66 貴重な時間 ②
書斎はまた少し奥の部屋になるらしい。
わたしは途中で組木が立て掛けてある窓の側を通った。
組木にはいくつも細い針で止めてあった昆虫と、おおきな揚羽蝶が張り付けてある。
「早くしろ、レダの預言者よ」
「あ…は、はい。今いきます」
わたしは慌てて陛下の声がする書斎へと向かった。
書斎は重厚な家具と大理石の机のある、まさに『ザ・書斎』と言う感じの部屋だ。
卓上には羊皮紙の書類とペン類がきっちりと揃えて置いてあり、大事な書類に押す玉璽と朱肉とが真っ直ぐに置いてある。
陛下は机の書類に目を走らせ、それに手早くサインをしながら言った。
「文を見せよ。確認する」
「……はい…」
事前に『検閲する』と言われていたのを思い出し、わたしは自分が書いた文を大人しく陛下へと手渡した。
「ふむ…その間、お前の仕事はそれだ」
さっと廻りを見渡して、陛下は持っているペンの先で指さした。
その先に見えたのは、書斎にあるコンソールに載っている大きな果物籠だった。
籠の中に小さな赤いリンゴと、白い桃が入っている。
その丸く白い桃を見つけたわたしは、思わず声を上げた。
「あの桃…同じ物を先日バアル様から頂きましたわ」
「そうか? この皇宮内では珍しくない物だ」
陛下は事も無げに言うと、わたしへと命じた。
「そこの桃を剝け」
「……え? わたくしがですか?」
わたしは思わず陛下へと尋ねた。
「余の貴重な時間の一部をこのために裂いている。それぐらいはして貰おう」
わたしはその言葉にあんぐりと口を開きそうになった。
けれど、こちらを見返した能面の様な陛下の表情を見た瞬間、わたしは無言で素早く籠の中の桃を取り出した。
「ん?」
(あら?)
桃の皮を剝く道具を探すために辺りを探したが、ナイフが無い。
「…あの陛下、皮を剝くものがありませんわ」
「この部屋の中で刃物の使用は許可していない。皮は手で剥け」
(…え?まさか、手?)
「て…手でございますか…?」
「余に二度同じ事を言わせるな」
「わ、分かりました…剥きます」
いきなり慎重に指先で桃の皮を剥く事になってしまったけれど。
良く熟している為か案外キレイに剥きやすく、直ぐに瑞々しい甘い香りが書斎に広がった。
(案の定お皿も無いわ…)
そもそも新鮮だとはいえ、彩り的に多分元々飾り様の果物なのだろう。
つるりと剥けた白い桃をわたしは手に乗せたまま、これをどうしたらいいのか考えあぐねていると、陛下から声がかかった。
「そのままこちらへ」
「…はい。分かりました」
わたしは剝いたままの桃を持ち、机の前に立って陛下へ差し出そうとしたが、陛下は書面から目を離さずにわたしへ命じた。
「余の側に持って来い」
今度は陛下の座る椅子の隣に移動し、わたしは陛下の目の前に桃を両手で差し出した。
「…お剥きいたしました。どうぞ桃です」
するといきなり、目線を卓上に残したままの陛下がわたしの手の上に置いた桃に齧り付いた。
***************
「――――!!」
驚きの余りわたしは声も出なかった。
けれど、次の瞬間、陛下は下を向いたまま言った。
「…お前の文に垂れる」
見れば確かに齧られたところから桃の果汁が滴り落ちそうになっている。
「…あっ、はい…!」
わたしが慌てて両手の指先を皿の様に丸めると、陛下はまたそのまま一口齧った。
陛下は桃を食べながら、クルクルと丸まったわたしの文を解いて、それに目を落としていく。
続けてもう一口、陛下が桃を噛む。
今度は整えられた陛下の顎髭がわたしのに当たり、その都度果汁が手の平に落ちて溜まっていく。
わたしはそれが下の文に垂れてしまうんじゃないかと冷や冷やしていた。
(大事な文の上なのに…)
果汁で汚れたり、文字が滲んだりしたら大変だ。
けれど次の瞬間、わたしはビクっとして桃を落としそうになってしまった。
ふいっと顔を傾けた陛下は、そのまま桃を持つ手を――。
わたしの指に歯を立てたのだ。
*****************
何事も無かったかの様に果実の半分くらいを齧った後、陛下は少しうんざりした様に言った。
「…もう良い。やはり甘過ぎる」
「は、はい…」
(やはりって……桃を食べたかったんじゃないの?)
