27「初心者パーティーを救出せよ」
「なあ、ヴェロニカ」
「アタミさま、なんでしょう」
ヴェロニカはアタミの言葉がいつもとまったく変わらずのほほんとしていることに気勢を削がれ、若干落ち着きを取り戻した。
「ここはおまえに任せていいか? 俺は残りを助けに行く」
「ええ、アタミさまの善きように。ここはすべて私にお預けを」
アタミがスタスタといつもの足取りで洞窟に進む。
すでに巣穴からはワラワラと無数のゴブリンたちが湧き出しており、穴も定かではないがアタミは歩調をまったくゆるめない。
「馬鹿な男だ。エルフのヴェロニカよ。あのオスは気が違っているのか?」
ゴブリンキングの嘲笑。
ヴェロニカは薄く笑って受け止めた。
アタミへと津波のように折り重なったゴブリンたちが一気に雪崩れ込んで来た。
数十匹のゴブリンを前にしてアタミはなにひとつためらうことはなかった。
ぴ、とアタミが手にした鎌を動かした。
刃の先端がくるりと円を描く。
大気を割るような強烈な刃風が巻き起こり空間がズレた。
アタミが手にした鎌をぴたりと止める。
ぎらりと研がれた刃が輝いた。
木々の梢を揺らすような衝撃波が森を襲った。
ヴェロニカは吹き飛ばされそうなほど強烈な刃風で髪を煽られながら、目の前の光景に打ち震えていた。
同時に打ちかかって来た数十のゴブリンはまとめてシュレッダーにかけられたように、一瞬で粉々になった。
森にゴブリンたちの悲鳴と絶叫が響き渡った。
「じゃ、ちょっと行ってくるわ」
ゴブリンキングが息を呑んで身体を硬直させる。
アタミの前方に立ちはだかっていたゴブリンの肉の壁は丸く綺麗にくり抜かれて血みどろの道に変化してい
た。
死屍累々――。
横たわっているゴブリンの死骸は二十や三十できかぬ数だ。
「ば、ばかな。ありえん、こんなことは――!」
「さあ、ゴブリンキング。とっとと一騎打ちをはじめようか。でなければ、我が君が洞窟から帰ってきてしまう。そうなればすべては終わりだぞ」
驚愕に震えるゴブリンキングへ追い打ちをかけるようにヴェロニカは獰猛な笑みを見せた。
――こんなところに来るべきではなかった。
クリスティーンは自分の内側から湧き上がる激しい恐怖と戦いながら、必死に泣くことをこらえていた。
あのあと、どうやってゴブリンたちから逃れられたかわからない。仲間のことも顧みず、横穴へ横穴へと逃げるうちに自分の位置がどこであるかすら見失っていた。
松明もない。
灯火器具がなければ洞窟の中は真っ暗で自分の手すらどこにあるかわからない。
「す、すみません。ごめんなさい」
自分は回復役を見込まれてパーティーに組み入れられたというのに、一度も治癒魔術を使わないうちに独りになってしまった。
本当はわかっている。逃げる途中でトラヴィスとソニアの絶叫が聞こえたのだ。だが、杖しか持たず攻撃の手段がない自分がどうやって彼らを助けるというのか――。
「ごめん、ごめんなさい。ほんとうに、ごめんなさい」
こんなことなら、あのときハッキリと自分の意思を伝えるべきだった。アタミという職員がいう通りに薬草摘みを行っていればよかったのに。
そう。せめてもう少しきちんと下調べをして、準備を行って作戦を練ってから慎重に慎重を重ねて行動するべきだったのだ。
「つ――」
ずっと縮こまっていたことで身体が冷えたのか、倦怠感が強まっている。同時に眠っていた痛覚が戻って来たのか、身体のあちこちが痛かった。
ずっとこうしているのは嫌だ。
もしかしたらトラヴィスもソニアも生きているのかもしれない。反対方向に逃げたニーナがギルドから助けを連れて来てくれるかもしれない。
人間は無言のまま闇の中いては正気を保つことができない。クリスティーンは痛めた足を引き摺りながら、凸凹した岩の張り出す道をあてもなく歩き出した。
(喉、渇いたな)
腰につけた水筒に直接口をつけてなまぬるい水を嚥下する。修道院にいたころは絶対にやらなかった無作法な行為だ。
だが、せんじ詰めればどれだけお高くとまっていても、所詮は人間も獣であるということだ。
