60 皇帝陛下への嘆願 ①
ちょっと長くなりました。
わたしは陛下にダメ元で、面会の希望を出した。
しかしそれが叶ったと聞いたのは、奇しくもニキアスが遠征の為に首都ウビン=ソリスを出発した日だった。
わたしは皇宮内の高い建物の窓辺でニキアスの率いる軍隊が街道に向かって歩いて行くのを見つめていた。
(ニキアス…気を付けて)
指揮する為に先頭を行くニキアスの姿は、もう見えなくなっている。
――ニキアスは、とうとう行ってしまった…。
わたしは目を瞑り、小さくため息をついた。
私室に戻る途中、廊下を小走りでわたしのところにやって来たリラが
「マヤ様…マヤ様、通りました」
とわたしへと言った。
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「――え?陛下への面会の希望が通ったの?」
理由は分からなかったが、ニキアスが遠征に行く前から何度か頼んでいた陛下への面会のお願いは却下されていた。
「はい。ただ面会と言うか謁見の形になりますので...」
「…陛下にお会いする為には謁見の間に伺わなければいけないのね」
いきなり『陛下にみんなの前で直接お願いする』というハードルの上がったミッションになったが、わたしは大きく頷いた。
「分かりました。ではそのように」
あの日――雷が落ちる前にニキアスが、わたしに何が言いたかったのかを聞きたかったのだが、彼自身の仕事が急に忙しくなった。
と同時にわたし自身も『皆既日食』の説明と観測器具の確認を新しく就任したミケウス=カレに再度説明しなくてはならず(大体はアポロニウスから聞いていた様だが)、なかなかニキアスに会う機会が取れず仕舞いになってしまった。
(いえ…)
短時間であれば取れない訳でもなかったと思うのだが、何故だか
(ニキアスはわたしを意図的に避けている)
という感じがしたのだ。
(一体、何故…?)
明らかに陛下に会ってから、そしてあの顔に傷を作りわたしの部屋に現れてからのニキアスの様子や態度がおかしい。
正体はわからないが何か――得体の知れないものが動き出している気がする。
嫌な予感が湧き上がると同時に
(わたしがニキアスを守らなくては)
という決意が益々強く固まるのも感じた。
(ニキアスが遠征に旅立ってしまったからには、一刻の猶予も無い)
ニキアスがこのままアウロニアに戻れない最悪の状況をなんとか避ける為にも、わたしは考えて動かなければならない。
(何としてでも陛下にバアル様への連絡を許可していただかなければ)
妙な不安と募る嫌な予感で、面会する陛下への身構える気持ちは半ば気にならなくなっている。
――何て変わり様なのかしら。
最初この世界に来た時にはひたすら戸惑ったわたしは
(何とか『ニキアスに殺されるのを回避して、小説『亡国の皇子』に巻き込まれずに生きなきゃ)
と思っていたのに。
自らその混沌とした渦に飛び込む羽目になるなんて。
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「ここからは預言者様、おひとりでお願いします」
謁見の間の前で衛兵に入念なボディチェックをされる。
白いマントを羽織ったわたしは、フードを深く被り直して頷いた。
「わたしは大丈夫よ。行ってくるわ」
謁見の間の廊下で控える心配そうな表情のリラに向かって声を掛けると、わたしは謁見の間に続く赤い絨毯を踏みながら前へと歩いた。
部屋の奥へと近づくにつれ、トントンという規則的なリズムを刻む音が聞こえる。
わたしはもうそれが陛下が指先で椅子のひじ掛けを叩く音だと知っている。
「止まれ」
陛下のひび割れた声が上から聞こえて、わたしは歩む足を止めた。
フードの隙間からそっと皇帝の椅子の陛下を見上げる。
少し姿勢を崩しながら座る陛下は、今日も白と紫のトーガを着用している。
すぐ近くに明らかに貴族と思われる臣下達の姿も見えていた。
特に元老院の議員達の姿は無い様だった。
そして愛人の女性らを侍らせてもいない。
少なくとも、揶揄われている感じも無いから
(わたしの話を真面目に聞いてくれる気はあるのかしら?)
