33 星の記憶 ②
大変お待たせしました。
頭上を見上げると、雲一つない青空が果てなく広がっている。
姿は見えないけれど、何処からか空を飛ぶ小鳥たちの声が聞こえて来た。
『これ…登れるかしら…』
私は空に向かって真っすぐに生えているまだひょろりとした若木の幹に、手を置いた。
『たしか…あの子達が乗っていたのはこんな感じだったわ』
私はまだ細い幹の木の枝を伝ってよじ登った。
そしてその枝に、荒縄で造ったブランコをぶら下げてしっかりと固定した。
『これで、よし…っと』
人間の子供の一人がこんな風に木の枝に縄を括り付け、小さな木の板に腰を下ろし、それを揺らしながら遊んでいるのを何回も見た私は、やってみたくて仕方が無かったのだ。
『あんな風に上手く漕げるかしら?』
たしか子供達は足を伸ばしたり曲げたりと巧みに反動を付けていた筈だ。
最初あまり勢いがなかったブランコも、足を曲げ伸ばすと、徐々に早く大きく動き出した。
『すごいわ…楽しい』
揺れる足元を見れば、地面はそのまま空を映した様な澄んだ水の中に、まだ生えたばかりの草がまばらに広がっている。
時折穂先の様な金色の光が、水面の下で畝って鈍く輝いて見える。
ふと見上げた視線の先に、細い枝の先端に若々しく芽吹いている葉の蕾が沢山見える。
これからもっと葉が生い茂りこの樹は大きく、太くなっていくだろう。
『きっとこれから花も咲くわ…』
(白くて甘い香りの花が咲くといいな…)
そう――あの下界で咲いている甘いガルデニアの様な。
『ああ…楽しいわ』
ブランコは既に大きく揺れ、青い空に向かって大きな弧を描いている。
私はヴェガの言葉を思い出した。
『そうか。美しい色だな。人々の…生き物の祈りの色だ』
ああ――本当にこの世界は美しい。
『この大地の美しさよ…永遠であれ』
私はそう呟くと、また足を動かしてもう一段大きくブランコを漕いだ。
*****
部屋の中が異様に寒い。
足首が痛くて燃え上がる様に熱を持っている。
キーンと響く耳鳴りと、わたしの頭のジジッとしたノイズの様な音はひどくなる一方だったけれど、何とか陛下の待つフロアの二、三段下まで何とか上る。
長椅子に座る影の様な陛下の足元を見ながら、軽く頭を下げて会釈をしたが、寒すぎてわたしの口が上手く回らない。
たどたどしい口調になりながらやっと礼を述べた。
「レ…レダの預言者…さ、参上致しました…」
「そうか。もう少し近くに来い」
「は…はい」
ひび割れた様ないつもの低い声だったけれど、陛下の姿を見上げた瞬間、わたしの心臓がドキンと跳ね上がるのを感じた。
(やっぱり…見間違いじゃないわ)
陛下の姿はやはり大きな影の塊の様に見えた。
闇を纏うシルエットの中、あの大きな黒い眼だけがギロリとこちらを見下ろしている。
(陛下の姿は一体どうしてしまったの…?)
ぼんやりとした頭で不思議に思う自分がいるけれど――何故か恐怖は感じない。
すると次の瞬間――頭のノイズ音の方に気を取られたわたしは、階段を登る時自分に巻き付けていた長いトーガの先を、うっかり足首が痛む方の足で踏んでしまった。
段を上がった瞬間に、トーガがピンと勢いよく引っ張られたのだ。
「い…つ(痛)…!」
そのままズキッっとした鋭い足首の痛みと不安定な厚底のサンダルにわたしの身体のバランスを崩した。
「…っあ…!」
(いけない、このままじゃ落ちてしまう…!)
一瞬――階段の下まで一気に転げ落ちる自分が脳裏に浮かんで、わたしはぎゅっと目を閉じた。
*****
農耕で生活の基盤が安定すると、そこに定住して生活する人々が増え同時に人口は増え始める。
人々が少しずつ増えると同時に、五穀豊穣を願う私へ祈る人々の数は増し――私は更に力を付けていった。
地上の野に立った私は、そのまま空を見上げた。
その頃には、私はもうはっきりと大きな胎児の様に――くるりと丸まりながら眠る光輝く太陽神『メサダ』の姿を見る事が出来る様になっていた。
『今日の新月は殊更…大きいわ』
大きな月の影がまたも太陽を覆い隠そうとしている。
宵闇の様に昏くなる空に浮かぶ、昼間でありながら美しく輝く星々の妙
――。
ほんの僅かの時間でいつも終わってしまうものだが
(…いつ見ても不思議な光景だわ)
あれから時が経ち、皆既日食のみならず普通の日食も何度か見る機会はあった。
けれどヴェガ神の姿は、あの一回きりだ。
(あの時会ったのは本当に稀な事だったのかしら…)
するとその時――いきなり野の草々が、樹々が、大地がざわついて冷たい風が吹き始めた。
大きな月が太陽の姿を隠すと同時に――くっきりとした背の高い黒い影が最初からそこに存在していたかの様に現れたのだった。
(ヴェガ神だわ…!)
