57 神を捨てる ②
大変お待たせしました。
本当に申し訳ありません…m(__)m
それは少し前の事だった。
陛下の愛人になり部屋を移ったわたしに陛下は言った。
「ここは安全地帯だ。お前の身を守るためにある」
「そうなのでございますか…」
わたしは陛下の言葉に曖昧に頷いた。
(安全地帯とは…どう意味かしら?)
皇宮内である以上もちろん警備は万全だろう。
陛下自身はもちろんの事、周りの人々も厳重に守られているに違いないのだけど。
けれど陛下は何故か壁のアウロニア帝国のレリーフ――ウロボロスの様な巨大な蛇の中央に赤い石が埋め込まれている――を見上げている。
「この石がお前を守るだろう」
「あの…石が…?」
もちろん気付いている。
あの石だ。
あの陛下の私室の応接間に置いてあった赤い卵型の石と同じ種類のものだ。
こちらの方がずっと大きいサイズではあったけれど。
宝石の一種だと思っていると気付かないものだが、陛下に言われてから皇宮内を意識して歩いてみると、実は皇宮内の至る所にその石がひっそりと装飾品に紛れているのを度々発見する事が出来た。
何とも表現が難しいけど、巧妙に宝石に擬態させてはいるが人に発見されにくい隠しカメラの様な絶妙な位置に配置されていたのだ。
(あの石に何の力があるのかしら?)
『この石がお前を守るだろう』
一体何からわたしを守るというのだろう?
わたしは質問も出来ずに、石をじっと見上げる陛下の横顔を見つめていた。
*****
ここ数日間わたしは悩んでいた。
(この世界に来てから少しずつ始まっていたんだわ)
わたしは自分の頭の中で響く女神の声――あれが正しい場所に導いてくれる天からの啓示だとすっかり信じ切っていた。
そして以前に読んでいた『亡国の皇子』の記憶と女神の声を聞いて、自分がこの世界で生き残るために『かつての幼馴染ニキアスに殺されるという結末にならない様に』と考えてずっと動いてきた。
この世界で初めてあったニキアスは、過去あんな酷い仕打ちをマヤにされたにもかかわらず優しかった。
盗賊団というかアナラビに拉致された捕虜に過ぎないわたしを必死に追って取返しに来てくれた。
わたしが宿る前のマヤ王女は、実際本当にニキアスを心の底から愛していたに違いない。
だからこそ同じ身体に入ったわたしも同じく彼を大事にしたい、と思う様になった。
(ニキアスはわたしの事を愛してくれている…)
結論から言えば、わたしがニキアスにアウロニア帝国に帰る道中で殺される事は無くなったし、帝国に戻ったニキアスが色々な理由で罰せられ、ガウディ=レオスを憎み弑逆する未来は一見無くなったかのように思えた。
そしてその後起こった『皆既日食』を、天からの啓示では無くただの『自然現象だ』と帝国の第三者機関と天文学者と共に証明した事で、所謂『不吉な神からの預言』という概念を変えることに成功した――と思う。
『安心した』
『何事なく済んだ』
と思っていたけれど。
(けれど)
アウロニア帝国の地に来てからわたしの頭の中の女神様の声が益々大きくなるのを感じる。
以前に比べて明らかに以前の預言者(その中には多分陛下の御母上様も含まれている)や、まだ存在しない記憶(未来?)を何度も夢に見てしまう。
自分が自分でなく、このまま別の何者かになってしまうかもしれない。
そんな恐怖を常に感じる今――。
(このまま皇宮にいれば...)