数時間、自分の命が危険に晒されただけでこうまで規範に外れ、修道院では悪とされた恨みつらみをあちこちにぶつけている。
自分をこの地獄から助け出してくれるなら誰にでも服従すると懇願することができるだろう。
――そう、それがたとえ悪魔だろうと。
ふと、目の前の空間にぼんやりと明かりが見えた気がした。
(助かるかも)
そう思うと灯火に釣られて集まる蛾や蝶のようにクリスティーンはふらふらと明るいほうへ歩き出す。
腐臭と独特の生臭さ。
違和感を覚えたがそれはクリスティーンの警戒を呼び起こすものではなかった。
なんら躊躇なく大穴へ踏み入れる。
そこには捕らえた幾人もの女をまさに凌辱しているゴブリンたちの姿があった。
「あ――」
愉しみを邪魔されたと怒り狂ったゴブリンが刃物やこん棒を持ち、クリスティーンへまっしぐらに駆けて来る。
もう助からない。現実がわかるとクリスティーンのあれほど怯え切っていた弱虫が嘘のように消え去った。
武器と呼べるものは修道院から持ってきた杖だけだ。
無論、戦闘は想定していないが先端に込められた宝玉はそれなりの重さがあり、これで叩けば一匹や二匹は打ち殺せそうである。
せめて最後だけは見苦しく終わりたくない。
クリスティーンは生まれてはじめて闘争心を剥き出しにし、突っ込んで来たゴブリンと組み打ちを覚悟した。
「おーいたいた。ったく探しちまったぜ」
ひょい、と背後から場違いな声と共にアタミがぬっと姿を現した。
「え?」
クリスティーンが状況を掴むよりも早くアタミは手にした鎌を無造作に振るった。
切り落とされたゴブリンの首から鮮血がしぶいてクリスティーンの面を叩いた。
「頑張ったな。帰るぞ」
ポンと頭に手を置かれる。おそらくは冒険者として失格であろう。しかし、クリスティーンは安堵のために流れる涙を止めることができなかった。
突如として現れた侵入者に激怒したゴブリンたちはお楽しみをやめると、一斉に襲いかかって来た。反射的にクリスティーンはアタミのズボンの裾にすがって身を縮める。
「動きづらいんだが」
と、いいながらもアタミは雑草を刈るような容易さで襲って来るゴブリンの首を的確に落としてゆく。
乱れがまるでないのだ。アタミがひょいひょい腕を動かすたびにゴブリンたちは首を失って、次々に倒れてゆく。
クリスティーンが驚愕したのはアタミの動きだった。
(一歩も動いていない?)
思い起こせばトラヴィスの動きは派手であったが、重い長剣を振るっても一撃ではゴブリンを仕留め切れていなかった。
だが、アタミは松明を持った手であくびを噛み殺しながら特にゴブリンを見ることなく屠ってゆく。
ギッと軋んだ鳴き声を上げたゴブリンが矢を放ってくるが、アタミは手にした松明で叩き落とし身をかがめて指先で拾ってひょいと投げた。
重量のない矢であるがアタミが扱えば重砲に相当する。
矢はゴブリンをまとめて刺し貫くと岩壁に吸い込まれた。
次の瞬間、壁に亀裂が走って巨大な穴を形成した。
アタミを次元が違う怪物であると認識したのか――。
残ったゴブリンたちは泣き喚きながらあっという間に逃げ去った。
「あとのふたりはどうした」
一瞬、クリスティーンはアタミの言葉の意味を計りかねたが、それが途中ではぐれた仲間であると知り静かに首を振った。
「わかりません。途中で全員とはぐれてしまって」
「ニーナは助かったが、あとのふたりはお気の毒さまだな」
「そんな……」
「そっか。けど、冒険者ってのはこんなもんらしい。もうやめるか」
アタミの言葉。
クリスティーンの不甲斐なさを嘲るでもなくただ純粋な問いそのものだった。
胸の中にさまざまな想いが去来する――。
「いいえ、続けます」
力強くクリスティーンは答えた。
もうたくさんだと幾度も赦しを願ったとは思えないほどキッパリしていた。
ここでやめたら本当にすべてが終わってしまう。
「そうか。じゃあ、今回だけは特別サービスだ。次回はなしだぞ」
「は、はいっ」
先をゆくアタミの背は、クリスティーンが知るどんな人間よりも偉大で頼もしかった。




