30「事務職員の優雅なデート」
「ああ、ゆこう」
特に用事もないのでフランセットについてゆく。アタミは市内の異常なほど金をかけて宮殿かと見紛うばかりの役所でボーっとしていると書類の提出を終えたフランセットが戻って来た。
「にしてもスゲー建物だな。庶民の血税をなんとも思わんのかね」
場の空気をまったく読まないアタミがデカい地声でいうと、警備のために歩哨をしていた騎士があからさまに嫌な顔をした。
「あはは、あのここでお役所を批判するとのちのちマズいことになりそうなので、ちょっと外へ出ましょうか」
「な、なんだよ。俺は本当のことをいったまでだ」
「いいから、行きましょう」
背をグイグイ押されながら退出する。
「もーう、ダメじゃないですか。あんなこと大きな声でいってしまっては、いくら真実とはいえお役人さまの立つ瀬もないでしょう」
「真実だって認めてるじゃん」
「あ、それは……ね」
ナイショ、というようにフランセットは自分の唇に人差し指を立てて見せた。美人は徳であるとアタミはしみじみ思った。
「あの、アタミさん。このあとお時間てあります?」
「ん、時間はそうだな。それなりにあるぞ。休みだしな」
ニパッとアタミが白い歯を見せるとフランセットもつられてくすくす笑う。
「その、書類提出につきあっていただいたお礼に、昼食ごいっしょにいかがですか? あ、もちろんわたしの奢りですので」
どこか不安げな表情でフランセットが上目遣いをする。蠱惑的な表情であり普通の男ならば一発で撃沈するだろう。
通りを歩いていた男がそれに見惚れて樹木に激突するというコミック的な事案まで発生するがアタミはじゅるりと舌なめずりして目を輝かせた。
「奢りと聞いたら行かないわけにはいかないな」
「ほ、よかった。じゃ、このあたりですっごくおススメのロムレス料理が美味しいお店知っているんですよ。混まないうちに急ぎましょう」
「お、おう。そんな走らんでも」
「……アタミさんが食いしん坊でよかったです」
先を走るフランセットの独りごとは風に消えた。
フランセットがいう通り店は役所のすぐ近くにあった。
「スゲー並んでるな。これ、イケんのか?」
「あ、予約してあるから大丈夫ですよ。ほら、こっちですよ」
「予約……?」
アタミが頭を捻っているとフランセットは有無もいわせずその背を押して無理やり入店させる。
からんころんと迎えのベルが心地よく響く。アタミたちは素早くやって来たボーイに先導されて四階の一番奥にある見晴らしのいい席へと通された。
「ここから見えるチョーン河はいい景色なんですよ。今日はよく晴れているし、わたし、このお店、すごくお気に入りなんです」
「ふーん。そういわれれば絶景だな。しかし――」
「なんです?」
「なぜ俺を。彼氏と来ればいいじゃん」
そういうとフランセットはがっくりうなだれて陰鬱な空気をどよどよどよん、と全身から醸し出した。
「わたし、彼氏いないんですよ。わかってていってるんですか?」
ジトッとした目でフランセットが睨んで来る。
人間はどこに地雷があるかわからない。
アタミは素早くフォローした。
「いや、他意はないんだ。あまり気にするな。男女交際だけが人生じゃないぞ」
そういいながらもアタミは自分の人生にもロマンスが欠けていることに気づき、心の弱虫に精神を食い荒らされそうになったが気合で持ちこたえ無理やり駆除した。
「ま、広義でいえばこの構図は男女の関係ともいえなくはないから、気を落とすな」
「いーんですよ。どうせわたしは仕事ばかりのつまらない女ですから……そういうアタミさんこそどうなんですか?」
「この話題は忘れよう。お互いにダメージが大きすぎる」
「はい」
まもなく食事が運ばれてきた。軽い昼食用のコース料理だ。アタミは別段雑談することもなく、景色と料理を楽しんだ。
「しかし、なんで急に奢ってくれたんだ? なんかいいことあったの」
「あの、先日、ギルドでわたしがオークのお客さまに絡まれてときに助けてくれたじゃありませんか。そのお礼まだちゃんとしていなかったじゃありませんか。本当にあのときはありがとうございました。感謝いたします」
「ん、まあ、気にするな」
(そんなことあったかな? タダ飯が食えるなら俺にとっちゃいいこと尽くめだけどな)
「アタミさんて、素敵ですね」
「は?」
