04「勇者辞めます」
てけてけと前を歩くアイスの足取りは元気がない。
アタミはすでに人見知りの激しい彼女が頭が冷えた今、先頭切って大臣や官僚たちに勇者の待遇改善を訴えることなどありえないと確信していた。
「途中でビール買ってっていい?」
「いいワケあるか!」
「ダメか……」
飲酒をアイスに却下されてアタミはトボトボと肩を落として赤じゅうたんの敷かれた廊下を歩く。
顔が映るくらいにピカピカな大理石の嵌め込まれた床や壁を見ながらアタミは富の偏在を想った。
「おやおやぁ。ここでなにをしているのですかなァ。勇者を名乗る下流階級出身のアタミとやら」
声の方向を視線をやる。
そこには多数の騎士を従えた青年が薄ら笑いを浮かべ立っていた。
「セルジュ。あたしたちになんの用なの」
アイスの声から感情の一切が消えたものになる。
セルジュと呼ばれた青年は連合王国の近衛騎士団を率いる門閥貴族の元締めの家に生まれ勇者であるアタミを一方的に敵視していた。
魔王討伐を成し遂げたアタミの功績は連合王国において比類なきものであった。
しかしあまりに強すぎるアタミとその直属である白薔薇騎士団を快く思わない派閥の押しもあってかセルジュは王宮内の政治を巧妙に泳ぎ、今では魔王残党軍討伐の功績を掠め取る形で発言力は第一といっていいほどになっていた。
これにはアタミ自身にも問題がある。彼は政治にまったく興味がなく、パーティーなどの顔合わせよりも魔族討伐を優先したため、連合王国の貴族や名士層に馴染みが薄かったのだ。
「いやいや、用などはありませんよ。それよりも私たち王国騎士団の手柄を分けてもらいながら、勇者面をしているアナタがのこのこと王宮に顔を出すことは、王や皆さま方がさぞや不快になるだろうと思って、こうしてたまたま顔を合わせた偶然もあって忠告させていただいているだけなのです」
「は? 手柄を分けてもらった? 嘘ばっかりついてんじゃないわよっ。魔獣ボーグマンを倒したのはアタミだし、重量級のゴーレム大隊をブチ殺したのはあたしたち白薔薇騎士団よ! いうにこと欠いて、そんな恥知らずな……」
「魔女アイスよ。言葉には気をつけていただきたい。私たち騎士団が多大な被害を費やしてかの暴虐な魔族を討ち滅ぼしたのは事実中の事実。ほうら、これが目に入らないのですかな。勲章の数々が王をはじめとした国家の重鎮たちが私たちの勲功を第一とした歴とした証拠。それに論功行賞はとうに終わっています。あなたたちの取り分は代表であるエルフの小娘が必死に拾い集めていましたから、おこぼれはそちらで分けるがよいのでは? 今さら野良犬のようにエサを漁ろうとしても遅いというものですよ」
「だ、誰が野良犬ですって――?」
「フフフ。それよりもアイス。私の提案を考えてくださいましたかな」
「ハァ?」
「君は氏素性のわからぬ下層階級の出身だが見目麗しく、身体つきもよい。私の妾にならないかとついこの間慈悲をかけてあげたばかりじゃないですか」
セルジュの視線がつーとアイスの胸元から股間あたりを這う。アイスは素早く両腕で自分の身体を守るようにしてアタミの背に隠れた。
「それ以上アタシのことを侮辱するなら――」
「アイス。相手にするな。ゆこう」
「でもっ」
至極冷静だったアタミは頭から湯気を出しているアイスの手を取るとセルジュに噛みつくのを制止した。
「おや、腰抜け勇者さま。自分のオモチャにちょっかいを出されて頭にきましたかな?」
「邪魔したなセルジュ。俺たちもう行くわ」
「アタミはこんなに馬鹿にされて腹が立たないのっ?」
「別にいいんだよ。アイス、記憶を失ってなにもなくなってしまった俺は君に助けられて、今もこうして生きていられる。そのことに感謝しなきゃなっていつも思ってるんだ。だから俺はこの国の人間になにをいわれようがなにをされようが怒ったりはしない。俺が戦い続けるのは、そう、俺を救ってくれたアイスやひいてはこの国に対する恩返しみたいなものなのさ。それにキチンと報酬だって貰っている。こうしてわずかな余暇に大好きな戯作小説を読んで心穏やかに過ごせれば、それで満足なんだ」
