55 兄と弟 ①
ニキアスは皇宮内の最奥に位置する皇帝ガウディの私室へと歩いて行った。
広い皇宮内の皇帝の私室の場所を把握する者は、皇帝の側近の中でもとても少ない。
またここに来る部屋付きの奴隷は素性を厳しく調べられ、かなり人数も制限をされていた。
殆どの用事は部屋の外で済ませるガウディがここで過ごす事は、入浴と就寝時のみが多く、警戒心の強いガウディは自分の私室に他人は殆ど入れないのが常だった。
ニキアスは目的地に到達するまでの数か所に配置された衛兵の厳しいボディチェックを受けてから、ようやくガウディの私室の扉の前に立った。
(やはり…数年前と場所が変わっている)
ニキアスは辺りの景色を見渡して、数年前通された部屋とは場所が異なっている事に気が付いた。
警戒心の人一倍強い義兄の事だ。
定期的に変えているのだろう。
そう思いながら、一際入念なボディチェックを受けた後、屈強な警備兵が守る部屋の前にニキアスは立ち、扉をノックした。
「…アウロニア帝国皇軍『ティグリス』将軍ニキアス=レオス参上しました」
***************
ギィ…と扉が開き、そこに立っていたのは豊かな巻き毛とでっぷりとした身体付きをしたドロレス執務官だった。
「ドロレス様、何故ここに?…」
驚いたニキアスに対して、ドロレスは簡潔に言った。
「陛下と内密の話がありました故」
と言うとニキアスを部屋の中に招き入れた。
「次の客人とは貴方でしたか」
ドロレス執政官は面白くなさそうに呟くと、部屋の奥へと歩いた。
「陛下は私との話の後に入浴されると、あちらへ歩いて行かれました」
「…浴室へ?」
実は皇宮内にはとても贅沢な装飾で有名な広い大浴場がある。
寝そべったまま豪華な食事や酒を嗜む事ができ、ついでに専属の奴隷によるマッサージや垢擦りなども提供される場所だ。
大抵の皇族はそこを使用している筈だが、どうやら皇帝ガウディはそれらには興味が無く大浴場を使わないらしい。
「私はこれで退出いたしますが、陛下が次の客人に『そのまま中に入って来いと伝えろ』と言伝られましたので」
「な…」
「確かに伝えましたぞ」
とだけ云うと、ドロレスは足早にガウディの部屋を出て行ってしまった。
(しかし、陛下は一体どういうおつもりなのか…)
自分をわざわざ私室に呼びつけ、自らが入浴中という無防備な状態で一体何の話をしようしているのか。
(あんなに警戒心の強いお方が…)
ニキアスの脳裏に一瞬、ガウディに因る悪夢の様に執拗な――執着の行動が蘇った。
思わず手で口元を抑える。
(いや、まさか今更…それはあるまい)
それはニキアスにとって甘美な苦痛と苦い快楽の縛りだった。
自分が七歳で宮殿を離れるまでと、当時王位を継いだばかりのガウディ王にドゥーガの神殿から呼び戻された十三歳からマヤ王女と婚約する十六歳までの約三年間、その行為は続いたのだった。
ニキアスはその考えを振り払う様に首を振った。
(…今回は自分も陛下に話がある)
ニキアス自身も今回の遠征後、マヤ王女を自分の宅に戻して欲しいとガウディに願うつもりだった。
もともとゼピウス国陥落の褒章で、ニキアスがマヤ王女を貰い受けるという話だったのが、しばらく皇宮預かりからのアウロニア帝国付きの預言者へといつの間にかガウディ自身がしたのだから。
(マヤは預言者として優秀ではあるが、他にもレダ神の預言者はいる筈だ)
ニキアスは思った。
何と云ってもアウロニア帝国内の信者数はメサダ神と二分する人気の女神だ。
しかも何処か秘密主義のメサダ神と違い、女神レダは広く皆に親しまれている。
(マヤの代わりの預言者は、たくさんいるだろう)
ニキアスは浴室に着くと、その扉に向かって声を張り上げた。
「参りました――陛下」
「入れ」
微かに答えるガウディの声が聞こえた。
*****
浴室の扉を開けると、ニキアスはむわっとした湿度の高い蒸気に包まれた。
その蒸し暑い蒸気に晒され、ニキアスの額に汗が滲む。
王家の大浴場とは異なり、華美なベンチや神殿のような神々の像は全く見当たらずシンプルな埋め込み式の浴槽があるだけだった。
皇帝ガウディは後ろ向きのまま、たっぷり湯の張った浴槽に浸かっている。
ただその湯の色は緑色で、ニキアスが今まで嗅いだ事の無い変わった薬草の香りを放っていた。
ニキアスはガウディの声が聞こえる距離まで近づいた。
そして片膝を付き、ガウディの後ろ姿に声を掛けた。
「…陛下」
***************
「ニキアスか。ドロレスは帰ったか」
「はい。帰りました」
「あ奴はまた子供をつくれと五月蝿い。ヨアンナとの間にもう三人もいるというのに」
ガウディは湯から指を三本出すと、蒸気の中でうんざりした様にその手を振った。
ドロレス執政官の従妹がヨアンナ皇后妃である。
「それは…皆様、王女様だからでしょう」
ニキアスの言葉に、ガウディはフッと含み笑いをした。
「不思議だと思わぬか?ニキアス。
あれだけ側妃が数いても、何故か男児には恵まれぬ。たとえ生まれても皆死産か病死だとはな」
ニキアスは俯き黙ったまま、ガウディの言葉を聞いていた。
一筋の汗が、額からニキアスの顎を伝い床に滴った。
まるで愉快な物語を話すような口調で、皇帝ガウディは続けた。
「まるで神々から呪われている様だ。『お前の子はこの国を継げぬ』とな」
「……」
ガウディはまたフフッと笑った。
「ニキアスよ喜べ。やはりどうやら義弟のお前が――この帝国の次の主になるようだぞ」
****************
ニキアスは慌てて皇帝ガウディへと返した。
「そんな事は…滅相もありませぬ。卑しい生まれの俺が…」
「半分は余と同じ大公の血を引いている」
「…俺はそんな器ではありませぬ。陛下どうか…」
「その様なものは最早どうでも良い」
そう言い捨てた皇帝ガウディは、ザバっと勢いよく湯舟から立ち上がった。
何も言えずにただ床を見つめたままのニキアスの耳に、ガウディがそのままスタスタと歩いて近づく音が聞こえた。
俯いたままのニキアスの頭上に、ガウディの身体から落ちた水滴がパラパラと降ってくる。
「――ニキアス、面を上げよ」
お待たせしました。m(__)m
読んでいただきありがとうございます。
ブックマーク・評価いつもありがとうございます!
なろう勝手にランキング登録中です。
よろしければ下記のバナーよりぽちっとお願いします。




