34 星の記憶 ③
大変お待たせしました。
『神の力』とは『祈り』『信仰の力』です。
(落ちる…!)
足首の痛みに気を取られてバランスを崩したわたしは、段の下へ転がり落ちるのを覚悟して衝撃に備えてぎゅっと目を瞑った。
(え…?)
次の瞬間――ガクンと身体が揺れ、いきなりグイと上へと引かれる感じがした。
(どうして…?上に引っ張られたわ)
目を開けると――。
陛下がわたしの腕を、巻き付けたトーガごとしっかりと引っ張っていた。
なんて事だ。
陛下は完全に長椅子から降りていた。
少し前かがみに立膝を付いてわたしの腕と背中を支えていた。
そしてそのまま陛下が膝を付いてる段の上まで、わたしの身体はずるっと引っ張り上げられた。
(このまま段から落ちていたらどうなっていただろう)
身体的にも体裁的にも『無事では済まなかったかもしれない』という恐怖に一瞬襲われながら、わたしは震える声でつっかえながら陛下へ礼を言った。
「…あ、ありがとう…ございます…」
「…どうした?酒に酔ったか?」
陛下のひび割れた低い声が、わたしの目の前で聞こえる。
(…不思議だわ)
ほんの少し気遣う様に聞こえたのは気のせいだろうか?
次の瞬間――いきなり部屋の中が真っ暗になった。
(…月が太陽に完全に隠れたんだ)
空を見れば次は太陽が放つ高温のガス――白い輝きのコロナが、真っ黒に見える太陽の周りから噴き出しているのが見えるだろう。
「…陛下、あの…」
わたしが陛下を見上げた瞬間だった。
ビクリとわたしの身体が揺れた。
何時の間にか、陛下の顔がわたしの目の前――息が掛かる位の距離にあった。
*****
陛下の真っ黒な瞳がわたしの目の前にある。
覗き込めば吸い込まれそうな暗い闇の奥に、様々な色の光がチカチカと瞬いている。
(何故…?陛下の瞳の中に星が見えるわ)
決してロマンティックな意味では無い。
本当にクリアな夜空に浮かぶ星の瞬きの様に、その瞳の奥には無数の光が宿っていた。
わたしは息を詰めながら目を凝らし、じっとその光を見つめた。
「…マヤ」
『レダよ』
その時――陛下自身のひび割れた声と同時に、陛下以上に無機質な別人の声が被さった。
『――見えるか?我等の旅の始まりの場所だ。こうして始まりがある故にいつか必ず終わりもやって来る。それが必然なのだ』
*****
『ヴェガ様…ヴェガ様…』
私は何度目かの満月の夜――星が降るような夜空の下で、虫の声が聞こえる草原の中に立って彼の名前を呼んだ。
そして数百年経ったある夜――ヴェガ神はすうっと影の中から姿を現せた。
『ヴェガ様!…』
(ああ…やっと…!)
自分の声が届いた喜びにヴェガ神に駆け寄ろうとして――私は足を止めた。
急に自分の両足が、地面に縛り付けられたかのように動かなくなったのである。
ヴェガ神が現れた瞬間――空気が変わったのを感じた。
それは、私が最初ヴェガ神に会った時の様な圧倒的な存在感だった。
『レダ…お前の声が聞こえた』
空気が一瞬にして、凍り付く様な張り詰めた澄み切った冷たさを帯びる。
ヴェガの声と共に、砂粒の様な夜空の星一つ一つが、大きく白い満月の表面の有様が――くっきりと鮮明な画像の様に浮かび上がった。
そして背の高い真っ黒い影が大地に現れると同時に、彼が降り立った場所の草木がヴェガ神を中心にしてカサカサと一斉に褐色へと変化をし始めた。
ヴェガ神の小さく低い呟き声が、ドンと直接私の胸を叩いたかのように響く。
『…やはり実体は影響がでるか…』
その声すらもとてつもない圧迫感だった。
(これは…)
もしや前々回と前回は恐らく自分を地上に投影した影の姿だったのではないか。
(地上に降り立ってもこんな風に一気に草木が枯れるなんてことは無かったもの…)
『…ヴェガ様…』
いまや――かつて『死を司る星』に初めて会った時の様に、私の身体の震えが止まらなくなっていた。
『やはり…若いお前にはまだ無理であったか…』
ヴェガ神は小首を傾げながら、固まった様に動けないでいる私の様子を見て小さくため息を吐いた。
