだろう。
何時の間にか陛下の手はわたしの背にしっかりと回されていた。
(そろそろ…夕食の時間になってしまうわ…)
このままではまずい事になるんじゃないか?
思い出すのは――やっぱり以前、わたしが陛下の書斎で倒れた時の記憶だ。
(確か…とても恐ろしい『預言』の言葉を陛下に放って、倒れてしまったんだっけ)
あの時わたしは陛下の寝室でいつの間にか眠っていた。
しかも半裸で。
(でも…あの状況と今は違うわ)
あの時はわたし自身が目が覚めてからパニックに陥ってしまったし。
(でも)
女神様の干渉で自分で自分がコントロールできない時に、陛下が側に居た。
いや――居てくれたと云うべきなのか。
エシュムン様には『何もなかっただろう』と太鼓判(?)を押されたけど、陛下と一晩一緒にいたのは否定できない事実だけど。
(お辛いのは…消えたのかしら?)
そっと見上げると、陛下は目を瞑っているようだった。
(まさかあのまま眠ってしまわれたのかしら?)
規則正しく上下している胸の動きを見れば、すでに陛下が眠っている様に見えるけれど、その手はわたしの背中をしっかりと抱え込んでいる。
(…温かい)
陛下の胸に寄せた耳から、トクトクと早い心臓の音が聞こえてくる。
(不思議だわ…何か懐かしい気がする)
懐かしい?
(いままでこんな風に添い寝したことなんかないのに)
この感情は一体何なのだろう。
(懐かしいというか、既視感があるんだわ)
遥か遥か遠い昔に。
ここでは無い別の場所で。
たくさんの月が並び、星の瞬く『囁き』の神殿で。
(ああ…なんでこんなに眠たくなっちゃうの?)
ふんわりとした多幸感に包まれながら、このまま眠ってしまいそうになる。
*****
小さく呼吸を繰り返す音が陛下の薄く開けた唇から漏れている。
(当り前だけど…陛下も人の子ね)
ニキアスの時は直ぐに小説通りの人物では無い、と感じたけれど。
ガウディ=レオス皇帝については、何もかもが『亡国の皇子』に書かれていた人物と同じ――冷淡で非情かつ人間味が全く無かった。
踏み込むのは非常に危険な人物であり、近寄ればこちらが傷つけられるどころか最悪殺される可能性だってある。
(実際わたしだって…アウロニアに来てから陛下に身体を奪われた)
急にあの時のことを思い出したわたしは、身体が強張りかあっと熱くなるのを感じた。
一瞬だけあの時の様々な感情が蘇る。
(あれがなければ)
あんな事が無ければきっとわたしは皇宮で預言者になろうとは思っていなかった。
(そうだわ…)
『小説の内容さえ分かっていれば何とかなるかもしれない』と思っていたわたしの甘い考えを完全に壊されたのは――まさにあの瞬間だった。
そう思うとスッと急に身体が冷えていく。
「…どうした…」
ふと頭上より陛下の声が聞こえた。
先程よりも大分陛下の声がしっかりしている。
(…少し良くなられたのかしら)
「良かったですわ、陛下…目が覚め…」
陛下の顔を見上げようとした瞬間、いきなりグイと上――陛下の顔のほうへと引き上げられる。
気が付けば、わたしは陛下を見下ろす様な形で、陛下の黒い瞳と目を合わせていた。
目の前にある陛下の顔色はさっきに比べれば大分良いけれど、心なしか陛下の表情がぼんやりとしている様な気がする。
よく見ると微妙に目の焦点が合ってない。
(あら…?)
「陛下、お加減は...」
「…何を考えている?」
陛下はそう言いながら、わたしの顔に掛かる蜂蜜色の髪の束を優しく持ち上げて、そのまま顔の周りに丁寧に撫でつけた。
「へ…」
(陛下?)
一体陛下はどうしてしまったのだろう。
今までとあまりにも対応が違い過ぎる。
愛しそうに頬を優しく何回か撫でた後、親指の先でわたしの唇にそっと触れた陛下は、そのままわたしの瞳をじっと覗き込んだ。
――まるで。
「今日もお前は美しい。お前がここで見つめているのが誰なのかを…俺に教えてくれ」
(まるでこれじゃあ…)
わたしの心臓が大きく鳴った。
「…愛しのレダよ」
「は…?」
(レダ?)
――レダ様?
お待たせしました。m(__)m
読んでいただきありがとうございます。
ブックマーク・評価いつもありがとうございます!
なろう勝手にランキング登録中です。
よろしければ下記のバナーよりぽちっとお願いします。