レダ神の執拗な干渉に襲われることは外に出るよりもずっと少ない筈だけど。
(そんな悠長に構えている場合でないかもしれないわ)
すでにアウロニア帝国そのものがわたしにとって危険な場所だという事が薄々と感じられてきたのだった。
*****
わたしはレダ神の声を聴く『預言者』だった。
そして同時に女神の操り人形の様に知らず知らずのうちに動かされていたらしいことを知ってしまった。
どうやらそれから解き放たれる方法は一つしかない様だ。
『女神と決別する』
わたしがこのままわたしでいる為にはその選択しかないのは分っていた。
*****
わたしは朝日の差す部屋で天蓋付きの寝台からのそりと起き上がった。
部屋付きの奴隷が持ってきた冷たい水で顔を洗ったけれど、なかなか頭はスッキリしなかった。
(連日考えすぎてあまり眠れない…)
わたしの傍らに立つリラは、身支度様に何枚か鮮やかな色の絹のチュニックを持っている。
それを見てわたしはリラに尋ねた。
「…今日も陛下が来られるのかしら?」
陛下はここ数日足繫くわたしの部屋を訪れているのだ。
「はい。後ほど来られるそうです」
「そう…」
そのまま手鏡を覗いて少し隈の出来ている顔色の悪い自分の顔を確認すると、わたしは小さくため息を吐いた。
「…では早めに支度を済ませましょう。目の下の隈を何とかしなきゃ…」
リラは少し驚いた様にわたしを見ると頷いた。
「…勿論分かっております。入念にマッサージをしてからお化粧を致しましょう」
*****
「ニキアスが戻ってくるのに数週間かかるそうだ」
そう言うと、陛下は珍しく音を立てながらカウチへと腰を下ろした。
公の時と異なり、意外にも普段の陛下は黒に近い濃紺のチュニックとトーガを巻き付けただけのシンプルな恰好を好み、他の貴族の様に華美な宝飾品は身に付けることが無かった。
その為か左の耳介に見える例のあの赤い石だけが、鈍い光を放っている様に見える。
細長い足を無造作に組んでいる陛下のお姿はいつもと変わらずだが、若干顔色が悪く気怠げな様子だった。
いつもの毅然と近寄りがたい雰囲気の陛下とは異なり、疲れ果てている表情である。
(公務がお忙しいようだけれどきちんとお休みになられていらっしゃるのかしら?)
何故だか分からないけれど、陛下の様子が気になってしまった。
「あの…」
「何だ?」
わたしはそっと陛下の左横に腰を下ろし、陛下を見上げた。
『きちんとお休みになられてますか?』
そんな質問をしようとした代わりに、わたしの口から出たのは思っていたのとは違う言葉だった。
「本当に…よろしいのですか?陛下」
「何がだ?」
「わたくしが…本当にレダ様への信仰を捨てて、ニキアスの元に戻る事です」
陛下はしばらくわたしを見つめていた。
それからわたしからスッと目を反らすと、ゆっくり口を開いた。
「構わんと言った筈だ」
部屋の床に敷かれた鮮やかなモザイクタイルが陽を浴びてきらきらと光って見えた。
壁面に描かれたフレスコ画には明り取りの窓からの光が降り注いでいる。
違和感というべきだろうか、穏やかな午後の光の降る部屋の中で隣に座る顔色の悪い陛下の様子が何だかマッチしない。
「お前がレダを…信仰を捨て、『戦の褒章』としてただの女の立場でニキアスの元に下るのであれば、余は特に異論はない」
「次のレダ神の預言者がいない事は…その、帝国的に…大丈夫なのでしょうか」
「それはお前には関係の無いことだ」
陛下はそのまま視線を目の前にある精巧なアウロニア帝国の国土のミニチュアに移した。
『お前を任命したのは余だ。その任を解く権限も同様に持つ』
と陛下は言うと、そのまま長いため息を吐く様に言葉を続けた。
「お前がニキアスの元で信仰と政治には関わりを持たないと決心したならそれで良い。ゼピウスの王女と『レダの預言者』の名を返上し、ただの『マヤ』として…アウロニアのいち市民としてニキアスの元でひっそりと平穏に暮らせ」
「陛下…」
陛下の言葉でじんわりと胸の奥が熱くなった。
(わたし…陛下の御人柄を誤解していたのかもしれないわ)
実は下々にお優しい方なのかもしれない。
ただ残酷で傲慢で冷血な覇王なのでは無く――。
と思った瞬間、陛下の口からザリザリとした声で衝撃的な言葉が飛び出し、わたしの考えが甘く判断が早かった事が分かってしまった。
「…帝国が滅びゆく僅かな時間を、な」
お待たせしました。m(__)m
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