6 赤い石 ③
陛下は剥いた白い桃をそのまま一口齧るとわたしの方を向いた。
「ニキアスに会いたいか?レダの預言者よ」
「え?……」
そんなの『会いたいに決まっている』
――でも。
陛下の唐突の質問の意図が分からない。
(まさか皇宮から出たいと言った途端、罰せられるとか…じゃないわよね)
妙な疑心暗鬼に陥ってしまったわたしは、陛下の顔を見つめたまま直ぐに返答が出来なかった。
けれど…。
(会いたいと言えば会わせてくれるのだろうか)
(この皇宮から出る事を許されるのだろうか)
(ニキアスの元に行く事が許されるの…?)
その時――わたしの中でざわっと何かが影の様に伸びて蠢いた。
次の瞬間、それにぞわりといきなり何かにからみ付かれる様な感覚に襲われる。
途端に自分で自分の身体が動かなくなった。
(え…何?いきなり何なの…?)
『そなたは行きたい筈だ。健気なマヤ王女…』
わたしの中でまたあの女性の声が聞こえる。
(これは…『レダ』様…?)
わたしの中の圧倒的な存在を感じると共に、わたし自身の膝ががくがくと震え出す。
『…分かっているぞマヤ王女。ニキアスの元に飛んで行きたくて仕方がないのであろう』
隣には誰もいない筈なのに、わたしの耳元でその美しい声がはっきりと聞こえた。
『彼の事が心配で胸が潰れそうなのであろう』
その声は角砂糖を少しずつ溶かす様に、わたしを小さく崩しながら――侵食していく。
『彼と自分の行く末が目が眩む程幸せでありたいのだろう?』
少しずつ…。
『優しく美しく完璧なニキアスの逞しい胸に抱かれ、お前は幸せと安心を噛み締める日々を送りたいのだろう?』
少しずつ…。
『全て全て解っている』
わたしを確実に支配をしていく――。
『可哀想なニキアスは待っている――マヤ王女、そなたを』
わたしが胸に抱いていた手紙がスローモーションの様にゆっくりと床に落ちて行くのが目の端に映った。
機械の様に感情の無い自分の声が小さく呟くのが聞こえる。
「……会いたいです。ニキアス様に……」
ゴクリとわたしの喉が鳴った。
同時に膝だけで無く、身体全体が瘧の様にブルブルと震えだした。
会いタいノ…ニキアスニ。
アイニイカナケレバナラナイノ。
ナゼナラ ワタシタチハ ハナレテハ イケナイカラ。
――次の瞬間
「良いぞ、マヤ王女。お前が真に望むなら余が許可をやる」
陛下のひび割れた声がはっきりと聞こえた。
「ただし…レダは捨てろ。それが条件だ」
******
――レダを捨てろ。
「……え?…捨てる?……」
(『レダ神』を…捨てる…?)
わたしは呆然としながら陛下の顔を見上げた。
陛下はわたしの顔を見ながら、また一口桃を齧った。
「そうだ。お前がレダ神への信仰を捨てるとこの場で宣言し、預言者である事を止め、ただの女になってその身一つでこの皇宮を出ると言うのなら…ニキアスの元へ行くのを許す」
(ただのマヤになる…?)
(そんな事をニキアスは…許してくれる?)
「ただの…?そ、そんな…」
そんな事――出来る訳が無い。
わたしはまた自分の身体が痙攣した様に震えだすのが分かった。
「…そんな事……」
何かが小さく頭の中で叫んでいる。
それは徐々に大きくなっていく…何かの唸り声の様だった。
(ああ、あの時のメサダ神と同じ――!)
濁ったしゃがれ声がわたしの頭の中で、五月蝿く鳴く虫の様に耐え難い位の反響をし始める。
――おのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれ忌々しい忌々しい忌々しい忌々しい忌々しい忌々しい忌々しい忌々しいおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれ忌々しい忌々しい忌々しい忌々しい忌々しい忌々しい――
凄まじい呪詛の様な女のしわがれ声だった。
わたしはいきなりすっくと立ち上がって、陛下に向かって指を指した。
自分の意志とは関係無く、口が勝手に開く。
次の瞬間、そこから自分の声ではないあのしゃがれた声が絞り出された。
『ガウディ、お前に安息の時と地は無い...』
(これはニキアスがマヤを火炙りにする前に降りてきたレダ神の最後の神託――!?)
陛下はいつもの真っ黒い瞳でわたしを無表情に見つめている。
(止めて…止めて、止めて――!陛下に向かって何てことを…!!)
そう思ったけれど。
意思とは関係が無く紡がれる呪いの言葉が口から流れ出すのを止められない。
『血塗られた玉座でもうすぐ終わる簒奪者の宴を楽しむがいい!』
(いや!...いや、いや!...レダ様、止めて止めて止めて止めて...止めて!...あんな恐ろしい言葉を言いたくない!!)
『お前は地獄の犬に腸を無残に食られるが如く苦しみ、必ず失意と孤独の中で惨めな虫の様な死に様を迎えるのだ』
「女神よ、その脅し文句はもう聞き飽いたぞ」
陛下はそう言うなりそのまま桃の籠の中に手を入れて、白い果実の中からあの赤い石を掴み出した。
「ボレアス、聞こえるか?」
それを掴んだままで腕を伸ばしわたしへと石を向けると、また声を上げた。
「――レダの影が入ってきているぞ!」
その瞬間――いきなり陛下の掲げた石から眩い位の赤い光が出て部屋中を照らした。
わたしの目の前が真っ赤に変わると――そのままわたしの意識はブツっと途切れて闇が訪れたのだった。
お待たせしました。m(__)m
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