いきなり指を噛んだのも含めて、陛下の言動が謎過ぎる。
わたしは混乱しながらも、手の平に乗せた桃を陛下の前から下げたのだった。
「…………」
文を読み終わった後、陛下は大分無言のままじっと文面を見つめていた。
(…何を言われるんだろう)
文を持ったまま動かない陛下の姿を見ながら、わたしはドキドキと緊張感が込み上げてきた。
次の瞬間、陛下の口から大きなため息とともに、小さく呟く声が聞こえた。
「…まさか…本当に花畑だとは…」
「花畑…ですか?」
陛下はわたしをじっと見つめた。
そして暫くしてからわたしへ尋ねた。
「脳味噌があ…お花畑なお前に尋ねるが、本当はバアルに何を聞きたかったのだ?」
(今…阿呆って言おうとした気がするわ)
陛下の冷ややかな眼差しと口調に、わたしは一瞬口を噤んた。
「……聞いても…陛下が答えて下さらない事です…どうせ」
「どうせとは何だ?」
どうやら最後の一言がお気に召さなかったらしい。
「…申し訳ありません。でも陛下は、ニキアス様のご家族についてお聞きしても答えて下さらないでしょう」
「ニキアスの?あ奴が言ったのか?」
「…いえ。わたくしが個人的に気になっただけでございます」
陛下の言葉を『ニキアスから聞いたから』と言えば、後々面倒な事態になりそうだったので、わたしは適当に答えた。
陛下はわたしの言葉を聞くと、両手の指を前で組み目を細めた。
「…ふん、お前は一体何が聞きたいのだ?」
「まさか――陛下、教えて下さるのですか?」
陛下の返答にわたしは桃を持ったまま、思わず前のめりになって陛下へと尋ねた。
益々月の様に目を細めた陛下は、ニイっと笑った。
「教えてやってもよい…が、お前が余の条件を吞むか否か次第だ」
***************
「じょ…条件ですか?」
「そうだ」
陛下はわたしが書いた文を綺麗に巻き直すと、それで手の平をポンポンと叩いた。
「これは約束どおりバアルに送ってやろう。
ただニキアスの家族の事を教えるかどうかは、また別の話だ」
「別の…」
「余に条件を提示してみるか?」
揶揄する様な口調で、陛下はわたしを見つめた。
「提示する様な物と言われましても…」
預言内容の殆どは、実は先日バアル様との面会した時に陛下にもう話してある。
一週間前の切羽詰まった状況で『陛下にまだお話していない事がある』と思わず口走ってしまったのは、実は前アウロニア国王子ギデオンの事だった。
逃亡者になった彼が、その後大盗賊団に所属する『アナラビ』で今も生き延びている…と陛下に伝えるのは容易かったけれど。
信じて貰えるか分からないし、何よりそれはギデオンへの裏切りの様な気もして、この場で簡単に口に出す事が憚られた。
(しかも向こうはわたしに忘却の暗示がかかっていると思っている)
わたしに何が出来るんだろう。
小説『亡国の皇子』の中の事は大体分るけれど、それ以外で明らかな――小説の内容以外の『神託』は受けていない気がする。
(未来視?の様なものはあったかも、しれない…けれど)
齧りかけの桃を持ったまま、わたしはその場で立ち尽くしてしまった。
――わたしに出来る事って一体何だろう。
お待たせしました。m(__)m
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