62 取引 ①
「…母上、そこでなにをなさっているのですか?」
ガウディの母は、息子の声に驚いて振り向いた。
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勉強の終わったガウディは母の姿が見つから無い事に気付き、大公邸宅内を探し回った。
しかしそこに彼女の姿はなかった。
嫌な予感がして『もしや』と思い、父の側妃等の集う大屋敷への方へと走って来たのだった。
「…どうしてここが分かったの?」
母はその美しい碧い瞳を見開き、背の高い華奢な身体はまるで凍り付いた様に動かなかった。
彼女は井戸の前で小さな革袋を持ち、今まさにその中身を投下しようとしていたのだ。
「…ガウディお願い。止めないで」
「母上、その袋は何ですか?俺に渡してください」
ガウディの母は子供がする様に、イヤイヤと首を振った。
「ダメよ。渡せない、渡せないわ。わたくしがちゃんと出来るという事を証明するの」
半泣きでひたすら首を振り続ける母をガウディは
(なんとか宥めなければ)
と考えた。
「母上…」
「でなければレダ様にまた怒られてしまうもの…」
ガウディは母が持つ小さな革袋を見つめた。
子供のガウディでも、その袋の中身の正体は大方予測出来た。
そしてそれを――父である大公の側妃が集う邸の共同の井戸に投げ込もうとする意味も。
「そんな事をしたら皆が死にます。母上の大事なニキアスも…」
「何を言っているの?そんなの分かってる。
あの子の住まいの井戸は別の場所から曳いているわ。もちろん我が宅のもね」
『だから大丈夫なの』と勝ち誇ったように、ガウディの母は声を上げて笑った。
そして手を振り上げながら、駄々っ子の様な口調でガウディへ向かって言った。
「だってどうせ他の子は皆、邪魔になるのよ。
土から湧いてくる蟻と同じだもの。今のうちに退治しなきゃ。
またどうせ新しい蟻が湧くわ。キリが無い位幾らでも」
ガウディは、金色の髪を振り乱し徐々に興奮してまくし立てる母親を、じっと見つめていた。
***************
「…分かりました」
ガウディは母へと宥める様な口調で話しかけながら、ゆっくりと近づいた。
「では代わりに俺がやります」
「…代わり?」
「俺がやります。――母上の代わりに」
「…本当? 本当にやってくれるの? ガウディ…約束してくれる? レダ様に誓って下さる?」
野良猫が警戒する様に小さな革袋を胸に抱えて後退りする母へ、ガウディは優しく呼びかけた。
「レダ神には誓いませんが、母上と貴女が愛するニキアスに誓います。
…それでいいでしょう?」
ガウディは手の平を上に向けて、すっと母に差し出した。
「――さあ、それをよこして」
ガウディの誓いを聞いて途端に大人しくなった母は、今更それが危険物だったのを気付いたかの様に、革袋を慎重にそっとガウディの掌に乗せた。
「とってもとっても危ないから気を付けてね。ガウディ…」
母のその子供っぽい言い回しに、珍しくガウディは、ふっと口元を綻ばせた。
「もう帰りましょう、母上。
こんな処にいては、また父の側妃と子等に虐められてしまいます」
「…でもガウディ。わたくし帰り道が分からなくなっちゃったの」
小さな少女が迷子になった様に、母は小さく呟いた。
ガウディはどんなに正気でない母であろうと、心から愛していた。
だからガウディは――最近背が伸びて自分と目線が近くなった母に優しく微笑むと、その手をしっかりと引いた。
「大丈夫。安心してください。俺が連れて行きます」
そう言って、ガウディは母と共に住む邸宅へと二人で帰ったのだった。
**************
わたしが目を覚ました時、室内は暗かった。
けれどそこは、見知った光景――自分の部屋の寝台の上だった。
(わたし…謁見の間に居た筈なのに…)
「どうして部屋に戻っているの…?」
思わず呟いて寝台の上で少し身体を起した時、丁度小さな盥を持って部屋に入ってきたリラが起き上がったわたしの姿を見て声を上げた。
「マヤ様!ああ、良かった…!大丈夫でございますか?」
心配して寝台へ駆け寄って来るリラにわたしは尋ねた。
「リラ…ね、わたし…どうしてここにいるの?陛下との謁見はどうなったのかしら」
「覚えていらっしゃいませんか? マヤ様は謁見の間で『過呼吸』とやらになって倒れた為に、近衛兵によってここへ連れ帰られたんですよ」
(わたし…倒れたの?…)
「……覚えていないわ…」
わたしは、まだぼうっとした状態のままリラへ答えた。
すると、いきなりわたしの寝台の回りでリラと部屋付きの奴隷等がバタバタと部屋の片付けをし始めた。
「早く、早く片付けて。マヤ様が起きたから、急がないとすぐにお見えになってしまうわ」
(お見えになる…?)
片付けに奔走するリラ達を見ながら、頭に霞がかかった様なはっきりしない状態の中、わたしは何があったのかを思い出そうとした。
最後の記憶は――何だっただろう。
(辛くて苦しくて…)
でも誰かが…何か言っていた気もする。
(あの人はなんて言っていたっけ…)
誰が言っていたかが思い出せない――けれど。
『お前は悪くない』
それを聞いた後、とても気分が楽になったのは覚えている。
でも…手紙については、陛下から全く許可を貰えなかった。
(わたし…結局失敗したんだわ)
ニキアスへ手紙が送れれば、どんなに気が楽だろう。
もしくはバアル様にせめて色々相談できれば…。
わたしが大きくため息をついた時、隣の部屋で大きな声がして何だか騒がしい事に気付いた。
「…だから彼女は先程起きたばかりだと言っとるじゃありませんか」
(?…何だか甲高いお爺さんの声がするわ)
「どうぞ今は負荷の掛かる様な発言はお避け下さい…って聞いとりますかな?」
「しつこい エシュムン。直ぐ帰ると言っているだろうが」
聞き覚えのある低くざらついた声がすると同時に、寝室の扉がバンっと大きな音を立てて開いた。
その瞬間、先程までのぼうっとした気分は何処へやら吹っ飛んでしまった。
わたしは口をあんぐりと開けて、寝室の入口に立つ細長いシルエットの人を見た。
「へ、陛下…?」
お待たせしました。m(__)m
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