08「極悪なクレーマー」
(どうしよう。念のために警備の方を呼んでおいたほうがいいかしら?)
一瞬、フランセットは悩んだが、気を取り直して目の前のオークをジッと見つめた。
「当ギルドは横入りは禁止しております。利用なされたいのであればルールを守って列に並び直してください」
アタミは席を外しているがフランセットは職場の先輩として規範を示さねばならないと勇気を持って毅然とした態度を取った。
「ああんっ。あの兄ちゃんがいいっていってるんだろーがっ。このギルドはおれたち亜人を差別するっていうのかよっ」
「亜人差別かよっ!」
野獣が猛るようにオークはカウンターに身を乗り出して吠えた。
黒檀の身の詰んだカウンターがみしりと軋んだ。二メートルをはるかに越すオークの巨体は二〇〇キロ以上はあるだろう。
オーク族は一見すればタダのデブに過ぎないが、その実、身体は筋肉の塊であり、表面には分厚い脂肪が乗っているので斬撃や打撃の耐性は人間よりもはるかに上回っている。
つまり、基本性能で一般的な人間は亜人よりはるかに劣っているのはこの世界における不変の真理だった。
(こ、怖い。でも、ルールは守らせないと)
並のモンスターはその声を聴くだけで退散するというオークの怒鳴り声は非力でか弱いフランセットを威圧するには充分だったが、それでも意地を張った。
「ルールが守れないのであるならば、当ギルドのご利用はできません。残念ですがお引き取り願います」
オークはフランセットの言葉を聞くとはぁーと疲れたように長くため息を吐き出し、背後で腕を組みニヤニヤしている仲間たちに目配せをした。
「な、なにやってるのよフランセット。さっさと謝って受付すませちゃいなさいよ」
くいくいと袖を引きアンジェルが小声でいった。
「できません。わたしはルールを守って手本にならなきゃいけませんから」
フランセットは背中に冷たい汗をかき、カウンターの下ではギュッと白手袋を震わせて小さく首を横に振った。気が強いとってもアンジェルのそれは身内に発揮される、いわゆる内弁慶だった。この場合はオークに対して強くいえない。
もっとも、ほかの総務課の課員もそうであるからアンジェルひとりを責めるのは酷というものだ。
(大丈夫、問題ない。このくらい対処できる)
このように受付で絡まれることがはじめてであったわけではない。
ここにフランセットの過去の経験則からする過信があった。
「ルール、ルール、ルール。もう、うんざりだぁ。なあ兄弟よぉ。おれらも舐められたもんだ。大陸じゃ、おれたちサンセット兄弟の顔を見て上等切るやつなんざひとりもいなかったぜェ? 姉ちゃん、久々にキレちまったよ」
「大陸、ですか?」
「そうよ。俺たちは島の冒険者じゃねぇ。わざわざ大陸から船に乗っての長旅で三日前にようやくズルズルベリーの港に着いたのさ。確か連合王国の冒険者ギルドはロムレスとも提携を結んでいるはずだぜ。なら、当然依頼の受注は問題ないはずなのに、それを俺らが亜人だってことで追い払おうっていうのは、こりゃクソ差別過ぎませんかねぇ?」
顔にまだら模様の入れ墨があるオークが粘っこい口調で絡んで来た。
「それとこれとは話が全然別です。あなたたちが大陸加盟の冒険者であろうとストラトポンでは必ずルールを守っていただけなければ困りますっ」
「ちょ――フランセット! お、お客さま。この娘の代わりにあたしが受付をいたしますので、こちらにお回りくださいっ」
「はあっ! なんだこのチンチクリンはっ。おれらはこの姉ちゃんと話してるんだよっ。横からクチバシ入れてんじゃ、ねえっ」
「きゃあっ」
「アンジェルさんっ」
フランセットの叫び。苛ついたオークがカウンターに肘打ちを落とすと、黒檀の板はめきめきっと音を立てて沈み込んだ。
よくしたもので、冒険者たちは絡まれたフランセットたちを心配そうに遠巻きで見ているだけだった。彼女の窮状を知ってはいるが、ここで下手に介入してあとで面倒に巻き込まれたくないというのだろう。
だが、常に例外は存在する。
「おいっ。受付さんたちが困ってるじゃないかっ。いい加減で絡むのはやめるんだ、この無法者たちっ」
若く、負けん気の強そうなひとりの少年がオークに食ってかかった。
フランセットがチラと少年のドッグタグに目をやると素材はブロンズだった。
ランクは最下級のDだ。
フランセットは覚えていた。
少年はつい先日登録したばかりのニールという冒険者だった。
ニールがはじめての依頼を達成したときにフランセットに対しかなり丁寧に礼をいっていったのは記憶に新しい。少年は恐怖を抑え込んで恩のあるフランセットを救うべく行動に出た。
だが、その勇気も圧倒的な暴力の前では虚しかった。
「るせぇん、だよっ!」
凄まじい腕力だった。
オークは肩に手をかけた少年をまるで虫を振り払うかのように、一発で弾き飛ばした。
少年といってもニールは背が高く一八〇半ばはある。
体格には恵まれており体重も九〇キロはあるだろう。
だがその少年はオークの手によってまるで子猫のように部屋の隅までぽーんと吹き飛ばされ壁に頭を打ちつけて昏倒した。
「な、なんて酷いことをッ。警備の人を呼びますよっ」
「おうっ、とっとと呼んでみろやぁ」
「このサンセット兄弟に喧嘩ァ売るやつは生かしちゃおかねぇ」
「そんくれーの覚悟でことに臨むってことだよなぁ、姉ちゃん」
「命のやり取りになるぜ」
フランセットはあまりの話の展開についていけなかった。即座に弾き飛ばされたニールの下へ飛び出そうとしたが、あっという間に五人のオークに囲まれた。
二メートル越えの巨大に包囲されるとフランセットは恐怖のあまり声を出すこともできず、なんとかその場に立っているのが精一杯というところだった。
そもそもが規約としてルールを守るように伝えただけのはずが、すでに殺し合いすらはじまりそうな雰囲気にギルドは包まれていた。
仮定であるが、この場にA、いやBランクの冒険者の姿があれば、オークなどなんら問題なく追い払えていただろう。
しかしフランセットにはこの日、ツキがなかった。
「どうすればお許しいただけるのですか」
目尻に涙を浮かび上がらせながらフランセットがそういうと、オークたちは愉悦に染まった瞳をギロギロさせて長く分厚い舌で唇を舐め上げた。