7 歪んだ愛 ①
「…こんなに短期間で何回もぶっ倒れる預言者は初めてですぞ、陛下」
「余計な事を云う暇があるならさっさと診察をしろエシュムン」
自分の寝室の入口でガウディは腕を組んだままエシュムンへと言った。
アウロニア帝国ガウディ=レオス皇帝のここは寝室前の部屋であった。
ガウディは書斎で倒れたマヤ王女を自分の寝室へ連れてくると、皇宮侍医エシュムンを呼んで診察をさせたのである。
『城下街への検診に行かなければならないのに』とエシュムンはガウディへと文句を言っていた。
灯りを落としてある部屋から出てきたエシュムン医師は、ガウディの寝室の扉を静かに閉めて言った。
「もうしましたよ。身体は特に何もありませんな。起きてからでないと解りませんが、寧ろ彼女の頭の方が心配です。『神の依り代になる』というのは預言者自身の精神にかなりの負担を掛けるものと聞きますから――それが優秀であればある程に」
「…狂うと言う事か?」
エシュムン医師は少し考えてからガウディへと告げた。
「…そうですね、このまま女神に壊されるかもしれません。可哀想ですが貴方のお母上様の様に」
ガウディは小さく整えられた顎髭を指先で撫でながら考え込むように呟いた。
「…そんな事はさせん」
「ほ…これはこれは珍しい。もしや…王女へ同情ですか?――陛下貴方が」
エシュムンは揶揄する様に少し笑った。
「同情?…そんなものは無い。これ以上レダの思惑通りには運ばせん為だ」
「ほう…それでバアル様の手紙まで捏造したと?」
ガウディは真っ黒い瞳を細めて小首を傾げるとエシュムンに尋ねた。
「…何の事だ?」
「マヤ様が言っておりましたよ。『お手紙のやり取りの許可が出た』と嬉しそうに」
「……」
エシュムンはガウディに向かって小さく微笑んだ。
「バアル様自身の母国語はともかく、バアル様はアウロニア語は喋れても書けない筈なのにおかしいと思いました。その様にバアル様からも聞いた事があります。しかも他人に見られては困る陛下との書簡の遣り取りは、全て暗号だと。
であれば、レダの預言者は一体誰と手紙を交わしたのかが…不思議ですね」
「…娘の手紙の内容を確認する為だ」
「それは随分と回りくどい方法をお使いになりますな」
ガウディは更に猫の様に目を細め、白い髭の皇宮侍医をじいっと見下ろした。
「エシュムンよ…何が言いたい?」
「『特に何も』でございますよ陛下。儂は事実を言ったまで。違いますかな?」
ガウディは肩をすくめてエシュムンへの返事はせずにスタスタと歩き、自分の寝室の扉を開けようとした。
「…どうも貴方はご自分が出来過ぎる為か、自分に依存しなければ生きられない者を殊更偏愛する傾向がある。ですがそれに足をひっぱられてはいけませんぞ」
エシュムンが投げ掛けた言葉で、ガウディの手はマヤ王女が眠る部屋の扉の取っ手の上でぴたりと止まった。
「……」
「ご自覚はあるでしょう?お母上様然り…ニキアス様然り」
「――分かっている」
今度は取っ手に完全に手を掛け、ガウディは寝室の扉を開いた。
*******
「…既に今日の公務は全て台無しになった。これから…」
寝室の扉をガチャリと開けてガウディが部屋の中に入ると――倒れたマヤ王女がいつ起きたのか寝台の上に起きてこちらを見ていた。
数秒の静寂と共に青白い小さな顔の彼女の唇が小さく震え出した。
「…へ……陛下…」
「…マヤ王女、起きたのか」
ガウディを見つめるとマヤは唇を震わせ小さく呟いた。
「も…申し訳ありません、陛下…申し訳ありません、申し訳…」
と同時に今度はひゅ―ひゅ―という呼吸音を鳴らしながら、王女は喉を押さえた。
「う…あ、あの様な…あのよ…うな…し、神託…を、わたくし…わたし、あんな…レダ様、何故……」
寝台の上で手を強く握り締め、呼吸を荒げてブルブルと身体を震わせるマヤ王女を見て、ガウディは小さく舌打ちをすると隣に居るエシュムン医師へと声を掛けた。
「エシュムン…」
「前回と同じ緊張性の過呼吸です。まぁ、これで死ぬ事は有りますまい。リラックスできる様に差し上げて下さい…後は陛下にお任せしますぞ。儂はこれから城下町に検診に行かねばなりませぬからな」
エシュムン医師はガウディの寝台の近くにあった鞄を手早く片付けると、部屋を退出する準備をし始めた。
「エシュムン…まさかこのまま置いていくつもりか」
「彼女の過呼吸の原因は貴方にも責任の一端がある。陛下、ご自分で何とかしてください」
そう言うとエシュムンは鎮静剤の丸薬だけガウディに渡し、身体を震わせたままひゅ―ひゅーと過呼吸を繰り返し寝台に突っ伏すマヤ王女を置いて出て行ってしまった。
******
(エシュムンめ…)
ガウディは小さく舌打ちをすると水と鎮静剤を持ったままマヤ王女に近づいた。
「――王女。鎮静剤を飲め」
「……ない、できない…ニキアス、助けて…助けて、わたしじゃない、わたしじゃ…誰か…おねがい…なぜあんな言葉を…」
「マヤ王女、聞け――神託は…あれは老婆の妄執の言葉だ。お前が…」
「…いや…いやです…もう…どうして…こんなこと…レダ様…助けて…助けて…」
「マヤ王女――余の方を見よ」
荒い呼吸音と共にマヤ王女の声がいきなり小さくなっていく。
「…王女?」
不審に思ったガウディはマヤ王女を抱え起こした。
しかし起こされたマヤは、ガウディの顔を確認するなり視線が左右に細かく動いたかと思うと。
「うあ――!!」とも
「いや――!!」とも言えない声を上げて、仰け反り暴れ出した。
過去に何度もこの手の発作をガウディは見て来た。
ガウディの母親はレダ神の過干渉の為に、精神状態が悪い時はこの様な状態によく陥っていたからだった。
その度にガウディはレダ神への怒りを募らせていたのだが。
******
「――手が掛かる女だ」
小さく呟くとガウディは口に水と鎮静剤の丸薬を入れて、マヤ王女の腕を引っ張り強引に寝台へと引き倒した。
仰向けになったマヤ王女が小さく悲鳴を上げる。
乱れた蜂蜜色の髪の隙間から覗く碧い瞳に涙を浮かべ、ガウディを見上げたまま――王女はその片手を伸ばした。
果たして王女が抵抗するつもりだったのか『助けて』と言うつもりだったのかは分からない。
ガウディは上へ伸ばされたマヤの手を掴み、自分の手の中に握った。
そして王女の顎を片手で押さえると、開いた唇に自分のそれをしっかりと重ねた。
ガウディの頭の中に侍医の言葉が甦って聞こえた。
『貴方はご自分に依存しなければ生きられない者を殊更…偏愛する傾向がある』
(エシュムンに言われずとも疾うの昔に分かっている)
…俺の愛がひどく歪んでいる事は。
お待たせしました。m(__)m
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