その時の私の感情を何と云えばよいのだろう。
不思議な事に人では無い筈の私の中で、これが仲間に会えたという喜びだったのか。確かにそこには『ヴェガにやっと会えた』という驚きと嬉しさがあった。
『ヴェガ様っ…』
私は闇そのものの様な影に向かって、思い切り駆け寄った。
もう前回の様な威圧的な恐怖は、ヴェガ神からは感じなかったのだ。
(それよりも…急がなければ)
急がないとほんの僅かな時間で――彼は消えてしまう。
(待って。まだ行かないで)
『ヴェガ様!』
黒いマントを深く被ったヴェガ神は私の声に気付いて振り向いた。
『…レダか』
『お久しぶりでございます、ヴェガ様。暫くお会いできなくて、あの…』
そしてその次の言葉はするりと流れる様に私の口から自然に出てきた。
『あの…またお会いできて嬉しゅうございます、ヴェガ様…』
私はそのまま軽く膝を折って礼をした。
私の言葉を聞いたヴェガは小首を傾げ、無表情な顔のまま私を見下ろした。
『お前に会うのは…二度目の筈だが』
『そ…そうです。けれど、あの…私…他の星にはまだ会った事が無くて…』
ここで出会えた喜びにひとり盛り上がった恥ずかしさもあり、私はしどろもどろになって答えた。
『それで…あの、ヴェガ様の御姿を見て…嬉しくて思わず…』
『そうか』
少し笑みを含んだような優しいヴェガの声音に私が顔を上げると、驚く事に彼は薄っすらと微笑んでいる様に見えた。
するとヴェガ神はそのままスッと黒い影を纏った様な手を上げ、私の髪を彩る白い花を指さした。
『その白い花…良い香りがする』
『この花の事でございますか?』
この白くガルデニアに似た甘い香りのする花は、最近私の樹に初めて蕾をつけて咲いたものだ。
私は自分の髪に編み込んだ白い花を抜いて、そのままヴェガの手の平へとそっと乗せた。
『あっ…!?』
すると――何てことだろう。
ヴェガの掌に置いた白い花は見る見るうちに萎れてしまった。
『そんな…』
私はレダの樹の花をあっけなく枯らせてしまう彼の力に驚いた。
(以前に会った時より、大分私自身にも力が付いて来たと思っていたのに…)
ヴェガ神は私の花の成れの果て――風化し黒い砂粒の様に変わってしまった――を握りながら、私を見下ろした。
『このままでは、どうやらお前の花を全て枯らせてしまうな…影の姿だがまだ私の力が強いか』
*****
ヴェガはそのままふと太陽と月の重なった空を見上げた。
『――そろそろだ…『メサダ』も起きて人の形を取るだろう』
『太陽がですか?』
『そうだ。各地に散らばった星々も人の姿を取って動き出す』
『星々とは…私達『神』と呼ばれる者でございますか?…』
『その通りだ…そしてそれらが最終的に――…』
『最終的に…?』
私が尋ねた質問に、ヴェガは無表情のまま曖昧に言葉を濁した。
『…もう地下に戻らねば。太陽がまた直ぐに顔を出す』
そう言ってヴェガ神の黒い影の姿は、徐々に薄くなって消え始めた。
(このまままた――暫く話せなくなるかもしれない)
それを見た私は、何故か自分の中で胸が締め付けられるような気持ちが湧くのを感じた。
もしやこれが人間の言う『寂しい』という感情か。
人間がどんなに崇めても私達の様な存在と会話できる者はいない。
私達の言葉が通ずる者は、未だこの世の何処にもいないのだから。
自分の中で今まで未知だった『寂しい』という感情の誕生に感動しながらも
『ヴェガ様…私このまままた誰とも話が出来なくなるのは…寂しゅうございます。どうにかしてヴェガ様とまたお話が出来る様にはなりませぬか?』
私は消えゆくヴェガ神の影に向かって懇願する様に訴えた。
ヴェガ神は眩しそうに眼を細めて私を少し見つめると、
『…満月の夜なら』
とスッと目を反らしながら言った。
『月の下で野に立ち――私の名前を呼べ。その声が私に届けば、お前に会いに行けるかもしれない――必ず行けるとも限らないが』
その声と共にヴェガ神の真っ黒い影は、すうっと姿を消した。
わたしはヴェガ神の消えた場所をじっと見つめながら、暫くその場で佇んでいた。
お待たせしました。m(__)m
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