3 人と魔族と
そうして、またいく度も夏が巡った。
人間たちの世界では、時代が急激に転回しているようだった。
勇者カリアードは国内で相応の地位を得、政治的な発言権をもつようになり、さらに協力者を増やして緻密に計画を実行しつづけていた。
やがて遂にその日がやってきた。
我が住処に、人間世界からの使節団がやってきたのである。
当然、勇者カリアードが団長だった。その横に、今ではすっかり人間の姿が板についた「仲介者」の小柄な姿もある。
使節団はすべての国から選ばれた代表者で構成されていた。
人間にとっては相当に長い時間をかけ、勇者カリアードが各国の王侯貴族に向かい、あるいは過去の証拠を突き付け、あるいは喉を絞ってかきくどいてきた結果である。
あの時はまだ若々しい青年だったカリアードは、すでに中年の域に達していた。
今回、「仲介者」は我と人間との仲介役には預からなかった。
なんとなれば、すでに知性を取り戻した我が同胞たちが何百名もこの場所に戻ってきていたからである。それらのうちの特に優秀な一人が、この重責を買って出てくれたのだ。
「オークの王よ。久しくお目に掛かりませんでしたが、お変わりありませぬでしょうや」
話し合いは、カリアードの丁重な挨拶の言葉から始まった。
《我はいつもと同様である。そなたらの尽力により、我の同胞たる者らがここに斯様に戻ってきてくれたこと以外、なにも変わってなどおらぬ。そなたは息災であったか、カリアード公》
あのころ一介の勇者にすぎなかったカリアードは、この時点ですでにとある国の大公の身分を得るに至っていた。
「お陰様をもちまして」
短く言って長いマントを翻し、目立たぬように引き下がる姿も、以前の若々しく青くさく、少しのことで慌てふためいていた初々しい姿からは一転している。ごく自然に落ち着き払った物腰だ。今の彼には誰の目にも明らかな威厳に満ちた態度がそなわっていた。
が、周囲の人間たちは当然ながらそういうわけにはいかなかった。
みな、この会談のために誂えられた岩のテーブルの前に座り、ちらちらと我の顔を盗み見たり、周囲のトロルやオーガ、ゴブリンたちが彼らの茶器などを運ぶ姿を観察したりしている。その目には、紛れもない驚愕の色が浮かんでいた。
だがまあ「百聞は一見に如かず」と言うがごとくだ。彼ら人間が「魔族」と呼んで忌み嫌ってきた理性のかけらもないはずの生きものが、我のそばで暮らすうちに、まるで違う存在へと生まれ変わる。と言うよりも、そもそもこれが我ら本来の姿なのだ。
我もカリアード公も、この会談でそのことを彼らに理解してもらいたいと切に願っていた。
「しかし、わが目を疑う思いです。まさにカリアード公の申された通りでしたな」
とある国の大使がそう言えば、「左様、左様」と周囲からも同調の声があがった。
「大地と大気の《気》と申されましたが、要するにそれは魔術師どもが用いる魔力のようなものなので?」
「左様にございます」
落ちついた低音で答えたのはカリアードだ。
「私もこの目で事実を見、歴史を子細に調べるまでは納得がゆきませんでした。しかしこれは紛れもない事実なのです。もちろん、彼らからしてみれば『魔』などと呼称されること自体が不本意でもあり、事実に即しておらぬと感じておられましょうが」
「な、なるほど。『魔』とはすなわち妖しく、また卑しきこと。妖術そのほか、眉唾ものの行為をも意味する言葉ゆえ──」
「そういうことです」
カリアードはこちらが供した茶に一度くちをつけ、相変わらずの穏やかな声音で続けた。
「こちら側の魔術師たちも『魔力』を使い『魔法』を用いるというのに、なにゆえかれらばかりが『魔物よ』『魔獣よ』と貶められねばならぬのでしょう。オークの王は当初からそのことに心を痛めておられました」
我があれこれと口を挟むまでもなく、カリアード公が滔々と無駄のない説明をしてくれる。この十数年という歳月の間、「仲介者」がずっと彼に、我とこの世界の理について伝授しつづけた成果であろう。
「本来、魔術師や魔導士とは、大地と大気に潜む《気》の通り道たる存在を指しまする。ただし人間が扱える《気》などはほんの微々たるものに過ぎませぬが。こちらオークの王は、その道における最古参。われら人間側の魔術師、魔導士たちは、是非ともこの方に教えを仰ぐべきかと存じます」
「ほほう……」
他の面々が恐るおそるこちらを窺う。
「今からオークの王ご自身との話し合いを致しますが、王は体の特性上、人間の言葉を発するのが困難であらせられます。そのため、仲介者を挟むことといたします」
そのようなわけで、我はこちら側の「ゴブリン」の一人を介し、最初の挨拶をおこなった。
《よくぞ参られた、人間世界の代表者の方々よ。我はこの日を、一日千秋の思いにてお待ち申し上げていた。どうかご滞在中、ゆるりとお過ごしくだされよ。此度のこの会合が、互いと互いの民らにとって実り多きものになることを、切に願ってやまぬものである》
人間たちはひとりひとり立ち上がると、我に向かって丁寧に一礼し、自己紹介をしてから席についた。
そうして遂に、我らと人間による史上初の和平会議が始まったのである。




