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3分読み切り短編集

とにかく走りたかった

作者: 庵アルス

 とにかく走りたかった。

 衝動に駆られたのは深夜、日付の変わる頃。

 走るのは得意ではないが、とにかくじっとしているのが耐え難かった。このまま朝を待つなんて、とてもできそうになかった。

 パジャマの上にパーカーを羽織る。そのポケットに、財布とスマホを突っ込んだ。

 誰も起きていないことを確かめつつ、忍び足で玄関まで。家族に見つかると面倒だ。

 スニーカーに足をつっかけ、扉の鍵を解錠。そっと押し上げた扉の隙間に身体を滑り込ませ、閉める。なによりも神経を使ったのは施錠の方だった。

 足音を立てないよう、玄関から数歩離れ、街灯を頼りにスニーカーを履き直した。

 身体を起こすと、衝動はより強く、全身を震わせる。

 どこまでも走っていけそうな気さえした。

 軽やかに一歩、続けて二、三歩。弾みの付いた脚は、ぐんぐんと前へ進む。まるで背中を押されているみたいに。

 高揚する気分とは裏腹に、夜の空気はひんやりしている。

 星は見えない。まばらな街灯に照らされた住宅街を、夢中で駆け抜けた。

 体温がぐんぐん上がっていく。心臓がバクバクと、激しく高鳴る。呼吸も少しずつ詰まっていくのに、気分は楽になっていく。足を進める旅に、重たい荷物でも振り落としているかのよう。

 どこへ行きたいわけでもなかった。

 ただ、走ってみたかった、この夜に。

 通り馴れた道さえも、夜のヴェールの下では知らない景色に見える。人も車も通らない道で、世界に自分がひとりきりになったような錯覚に陥った。

 煩わしさのない夜。

 今、自由だ。

 そう、強く感じた。

 生活に不自由を感じたこともないけれど、今味わっているのは、解放感だ。

 なにも考えなくていい。ひんやりとした空気、自らの体温、足裏で蹴る道路の固さ。そんなことだけ、感じていればいい。

 けれど体力の限界は呆気なく訪れる。

 足が重くなってきて、呼吸は荒くうるさく、喉がカラカラで。

 引き摺るような足取りになって辿り着いたのは、公園だった。

 誰もいない広場に、自動販売機が煌々と光っている。吸い寄せられるように、ふらふら近付いた。

 なにを飲もう。甘いスポドリも、苦いコーヒーも気分ではなかった。考えて、新登場、とポップのついた、みかんのフレーバーウォーターを買った。

 ベンチに座ってひと息に呷る。柑橘系のさわやかさと甘みの後に、ほんのりと苦さが顔を出した。悪くないものの、次は買わないと決めた。

 息が整ってから、ふと、明日早起きしなきゃならないんだっけ、と思い出した。

 そのとたん、さっきまでの高揚感が急に消えて、汗を掻いた身体が、夜風でみるみる冷えていく。

 あーぁ。これ飲んだら帰ろう。

 でも走ったのは面白かったな。

 急激に襲ってきた眠気を押し殺すように、みかん味の現実感を、ぐっと飲み干した。

2020/09/25

急に走りたくなることって、ありません?

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― 新着の感想 ―
[一言]  なんだか無性に走りたくなることありますよね。  若い頃は特に、私は最近無くなりましたが、おじさん年とったなあ(笑)。  夜中に悶々として眠れない時、そーっと家から出て、意味もなく全力で走る…
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