と思った。
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ゆっくりとわたしはフードを下した。
「レダ神の預言者マヤ参上いたしました」
わたしは礼をする為の頭を下げずに、そのまま陛下の大きな真っ黒い瞳を正面から見上げた。
「本日はわたくしの面会のお願いを聞いて下さり有り難き幸せに存じます」
「…余に何の用事だ。レダの預言者」
どことなく不機嫌そうな声で、陛下は簡潔にわたしに尋ねた。
「僭越ながら、わたくしの私的なお願いにございます」
「それをこの謁見の間で言うか?愚か者」
「そうでなくば陛下はお聞きになってくださらなかったでしょう」
いつもならひるんでしまいそうな陛下の低い声に、わたしは平板な声で返した。
謁見の間が少しざわつき、その場にいる臣下達から声が上がる。
「なんと…不敬な言いぐさだ。レダの預言者とて許されまい…」
「…是非にお願いしたい事がございます」
わたしはその声を聞きながらも、陛下へ向かって話し始めた。
「それは――わたくしとニキアス=レオス将軍との手紙のやり取りをお許し頂く事、並びに尊敬するドゥーガ神の預言者バアル様との文通をお許し頂く事でございます」
陛下は頬杖をつきながらわたしの話を聞いてから、けんもほろろといった様子で返した。
「皇宮内の預言者間のやり取りは禁じられている。
殿上人である将軍ニキアス=レオスとのやり取りも然り」
そして目を細め、陛下はわたしを馬鹿にする様に言葉を続けた。
「…あ奴が帰還したら存分に会えばよい。
お前は今まで何度もニキアスを部屋に引き込んでいただろう」
次の瞬間――謁見の間に、臣下の貴族らの
「…レオス将軍とあのレダの預言者は、すでにその様な付き合いなのか」
という騒めきがまた大きくなっていった。
いきなり羞恥に因る公開処刑に晒されて、わたしは全身がかあっと熱くなった。
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(どうしてこんな場所で――ニキアスとの関係を改めて言う必要があるの!?)
恥ずかしさと怒りを覚えながらも、騒めく人々の中で陛下に向かって声を上げた。
「わたくしはお二人がこの国を離れている間に連絡を取りたいのです」
「――くどいぞ」
陛下は、また冷たくひと言で言い捨てたけれど、わたしは簡単には引き下がらなかった。
「陛下…お願いでございます。国益や神託に抵触する様な内容は書きません」
「お前の願いなど余の関知する事では無い。下がれ レダの預言者」
「ではせめて…どちらかだけでも。お願いしま…」
わたしが粘って話を続けようとした時、近くに立っていた臣下の一人が近づいて来た。
わたしがそれに気づくと
「――陛下のお言葉が聞けぬか、この女狐の預言者め」
臣下はマントから出る素のわたしの腕を素手で力任せに引っ張り、謁見の間から連れ出そうとした。
身体がその場で思い切りよろけて膝を付きそうになった瞬間、わたしの頭は真っ白になった。
「――放せ!無礼者!」
その一瞬だけ自分の中で傲慢でプライドの高いマヤ王女が蘇ったかの様に、わたしは声を張り上げ臣下の手を思いきり振り払った。
白いローブを翻してその場で立ち上がる。
腕を引っ張った臣下は、ただ驚いた表情でわたしを見ていた。
わたしの剣幕に、陛下の近くに立つ侍従や臣下も呆気に取られた表情をしている
陛下はほんの少し口を開け、表情の無い顔でわたしを見ている。
謁見の間は見事にシン…と静まり返った。
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わたしは少し息をついて姿勢を正してから、陛下に向き直った。
「…陛下、わたくしが先日お話ししたもうひとつの預言について、実はまだお話していない事がございます」
「…預言?」
「まだレダ神の神託があったのか?」
「陛下はご存じなのか?」
またざわつき始めた臣下達が、方々から恐る恐る陛下の方を見た。
陛下は無言のまま、わたしをじっと見下ろしたままだ。
「そのお話をするかどうかはわたくしの裁量次第でございます」
「…ほう、なんと…」
陛下は短い顎髭を指先で撫でながら薄笑いを浮かべて言った。
「面白い。お前は身の程知らずにも余と取引するつもりか」
わたしはぎこちなく微笑んだ。
「陛下、それは大変恐れ多いお言葉です。
アウロニア帝国のレダの預言者の立場のわたくしに、そんな考えは微塵もありませぬ」
何故なのか――以前ニキアスとハルケ山へ向かう旅をした時の様に、わたしの中からすらすらと言葉が出てくるのを感じた。
「…わたくしはかつてゼピウスに居た際、預言内容によっては王へ上申すべきかどうか迷った時がございました。
敢えて神託をお伝えせずにいた事もあったかもしれないとお話させて頂いただけでございます」
預言内容に『嘘をついた事はない。ただ言わなかった事はある』とわたしは暗に匂わせた。
「なんと生意気な預言者だ…」
「あの言い方、この帝国を裏切ると予告している様なものではないか」
臣下達の騒めきの中で、陛下はゆっくりと片手を上げた。
お待たせしました。m(__)m
読んでいただきありがとうございます。
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