43 皇帝の愛妾 ③
お待たせしました<(_ _)>
ガルデニアはくちなしの事を指します。
くちなしの実とは、おせちの栗きんとんの色付けにも使われるアレです。
クルキタはクッションの事です。
衛兵のみを連れた陛下は、背の高い痩せた身体に、白いシンプルなチュニックと平民の様なシンプルなサンダル、落ち着いた赤色のトーガを纏っていた。
ゆっくりと部屋の中に歩いて入って来ると、すぐに人払いを命じた。
移ってきたばかりの豪華な部屋に、あっという間にわたしと陛下の二人だけが、取り残される事になった。
「あの…な、何かご用でしょうか…」
自分でも分かる位、わたしの声はとても警戒して緊張していた。
(まさか…ここでいきなり押し倒される様な事はないわよね)
『そんな事は無い』とは分かっていても『万が一』という可能性に、顔から血の気が引いてしまう。
「部屋の中に戻れ。顔色が悪い」
陛下は低い声でそう言うと、あの鮮やかなクッションの置いてある長椅子までわたしの肩を手で押しながら歩いた。
「座れ」
「……」
「座れ。余に二度同じ事を云わせるな」
「…は…はい」
わたしが落ち着きない様子で長椅子に腰かけると、陛下はわたしを見下ろしながら、ひび割れた声で尋ねた。
「もう部屋の中は見たか?」
「あ…いいえ、まだですわ。今さっき移ってきたばかりで…」
「……」
「……」
それ以上会話が続かない。
暫く何とも言えない様な無言の時間が流れていく。
(ええと、何か言わなくちゃ…)
「あの…でも、こんな素敵なお部屋を用意して頂き…その、ありがとうございます」
焦って答えるわたしの台詞を小首を傾げたまま、陛下は無表情で聞いていた。
それから続けて話し始めた。
「…ちなみにお前の今座っているその長椅子は特注品だ。お前の瞳の色に合わせて座面も張り直している。クルキタのカバーはガルデニアの花の実を使い絹を染め抜いたものだ」
気持ちにゆとりが無さすぎて、部屋の中どころか、さっきからずっと座っていた長椅子にすらわたしは注意を払えていなかった。
陛下の言葉を聞いたわたしは、改めて自分の座っている長椅子を見た。
とても珍しい...ベンチ型では無く、カウチソファに似ているデザインの椅子だ。
実はこの時代の長椅子の殆どが『トリカリウム』という平たいベンチ型に枕や肘置きのついているスタイルのものが殆どだ。
けれどこれは――椅子の木組みは真っ白で、笠木や背柱・座枠やアーム部分優美な曲線で仕上げてあり、細やかな彫り細工がしてあった。
おまけに背もたれと座面には、フカフカした艶やかで鮮やかな碧い生地が張ってある。
その上にまた羽毛で出来ているであろういくつものクッション(クルキタ)の高級な絹でできたカバーは、ガルデニアの実の鮮やかな黄色だ。
全体的に白と鮮やかな碧と黄色でまとめられた美しい椅子だった。
明らかにこの時代よりずっと進んでいる時代の長椅子のデザインで、まさに『特注品』といわれる言葉の重みがある。
(驚いたわ。適当なお部屋や調度品をあてがわれた訳ではないのね…)
むしろ自然が多く描かれた壁のフレスコ画や、鮮やかで華やかなモザイクタイルに覆われている部屋は、『わたしに気を遣って…なのかもしれない』と思うと、なんとなく居心地が悪い様なむず痒い気持ちになってしまう。
「あの…本当に、素晴らしいお部屋をありがとうございます。嬉しく思いますわ」
わたしはようやく口に出した。
*****
陛下の表情からは、全く陛下の心の内は読めない。
暫くして陛下は、そのまま長椅子の端に浅く腰を下ろした。
「聞け。お前をここへは置くが…余はお前を愛妾として囲うつもりは無い。少なくとも今のところは」
「…え?」
(愛妾として…扱わない?)
今のところは…は、気になるけれど。
(…本当かしら?)
