63 取引 ②
「やっと目覚めたか。レダの預言者」
そこに立っていたのは間違いなくガウディ皇帝陛下だった。
短い黒髪に黒目がちの大きな目と小さな顔と顎鬚、手足は細長く――背が高い。
そしてわたしが謁見した時のままの白と紫のトーガを着ている。
(…どうして陛下がわたしの部屋で仁王立ちをしているの?…)
この状況が全く飲み込めず、わたしは上手く言葉が出せなかった。
「…え…あ……」
陛下はわたしをじっと見つめてから、自分の隣に立つ老医師を見下ろした。
「…エシュムンよ、こ奴の頭は本当に大丈夫なのか?余の質問に返答すらできない様だが」
「いやいや陛下。まさかそんな訳は…。どれどれ、ではもう一度診察しましょうかの」
老医師はわたしの寝台によたよたと近づくと、近くの椅子を引っ張って来て腰かけた。
「気分は悪くないですか?…ハイハイそうですか。ではお脈を拝見」
そのまま老医師は皺の多い手でわたしの手首に触れると
「…安定してますな」
と頷いた。
その間陛下は、部屋の壁に寄りかかって腕組し、半眼のままわたしと老医師のやり取りをじっと見ていた。
「手脚はきちんと上がったり動いたりしますかな?」
「それでは舌を出して、『えー』と言ってください…」
「…はい…」
「えー…」
「…もう良い。いつまでもこれに付き合っている程、余は暇では無い」
老医師の言う通りあっちこっちに手足を動かして診察を受けるわたしを、陛下はもう待てなくなった様に、診察途中の老医師の手を止めさせて言った。
「エシュムンの指示に従えるのなら、少なくとも耳は聞こえている筈だから伝えておく」
陛下はわたしをじっと見つめて一文だけ言った。
「…ドゥーガのバアルとのやり取りのみ許す」
「…本当ですか?」
「ただし、バアルの居場所は余と極一部の者しか知らぬ。検閲も兼ねて一週間後、書いた文を余の私室まで持って来い。時間は三十分間のみ。
私室の場所は迎えに行かせるから、ここで待て」
陛下はそれらの内容を、わたしに向かって一気に言った。
「あ、ありがとうございます!陛下ありがとうございます…!」
寝台から急いで降りたわたしは、思わず床に平服して陛下へのお礼を繰り返した。
そんなわたしを陛下は無表情のままで見下ろすと、踵を返して部屋を出ると同時に言った。
「――止めろ。預言者は神以外に頭を下げるな言われた筈だ」
(…あ、そうだったわ)
と気付いたわたしが顔を上げた時、既に部屋から出て行った陛下の後ろ姿は見えなくなっていた。
「…レダの預言者殿」
わたしが床から立ち上がるのを見ながら、エシュムン老医師は尋ねた。
「もしやバアル様に手紙を送るのを、陛下はお許しになったのですか?」
「はい。実は謁見時にお願いしたのですが、その時はお許し頂けなくて…」
「…ふむ…」
「…あの…?」
エシュムン老医師が不思議そうに首を傾げた様子が気になって、わたしは思わず尋ねていた。
「何か…?」
すると老医師は慌てた様に手を振った。
「いやいや、何でもありません。陛下が良いと仰るなら良いのでしょう」
「…?…そうですか…」
(何だろう…何か引っかかる言い方だわ)
すると気を取り直した様に老医師はわたしへ言った。
「それよりもお身体に特に何も無くて、何よりですじゃ。もし何かあれば、また儂のところにご連絡ください」
どうやらエシュムン老医師は、皇宮付きの侍医らしい。
お弟子さんもたくさんいるらしいが、陛下をはじめとした皇族は、皆エシュムン老医師が主に診察しているのだそうだ。
「分かりました。ありがとうございます。
あとどうぞわたしの事はマヤとお呼びください」
「ハイハイ…ではマヤ様、これで儂は失礼致しますよ」
エシュムン老医師が一礼して帰っていくと、控えの間で待っていたリラが入れ替わる様に戻って来て、心配そうにわたしへと聞いた。
「マヤ様…どうでしたか?」
「リラ聞いて、やったわ!バアル様にお手紙を書く事を許されたのよ」
「まあ本当ですか?マヤ様。ではニキアス様の方は…」
「実はニキアスの方は陛下に駄目だと却下されてしまったの」
「そうですか。それは残念ですが…せめてバアル様の方だけでもお許しが出て良かったですわ」
「そうね。ありがとう、本当に」
文が送れる事を共に喜んでくれるリラに、わたしは力強く頷いた。
バアル様に相談が出来ると思うと、何をしたらいいか分からないこの袋小路に入った様な気持ちや状況に、一筋の光明が見えた様な気がしていたのだった。
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「陛下…どういうおつもりですか?」
ドロレス執政官は、豊かな巻き毛を揺らして皇帝ガウディへと尋ねた。
ガウディは皇帝の椅子にだらしなく腰掛けて足を組むいつもの姿勢で、肘掛けを指でコツコツと鳴らしていた。
「何の事だ?ドロレス」
「あの女狐の…いえレダの預言者に、寄りにもよってドゥーガ神預言者バアル様に文を送る事をお許しになるとは…」
ガウディは黒目がちの目を三日月の様に細めて、ふっと口元を緩めた。
「流石の情報網よな、ドロレス」
「それは皮肉でございましょうか陛下」
「いや。全くそんなつもりは無いぞ」
ドロレス執政官は、コホンと一つ咳払いをすると
「…バアル様の外遊は所謂隠密で、個人の私信に構っていられる様な状態では無い筈では」
「お前の言う通りよ。お花畑な女の恋愛相談に構っている場合では無い」
「…では何故?」
ガウディはうすら笑いのまま少し黙っていたが
「取引だ」
と言った。
「…あの娘はレダ神の預言の内容で、余に『告げ知らせていない事がある』とぬかしおった。余はどうしてもそれを聞き出さねばならぬ。
無理に聞き出そうとしても良いが、それで『大事な預言者を傷つけた』と今女神にへそを曲げられても困る」
頬杖をついたままのガウディは、まだ複雑な表情のままのドロレスを見下ろした。
「不服か? ドロレス」
「…納得はいっておりませぬ」
「そうか、では今夜はヨアンナの元へ行こう」
ガウディの言葉にドロレス執政官は少し飛び上がった。
「…本当ですか?陛下」
それを見たガウディは、意地の悪い笑みを浮かべたままくつくつと笑った。
「本当だ。何とか時間を作って行く故、皇后には若く美しい愛人等との時間を断る様に伝えておけ」
お待たせしました。m(__)m
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