1 状況把握が難しい ①
目の前では炎が燃え盛っている。
黒い煙と熱風はわたくしの短く切られた髪を焦がし、後ろ手と両足を縛る縄で立ち上がる事すらできない。
わたくしを憎み蔑む人々の輪の外から、少しくぐもった聞き取りにくい声が聴こえる。
「何か言いたい事はあるか?マヤ王女」
――あの男だ。
わたくしは顔をぐっと挙げた。
わたくしの奥歯がギリッと鳴る。
わたくしの祖国を踏みにじり燃やし、わたくしの父母を殺しわたくしの身体を汚し、王女の誇りすら奪おうとするこの男を許さない――絶対に。
「…俺に命ごいでもするか?」
揶揄するような響きを混ぜて、背の高い黒い仮面の男ニキアス=レオスが言った。
「命ごいをするなら命だけは…」
『誰がするものか…!』
「わたくしはお前を絶対に許さない!」
わたくしは膝を折られたまま、目の前の男を睨んで男の言葉に憎しみを込めて被せた。
同時にあのいつもの感覚――『レダの神託』が降ろされて、唇が勝手に呪詛の言葉を紡いでいく。
『お前に安息の時と地は無い。血塗られた玉座で短い簒奪者の宴を楽しむがいいわ。必ずお前は地獄の犬に腸を無残に食られるが如く苦しみ…』
最後まで『レダの神託』を告げられなかったのは、黒い仮面の男の側に立っていた線の細い少年の様な部下がわたくしの首を剣の一振で切り落としたためだ。
「ユリウス…!」
「レオス将軍!何故あんな事を言わせてぼうっとしているんですか!?あれは魔女の呪いの言葉ですよ」
その言葉が聞こえて、切り離されたわたくしの首が炎にまかれて消えるまでに時間はそれほどかからなかった。
******
燃えるわたくし達の宮殿。
わたくし達の王国豊かなゼピウス。
父上と母上はどうなってしまったのだろう。
捕まったか、もうすでに死んでしまったか。
結局このちからはなんの役にも立たなかった。
『神託』を受けても、もはや誰にも信じてもらえずに。
わたくしは何のために預言者になったのだろう。
高い塔に閉じ込められ、外界から離され神から頂いた能力を持て余すだけの人生だった。
この力は祝福なんかじゃない。
むしろ呪われた力なのだ。
*****
兵士のひとりが塔の最上階を見上げて指差した。
「レオス将軍!御覧ください。あそこにマヤ王女がいます!」
見れば、塔の一番上の小さなテラスに小柄な女性が欄干に掴まり、今さっきレオス将軍が燃やした宮殿を呆然と見つめている様だ。
「分かった。俺が行く」
黒い仮面をつけた騎士が言った。
仮面ごしの為か言語がやや不明瞭だが、部下は気にした様子も無かった。
「レオス将軍、あのマヤ王女は魔女とも呼ばれた嘘つきの預言者ですよ?お一人で向かわれるのは危険ではありませんか」
「義兄上に王女を必ず連れ帰る様にと言われている。女好きの義兄上の事だ。新たな愛人の一人としてコレクションに加えるつもりだろうが」
「大人しく捕まりますかね。抵抗するのでは?」
「彼女はかつて俺の名ばかりの婚約者だったが、所詮当たらん予言をするだけの女だ。この塔を飛び降りる以外は逃げ道もない。姉王女の様に勝手に自害したらしたでそれまで。我等にはどうにも出来ん」
黒仮面の将軍は最上階へ向かう為に塔の螺旋階段をゆっくりと上っていった。
(あの女は俺を覚えているだろうか)
俺の顔見て怯え
『おぞましい...ヴェガの呪いだわ』
と叫びながら逃げた彼女は。
*****
わたしはテラスの床に座り込み、欄干にしがみついて呆然としていた。
眼の前をわたしの着ている白いマントがはためいている。
目の前は、一面白い建物の立ち並ぶ迷路の様な市街地だ。
はるかむこうに青い海が見え水面光り、
濃い緑の木々とのコントラストが美しい。
(ここって…どこなの?)
下を見ると見たことのない鈍色の甲冑かくさび帷子のようなものをつけた人達がこちらを指差して何か叫んでる。
映画なんかで見たことのある兵士の姿の様だ。
(映画の撮影セットみたい…)
わたしがぼうっと見下ろしていると
「マヤ姫、そこを動くな!」と
下から風に乗って声が聞こえてきた。
(マヤ姫?…ってわたし!?)
わたしはテラスの床に座り込んだまま、あまりの予測不能状態に完全にフリーズする。
すると石畳みの…階段だろうか何か重い金属音がするものが下から階段を上がってくる音がする。
何かが階段を上がってきている。
(ど…どうしよう、どこか隠れる所は…)
がくがくする膝を何とか叱咤しながら、部屋の中に戻る。
石畳の部屋には、簡素で粗末なベッドと引き出しのついたコンソールテーブルと手洗い場ぐらいだ。
ベッドのシーツを持ちあげるとその下には空間がある。よく考えもせずそこへ身体を丸めて転がり隠れた...つもりだった。
「お前は馬鹿なのか?マヤ姫...」
甲冑のガシャッとした金属音と共に黒い仮面をつけた低い声の主がベッドの下を覗き込み、わたしと目を合わせてそう言った。
*****
「とりあえずそこから出てくれ。埃まみれだ」
わたしは黒仮面の主に腕を引っ張られ、ずるっとベッドの下から引きずり出されてしまった。
そのまま手をひいてわたしを立ち上らせると、長身の彼はわたしを見下ろした。
「鼠のように寝台の下に隠れていたかと思えば本当に鼠のように小さいな」
「…はぁ。それはどうもすみません…」
くぐもった声で何故か嘲るように言われたが、どうにも事情が分からないこちらとしてはどうかえしたらいいのか分からない。
取り敢えずわたしは間の抜けた返事をして謝った。
「…どうした?侮辱されたのにその程度か、マヤ王女。気分でも悪いか?まあ…致し方ないだろうな。なんと言ってもお前の祖国は陥落したのだから」
わたしはオウムのように訊き返した。
「…陥落?」
「そうだ」
黒い仮面の主は答えた。
「お前の祖国ゼピウスは俺の手によって滅ぼした。俺と俺の部下がお前の父の首を落とし、お前の母は刃で自害した。お前の姉は敵国で晒し者になるよりはと、城の窓から立派に海に身を投げた。まあそうだろうな。敵国へ行けば、所詮俺の兄上の妾という名の奴隷にされるだけだからな」
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