「面向きはお前の立場は余の『愛妾』だ。ただし、愛妾では無くレダ神の預言者としての仕事をきちんと努めてもらう。いちいち議会を通し元老院らの意見を聞いている後ほど、今の余に時間は無い」
陛下は壁の帝国のレリーフを見つめながら、話し続けていた。
「後ほどこの部屋へ帝国の領地の模型を運び入れる。
既にバアルには、気になる地域への現地調査と水害の対策を講じて一応護岸工事をする計画の手続きはしている。同時にお前が先に預言した『蝗害』の詳細をもう一度検討する。帝国の備蓄も間に合う様に再度計算をさせてはいる。
必要であれば再度検討する必要があるが…全て間に合うかどうか分からん」
わたしは陛下をぼんやりと見上げた。
わたしの間近で陛下がこんなに一気に話しているのを、初めて見たからかもしれない。
「理解したか」
「え…」
「返事は?」
「は、はい…分かりました」
*****
翌日早々に数人の衛兵と奴隷達によって巨大な模型がわたしの部屋へと運び込まれた。
「これは殆どが陛下がつくられたものだそうです。どうかお取り扱いにはご注意を」
「陛下が…これをおひとりで?…まさか」
わたしは驚きの声を上げた。
余りの精巧な出来栄えに、専門の職人に作らせたのかと思ったのだ。
以前陛下のお渡りの時に見た精巧なミニチュアのアウロニア帝国の領土の模型にとても似ていたが、もっと大きくて、美しい床の装飾をかなり覆ってしまう規模のものだ。
一人で作り上げるには、かなり時間も手間もかかっただろう。
「ほとんどお一人でですよ」
衛兵の言葉に、わたしは陛下の自室にあった標本の部屋を思い出した。
(そう言えば…細かな作業をお部屋でやっていらっしゃったわ)
鮮やかな宝石箱の様に、色とりどりの虫がきっちりと並べられ展示してあった標本箱――あれも陛下がお一人で作っていたのではないか?
同時に、あそこにあった巨大ゲジゲジの箱の事も同時に思い出して、わたしは一瞬身震いをしてしまった。
「どうかしましたか?」
「いいえ…なんでもないわ」
その時ふと部屋の奥に目をやった衛兵の一人が、置いてあった白い優美なデザインのカウチソファを見ながら言った。
「ああ…あの椅子は結局マヤ様のものになったんですね」
「…椅子…あのカウチの事?」
「あのきみょ…いや、大変独創的なデザインの椅子も陛下が殆どお一人でお作りになったんですよ」
「…え?それってどういう意味ですの?」
わたしの質問を別の意味にとらえた衛兵は、慌てたように答えた。
「ああ、いえ…大変素晴らしい…カテドラ(肘掛け無し椅子)とトリカリウム(寝椅子)が合体した様な斬新なデザインですよね。流石陛下がお作りになった大変唯一無二な作品です」
「いえ、ごめんなさい。そう意味ではないわ。まさか…あの椅子も陛下がいちからお作りになったって事なの?」
発言を咎められたと思った兵士は、わたしの言葉に安堵した様な表情で答えた。
「ええ…そうです。こちらは椅子職人に相談しながら時間をかけて作っておりました。どちらに運び込まれるかはまでは、我々も直前まで分かっておりませんでしたが」
*****
陛下は新に『愛妾』となったわたしの部屋へと定期的にやって来た。
わたしと陛下は大きな帝国領の模型を見ながら、これから起こり得るハリケーンとその被害について話し合っていた。
話し合ったといっても、正確にはわたしの預言の内容と神殿のある地図と模型を正確に照らし合わせてわたしが陛下の話しを聞いていただけなのではあるけれど。
「あの…陛下」
「なんだ?…このテヌべ川付近の神殿の一つに有事の食糧庫を…」
「あの…素晴らしい椅子をありがとうございました」
すると陛下は顔を上げこちらを向いた。
相変わらず無表情のまま真っ黒い瞳でわたしを見下ろすと、口を開いた。
「…お前に一つ聞きたい事がある。正直に答えよ」
お待たせしました。m(__)m
読んでいただきありがとうございます。
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