シバターの試合を見て
シバターのRIZINの試合を見ました。正直、感動しました。
シバターと言えば、炎上系ユーチューバーで、ほんとは真面目でいい奴(多分)なんですが、炎上的な事をやって視聴者を集めてきた男です。
私は若干、シバターの事を知っていて、「神聖かまってちゃん」と昔、配信で絡んでいたので、その関連で知っていました。あと、アウトサイダーでの試合も動画で何試合か見ていました。
格闘家としてのシバターの印象は、「弱くはないけど強くもない」という感じで、打撃はダメ、寝技はそこそこで、腕ひしぎが得意、という程度のものです。
アマチュア相手に勝ったり負けたりだったので、RIZINでプロとやったら、1Rで瞬殺されるというのが大方の見方でした。ネタ的な事をやってすぐにやられるだろうと。プロも素人もみんなそういう予測でした。
シバターの相手のヒロヤも、K-1で見た事がありました。ヒロヤもものすごく強い選手というわけではないですが、紛れもなくプロなので、シバターぐらいは瞬殺だろう、という感じでした。シバターの方が体重が15kg近く重くて、それがハンデだったのですが、そうは言ってもプロとアマチュアなので、シバターはかなわないだろうと見ていました。
シバターは最初の1R目で、ネタ的な事をやって、失笑を買っていましたが、まあこれはシバターの義務・仕事みたいなもので、やっとかなきゃいけない程度のものです。シバターもおそらく、ネタをやっている間にぶっ倒されたら、もったないと思っていたと思います。
試合ですが、一ラウンド目にシバターがカウンターのパンチを入れてダウンを取り、二ラウンド目には腕ひしぎを決めました。この時、ヒロヤがタップしたのですが、何故か審判が取らず、二ラウンド全部終わって引き分けという判定。しかし、後からタップが認められ、シバターの勝利になりました。
私はテレビで見ていた時、最初のダウンはスリップだと思っていました。環境的にちゃんと見れる場所ではなくて遠目に見ており、(またシバターがスリップダウンを大げさに強調しているんだろう)と思っていました。ところが、家に帰ってよく見てみると、ちゃんとカウンターが決まっていました。相手の攻撃をはっきり見て、パンチを入れていました。
それから腕ひしぎもしっかり入っていた。ヒロヤは総合格闘技の経験がなかったので、寝技は無防備に近かったですが、それにしても綺麗に決まっていました。ヒロヤも、なめてかかっていたから(なめるのは当然ですが)、対策はしてこなかったのでしょう。
試合を見ていてすぐに気づいた事があって、それはシバターがローキックをしっかりカットしていた事です。私は(あれ、ちゃんとしてるなあ)と思いました。それと、序盤のハイキックもしっかりガードしていました。ヒロヤの攻撃が一発狙いで大ぶりだったので、シバターもしっかりガードできたのでしょう。
なので、試合自体は、シバターが大善戦というか、(あれ? ちゃんとやってんじゃねえか)という印象。最後の方はスタミナ切れして、フックとハイキックを喰らっていましたが、最後まで倒れませんでした。最終的には判定が覆ってシバターの勝ちになりました。
試合全部見て、正直、悔しいながら、シバターの頑張りに感動している自分がいた……くそ……シバターごときに……いや、でもシバター頑張りました。
後から、シバターが上げた動画も見ました。試合の前日に撮った動画があって「遺言」というタイトルです。そこで、シバターは格闘家としては早い内に限界を悟った、それでも回り道で、明日、大舞台に立てる事になった、それに感動している、と真面目に語っていました。
シバターと言えば、(ほんとうは馬鹿ではなく、利口な奴)と思っていました。これは後付けではなく…例えば、松本人志の映画を批判した動画がありましたが、割とまともな事を言っています。(シバター、何まともな事言ってんだ!?)と思いましたが、この人、根はまともなんですね。
そのあたりは神聖かまってちゃんとも似ています。で、そのシバターが炎上系ユーチューバーというどうしようもない事をやってきて、とうとうはじめての晴れ舞台に立ったと。そこで意外にも本気な姿を見れて、良かったと言えば良かったです。
ちなみにてんちむとかヒカルとかはどうでもいいです。どうでもいいというか、前から言っているようにユーチューバーというものは基本的には駄目だと思っています。何が駄目かというのは説明が難しいですが、公的な場所で勝負できるものではないという事です。信者に囲まれていくら再生数があがっても駄目だと思っています。
そんならお前のやっている事も同じだろうと思われるかと思いますが、確かにそうです。ただ、こういうブログ記事に関しては駄目ですが、他の文章においては、駄目じゃないものが含まれていると思います。