「アタミ……」
アイスが目尻に涙を溜めて、感動したようにアタミを見つめている。
(なんか両方ともめんどくさいからこのやっすい嘘で煙に巻こう)
とにかくこの場を切り上げたいアタミであった。
「ふん。戯作小説? なんとか逃げたつもりのようですが。それにしても、偉大な勇者さまを魅了してならないモノとはどんなものですかねぇ」
「お。セルジュも興味が湧いたか。なら、ここに一冊あるから是非目を通して欲しい」
「ほほう?」
アタミが手渡した戯作小説を手に取ったセルジュは片眉を上げるとページを素早くめくりはじめた。
「この本のコンセプトはありきたりなんだが、作者の語彙の選び方や場面展開及びキャラの対比が実に秀逸で――」
「ふーん。なんですか、これは。ロリ臭い稚拙な挿絵ですねぇ。小便臭いガキが読む絵本じゃないですか。貴族である私が目を通す価値があるとは思えませんね」
ビリッビリッとセルジュが戯作小説を剛力で千切ってバラバラにする。
「なにやってんだコノ野郎」
電光のような速さで打ち出されたアタミの拳は一瞬でセルジュを吹っ飛ばすと壁面へと縫いつけた。
ビシィ、と壁面に無数の亀裂が走ってセルジュはその中心に埋め込まれた。
「セルジュさまっ」
取り巻きの貴族や騎士が慌てて駆け寄るがどうにもできない。
それほどまでにアタミの力は凄まじかった。
「か、かぽぁ」
妙な呻き声を上げてセルジュは口元からダボダボと赤黒い血を吐き出し続ける。
セルジュはエジプト壁画の人物のように自慢の白銀甲冑ごと壁に埋没して五体の骨を粉々に砕かれ動かなくなった。
「え、冗談だろ」
そっと近づいてアタミが壁画の人物に耳を近づける。
そこにはコヒューコヒューと今にも止まりそうな呼吸を絶え絶えに行うか細い声だけがあった。
「あ、まだ生きてる」
軽く撫でた程度であってもアタミの攻撃の前に人間はあまりにも無力だった。
「とんでもないことしでかしてくれたの」
アタミは塔の会議室でミモレットから説教を食らっていた。
珍しくほかの白薔薇騎士団メンバーもそろっている。
だが、騎士団の仲間たちはミモレットの限界までブチ切れた表情を前にアタミを擁護しかねていた。
「セルジュの阿呆が腹立つのはわらわも同じじゃが、よりにもよって城の中でぶちのめすとはのう。おかげで城からの抗議文が凄いことになっておる。理解しておるのか」
「ええと」
「おかげでとんでもない量を押しつけられたわ」
ミモレットは書類の束を円卓の上へとこれみよがしにザッと広げた。
「えっと」
「責任を取ってもらうぞ。ここにあるのが国内の魔族討伐依頼。これらはすべてアタミひとりでやるのじゃ。おまえたち、手助けは無用ぞ」
ギロッとミモレットが円卓に座った一同を睨みつける。
ひとりアイスだけは頬杖を突きながら「心底呆れた……」という表情だった。
「冗談、だよな?」
「わらわは冗談が大好きじゃが、こればっかりはすべて丸ごと真実じゃ」
「ええ、嘘だろ」
「嘘ならわらわも嬉しいわ。これだけの条件で赦してもらうのにわらわがどれだけ頭をへーこら下げたか。ううう、わらわって尽くす女じゃの。自分で自分が健気すぎて泣けてくるわ」
騎士たちがざわつく。
書類の束には各地で猖獗を極める魔族の分布図が詳細に記されてあった。
どれも尋常でない王国各地における討伐の割り振りであった。
「え、これなに?」
「仕事じゃ」
「え、それって」
「仕事じゃ」
「ちょっと考えさせて」
「仕事じゃ」
マズい。
ミモレットが壊れたテープレコーダーのように同じことだけを繰り返している。
彼女の瞳に静かな狂気を感じアタミは戦慄した。
両腕を組み、円卓の前で苦悶の表情を浮かべていたアタミは、なにかを決心したかのように両目を見開いた。
「うん。わかった」
「わかってくれたかのう」
「俺、勇者辞めるわ」
「ファッ!?」
アタミはブラック勇者を自己都合で退職した。