『ま…待って!ヴェガ様…まだ行かないで下さい。折角お会いできたのに…私…!』
ヴェガ神の声音に、僅かだが確実に落胆の混じる響きを感じた私は、思わず叫んだ。
『もう少し…もう少しだけ…!レダはまだヴェガ様とお話したいのです』
『これ以上…ここに留まってお前に負担を掛けられない。見よ、足元を。草木が枯れ、大地にも影響が出始めている』
ヴェガ神はそう言って黒いマントを被り直し、深淵の様に真っ黒い瞳で私の顔をじっと見た。
前回同様――少しずつ姿を消して行くヴェガ神に追いすがる様に私は急いで尋ねた。
『ヴェ…ヴェガ様、次…次は、いつお会い出来ますか…?』
『暫く会う約束は出来ぬ』
『そんな…何故ですか?私の力が…未熟だからですか?』
『…そればかりではない。生命の息吹を纏う星とその終わりを見る星…元々我等の住む世界は違う』
『けれど私は…』
その時、ふっと張り詰めた空気が僅かに和らいだ。
『しかし…この様な時間でもお前と会う事が出来て良かった。お前は変らず眩しい程鮮やかで…美しい』
影になってはっきりとは見えなかったが、姿を消す直前――ヴェガ神は私に微笑んだ気がしたのだ。
『あ…ヴェガ様…!』
『さらばだ』
そう言って完全に闇に溶ける様に姿を消したヴェガの存在した証は、草原に果てしなく広がった褐色に、縮れ枯れた果てた草木の跡のみになった。
私はその場で崩れる落ちる様に座った。
『ああ…私にもっと…力があったなら…』
姿を現してくれたヴェガをこれ程恐れる事無く、死の神がこの地に降り立ったからと云えども…私の愛する大地をこのように広く無残に枯らす事無く――彼に会う事が出来ただろうに。
(…もっと…私自身が、力を付けなければいけなかったのだわ)
これからもっと多くの大地に私の慈悲と祝福を施し、幸福に満ちた美しい世界にしなければ。
そうして私の民を増やし――更に祈りと信仰を高めなければ。
(でなくば…きっと…)
二度とヴェガ神に直接会う事は叶わないだろう。
私はもっと完璧な…強い神の力を身に付けなければならない。
何故なら、もう私は圧倒的な星に直に会ってしまった。
そしてその事は、私の中で何かを決定的に変えてしまった。
(また…ヴェガにお会いしたい)
あの静謐でありながら、強大な力を持つ『死』の星に。
そして出来ればまた『お前は美しい』と云って欲しい。
既に――私自身が感じていた。
『皆既日食』の時に現れる彼の影の姿だけでは、満足できない自分がいる事を。
*****
それから私は度々ヴェガ神の名前を呼び、彼の訪れを待った。
白い砂浜が続く何処までも碧い海の広がる海岸で。
はたまた匂い立つ様に花々が咲き誇る遺跡の中で。
『ヴェガ様…』
草木の無い荒涼とした荒地の真ん中で。
荒ぶる波が立つ海に面した岬の先で。
白く輝く月の下で、私はヴェガ神の名前を何度も呼んだ。
しかしヴェガ神は現れなかった――数千年の間。
その間、時折起こる人々・民族間で起こる争いや流行病や、気候変動による飢饉で一時的な人口の減少や流動的に民の移住は有っても、安定した農耕によって耕やされた大地はいつでも金色に眩しく輝き、人間の集落はさらに纏まって安定した村や町、国を作って行った。
そうして私はヴェガ神と少しでも対等になるために、確実にしっかりと力を付けていった。
*****
あの頃の私は、未だ『星』としても『神』としても真に未熟だった。
己の中で芽生えた人間の様な感情を、ただ新鮮に…ただ愛おしく思っていた。
『…こうして始まりがある故に終わりもいつか必ずやって来る。それが必然なのだ』
愚かにも彼のこの言葉の意味を真に理解し、『星すらも例外では無い』と気づいたのは、それからずっと遥かに時間が経ってからの事だった。
お待たせしました。m(__)m
読んでいただきありがとうございます。
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