もうちょっと仕分けすると、例えば、「格闘技」というジャンルがあります。その場所に出たら、どれだけ偉そうな事を言っていても、どれだけ信者がいても、実力が問題になります。だから、スポーツというのは面白いわけです。「芸術」というジャンルも本質的にはそうです。ただ、芸術は、格闘技のようにはっきり実力が見えるものではないので、死後に評価される芸術家なんてのは一杯います。しかし、そういう芸術家は、一人で家に籠もって絵を描いたり小説を書いたりしていても、頭の中では公的な場所で勝負を仕掛けているのです。
要するに、そういう風に何らかの公正な場所で勝負できるものがないといけない。ある形式に自分から拘束されると言いましょうか。役者ならば「芝居」であり、どんなイケメンであろうと、「芝居」ができていなければ価値はない。こういう仕分けは今はめちゃくちゃになっていて、三流の連中が一流の顔をして表面に出ているのをよく見かけます。まあそういう事は歴史が是正していくので、心配ないでしょう。
では、そういう意味においてシバターはどうだろうか。シバターももちろん、駄目だろうと思います。だけど、フェイクとしての己をずっと作り続けてきた男が、はじめて人前で、本気で、自分自身を発揮できる機会を得られた。それというのは、配信という「駄目」を続けてきたからです。そういう風に、多数者の好奇を得るという「駄目」を続けてきたからこそ、格闘家としてはじめての舞台に立てた。
だけど、シバターは格闘家としても駄目だという意見があれば、やっぱりそのとおりでしょう。プロで勝負できる選手ではないのですから。だから、シバターがこのまま格闘家として試合に出続けるのはどうかと私も思います。まあ、コウジあたりともう一度やって終わりでいいんじゃないかと思っています。
だとしたら、大晦日の、あの闘いは何だったのか。格闘家のプロでもなければ、ド素人でもないシバターが、ユーチューバーである程度人気が出た事から掴んだ機会。そこでプロと闘う。シバターのファンはみんな、シバターがハイキックか何かでぶっ倒されるシーンを望んでいたでしょう。私も知り合いとそんな話をしていました。しかし、実際には、格闘家として、人間として真面目な、根性のあるシバターが出てきた。
要するにこの場所は、格闘技という一つの場で、フェイクを続けてきたシバターが、はじめて「リアル」になった場といえそうです。ではリアルというのはどういう事か。
シバターがユーチューブで朝倉未来にボコボコにされる動画があります。私はあれはやらせではない気がしますが、とはいえ、ユーチューブ上なので何が仕掛けられているかわからない。互いのユーチューブチャンネルで流しているから、そこに嘘があっても「面白ければ」いいわけです。
しかし今回の試合だけは本気のシバターが見れた。もしかしたら、シバターファンが密かに期待していたのはそれかもしれない。つまり、「素のシバター」が見たいと。
さっき「格闘技」というジャンルについて言及しましたが、「みんなが好きなタレント」というだけでは私は駄目だと思っています。何らかの「形」がなければならない。それは、「落語」とかでもいいですし、「スポーツ」でもいいでしょう。「お笑い」はそこから若干外れると思っていますが…まあ、それに関してはいいです。
要は、自分を表現する場があって、そこで何かを生み出す必要があるという事です。ユーチューバーは、そうではないという印象です。音楽PVとか、自作映画を本気で撮るというのであれば話は別ですが。
そういう意味において、シバターは、今回限り、本気で自分を表現する場を得たという事になるでしょうか。それは「格闘技」という場だった。だから、やっぱり、そういう場が必要というか、表現ではない、ただ主観的な好きとか嫌いとか、そういうものの集積では駄目だと踏んでいます。実際、そんな人達は好かれるとメディアにやたら出て、嫌われるとすぐに消えます。重要な事は好きとか嫌いではなく、それを越えた何かを残さなければならないという事です。「形」が必要なわけです。
そういう意味において、ひたすらフェイクを演じてきたシバターが今回はじめて、リアルなシバターとして、本気のシバターとして何かを残そうと挑んだというのに……ちょっと感動しました。だけど、あくまでもシバターはプロの格闘家ではないから、これがずっと続く事はないと思います。続いても変ですし。
またこの先、仮にシバターがテレビに出るようになった所で、そんなに感動しないと思います。やっぱり、どんなに迂遠でも「表現」とか「形」を持たなければならない。今回はそういうもの、魂が刻印された「形」を感じました。………まあ、こんな風にシバターを褒めすぎるというのも変なので、ここで切り上げようと思います。ただ、自分の嗜好で言えば、ノリアキとか神聖かまってちゃんが好きなので、そういうフェイクを演じる事によって多数者にアピールしていた存在が、一瞬垣間見せる「リアル」が好きな気がします。そういうものは、今の世の中に順応しつつ、何か違うものを求める一つの方法なのかも……しれません。(褒めすぎたか…)