「い、いえ。そう意味じゃなくて! ただ、普通男の人って自分がなにかしたらそれを必ず誇るじゃないですか。いえ、別にそれが悪いっていうわけじゃありません。功績には正当な評価が与えられるべきです。わたしもそう思って今日まで生きてきました。けど、アタミさんは奥ゆかしいというか、鼻にかけないというか……」
「忘れちまってるだけかもな。俺の頭、ニワトリ並みだし」
「そういうことじゃなくってですね。ん、こほん。とにかく自然なんですよ。それが、わたしには少し新鮮というか、なんというか。はぁ、ダメだ。思っていること上手く伝えられない……」
「気にするな。人間言葉で伝えようとしてもほとんど伝わらないことがほとんどだし。黙ってたら猶更だぜ。俺、第一エスパーじゃないしな。他人の頭の中身は覗けないから、ドンドンいってもらったほうが助かるよ」
「ん……ですね!」
「そこのお兄ちゃん。ビールもう一杯おかわりちょうだい。なんならバケツで」
「あのアタミさん。女性とお食事するときはもう少し、その、マナーのほうも」
「まあいいジャン。俺とフランセットの仲なんだし」
「しょうのない人ですね」
と、いいながらもフランセットは気を悪くした様子もなく無邪気に料理を楽しむアタミを見守り続けた。
「そういえば、アタミさんってウチに入ったのは中途でしたよね。しかも変な時期に。わたしはストラトポン市の生まれなんですけど。以前はどちらでなにをされていたんですか? ……って、詮索しすぎですね。すみません」
「以前か。そうだな、ここに来る前はロムストンにいたよ。そこで暮らしてた」
「お仕事はなにをされていたんですか? 今と同じで事務職ですか?」
「いや、なんちゅーか、分類に困るんだが。いうなれば調整役かな」
(人間と魔族のな)
「え、えっとそれってつまり……」
「ま、役人みたいなもんだよ」
(俸給は国から出てたから、間違いないな)
「わ。すみません。それじゃ先ほどわたしも国家批判みたいなことを」
「いいんだって。実際仕事はロクに休みもない超絶ブラックだったし。やりがい搾取ってやつか。とにかく冒険者ギルドに再就職できてよかったよ。ここは週休二日だし、有休もあるし、安い寮もある。身体的にはスッゴク楽だ」
「あ、そうですよね。寮に入っているということは独身なんだ」
「なんかいった?」
「いいえ、なんでもないです。そのご家族のほうは、王都に在住なのですか?」
「いや、俺家族はいないよ。ひとりだ」
しばし互いに無言になる。もっともアタミからすれば連合王国の近衛騎士団長を半殺しにした挙句逃げるように王都を去ったという真実は口が裂けてもいえなかった。
「なにか、その、すみません。アタミさんも、いろいろあったんですね。王都では魔族の襲撃が日常茶飯事に行われたと聞いておりますし。アタミさん、かわいそう」
――だが、その沈黙を「なにか口では到底いいあらわせないツライことがあったのね。そうなのね」と勝手に想像したフランセットは目頭を熱くしてハンカチを使い出した。
それを近くのテーブルで見ていた男は別れ話だと勝手に勘違いし、どうやって悲しみに暮れた美女とこれから自然な接触を図ろうかと考えていることをアタミたちは知る由もなかった。
「いや、そんなに深刻に取らんでいいから。そうかギルドに採用された理由か。うーん、そうだな。たまたま俺が困っているオッサンを助けたらそれがギルドマスターとかいうお偉いさんであとはトントン拍子に上手くことが進んだってだけだ。ようするに俺はラッキーだったわけ。ついてるんだ」
「ついて、いたんですか」
「そうだ」
事実、アタミは放浪中にストラトポンに来て無頼漢たちに囲まれていたギルドマスターのゴールドマンと女性を助けた。
だが、問題なのはその女性がギルドマスターの愛人であり、ゴールドマンはアタミの他意のない「わかっているよな。礼は誠意を最大限に尽くせ」という言葉を脅しと勘違いした。
「ま、俺にはツキだけじゃなくてそれなりの人間性が認められたってことだな」
「凄いですアタミさん」
フランセットは単純にアタミが中途採用においては正規募集とは違い、数百倍の倍率を誇るギルドの事務職員を実力で勝ち取ったと勘違いしていた。
「ふ、褒めんなよ。身分は君も同じだぜ」
アタミはコネでギルドの事務員に雇われたことを理解していなかった。




