67 貴重な時間 ③
迷っているわたしの様子を見た陛下は、すっと書斎の椅子から立ち上がった。
そしてわたしにむけて、さっと手で払う様な仕草をした。
「…つまらん、もう良い。自分の部屋へ戻れ」
「……はい……」
あっさりと言われてしまったが、こちらから陛下に有効な条件が出せないのだから仕方が無い。
(仕方が無いわ。バアル様のお返事に期待しよう…)
すごすごと陛下に背を向け、自分の部屋に戻ろうとして、わたしは自分がまださっきの桃を持っていた事に気付いた。
(あ…これ、持ったままだったわ)
わたしは振り向き、陛下へ齧りかけの果実を差し出して尋ねた。
「あの…これはどうしたら良いですか?」
その瞬間――陛下はわたしの方を見たまま、固まって止まった様に見えた。
そして陛下の顔色がみるみる青ざめていくのに気がついた。
今までそんな表情の陛下をわたしは見た事が無い。
驚いたわたしは、尋ねてしまった。
「…陛下? どうか致しましたか?大丈夫ですか?」
陛下はそのままじっとわたしを見下ろしている。
「あの、陛下?」
陛下はわたしの問には答えず、片手でわたしが持っていた桃をすっと受け取った。
そして――そのまま桃を持っていないもう片方の手を、わたしの目の前へと伸ばした。
(…何…?)
何故か何とも言い難い――ピリピリとした緊張感の様な空気感が漂う。
わたしの頬に陛下の指がもう少しで触れるぐらいまで近づいた。
(陛下…?)
すると何かを言いかけた様に陛下の唇が開いた。
「…は…」
次の瞬間――陛下はそれを振り払う様に、伸ばした指をぐっと握った。
「何でもない。一瞬…」
「…一瞬?」
「少しぼうっとしただけだ。ここ最近…なかなか眠れんからかもしれん」
(眠れない?)
「…まあ…大変ですわ。…何か原因があるのでしょうか」
「…なり振り構わん女の仕業で迷惑しておる」
わたしはてっきり陛下に『お前には関係が無い』と言われるかと思いきやそうはならなかった。
(『なりふり構わない女』?…愛人か奥様方の事かしら?)
何を指して言っているかは分からなかったが、陛下はそう言うと、小さくため息をついて、わたしを真っ黒な瞳で見下ろした。
陛下の感情の読めない瞳でじっと見つめられると、何だかとても居心地が悪い感じがしてしまう。
わたしが思わず視線を逸らせてしまった瞬間、陛下が口を開いた。
「…では『皆既日食』とやらが起こる日の、お前の時間を余に捧げよ。
それであれば、ニキアスの家族について余が知っている事は教えてやる」
「え?皆既日食の時ですか?それは…」
わたしは思わず陛下に尋ねてしまった。
「…あの、わたくしてっきりその時は、首都のレダ様の神殿に行かなければいけないと思っておりましたが…良いのでしょうか?」
******************
実は首都内にも幾つか各神々(ヴェガ神以外)を奉る大神殿がある。
帝国就きの預言者が参拝する・しないは自由で、陛下へ申請する事で許可が出るとリラやバアル様に聞いた事があるのだ。
(ただし外出時、護衛兵は必ず付く)
とは言ってもマヤ王女の祖国ゼピウス国内では無いので、わたしの足は自然と遠くなる。
時折チラホラ見える記憶の中では、彼女の中のレダ神の神殿とは、ゼピウス国の自然豊かで閉鎖的な空間だった。
アウロニア帝国に彼女を知っている神官はいないだろうし、初めて行く近代的な神殿のしきたりも分らない。
けれど流石に『神託』を受けた内容の日ぐらいは、レダ神の神殿を訪れた方が良いかもしれないと思っていたのだ。
その言葉を聞いた陛下はフンと軽く鼻を鳴らすと、小首を傾げながら無表情にわたしへ言った。
「どうした?…ニキアスについてお前が聞きたいと言ったから、余がわざわざ条件を提示してやった迄」
『預言者とやらは、神殿に行かずとも神に愛される存在なのだろう?』と揶揄する様に陛下は言ってから、視線を扉の方へと向けた。
「…条件が飲めないなら、余も時間が無い。この話は終わりだ」
「わ、分かりました」
『このまま会話を締めくくられたら敵わない』とわたしは、慌てて返答した。
レダ神の神殿は機会のある時――別日に行けば良いし、バアル様に文でお聞きしたところで本当に御存じかも分からない。
(多分陛下はこの機会を逃せば、二度とは教えて下さらないだろう)
そう思ったわたしは――。
「その日は陛下とご一緒させて頂きます。よろしくお願いいたします」
****************
「あの…お忙しい所をわざわざありがとうございました」
帰り際に部屋の扉の前で、ニキアスのご家族についての情報も頂いたわたしは、陛下へとお礼を言った。
陛下は相変わらず小首を傾げながらわたしを見下ろしている。
「…大体二週間前後にバアルから返事が来る。その時にまた連絡するから、此処へ来い」
「また…此処へでございますか?」
「バアルからの文は機密扱いとなる故、部屋から出せないのでな」
陛下の言葉を理解したわたしは、頷いた。
(陛下のお部屋でしかバアル様の文は見れないという事なのね)
「…分かりました。ではそのように。どうぞよろしくお願いいたします」
そのまま陛下が扉の前に立ち三回ノックすると、扉が外へすっと開いた。
「レダの預言者様。こちらへどうぞ」
近衛兵の声に導かれ、わたしは廊下へ足を一歩を踏み出した。
部屋の扉が閉まる前に陛下が廊下のわたしに向かって、小声で何か言った気がする。
けれどわたしが返答する前に、部屋の扉は近衛兵によって閉められたために叶わなかった。
(…あれは一体どういう意味だったのかしら)
それは一言だけ――『ルナは美味かったか?』という言葉だった。
****************
皇帝ガウディはレダの預言者の娘が出て行った扉の前で、物思いに耽る様に佇んでいた。
そしていきなり踵を返し、マヤ王女が持って来た文を取り上げると、室内を照らす蝋燭の一つにその文を少しずつ近づけた。
羊皮紙に火が移ると同時に、マヤ王女の文は瞬く間に炎に包まれてしまった。
ガウディは持つ手の中でその文が燃える様をじっと見つめていたが、暫くすると今の季節は使っていない暖炉の中へと無造作に投げ込んだ。
ガウディは炭に変わりつつあるそれをじっと見つめながら、小さく呟いた。
「…このまま大人しく死を待つと思うな、女神よ」
お待たせしました。m(__)m
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