02「魔王残党軍との死闘」
アタミの指摘するようにふたりが騎乗する飛竜は身体が小さく、右に左にゆらゆらと酔ったように揺れていた。
「仕方がないじゃろ! ヤナセはまだ調教中で幼体なのじゃ! だいたいアタミは乗せてもらっているだけありがたいと思え!」
「うるさいな。大きな声出すなよ」
「誰がッ、わらわをっ、興奮させておるのじゃ!」
「わかったよ。んで、話を戻すがな。戦場まで走っていってもいいけどさ。それじゃいくさに間に合わないだろ。つーか、ミモレット。前見なくていいのか」
「ここは空じゃぞ。ぶつかる心配なんぞないわ」
「いや、目の前」
「なんじゃ!」
「ほら、フワッフワッと敵のドラゴンがスンゲー勢いでたくさん近づいて来るんだけど」
「それを早くいわぬかっ」
アタミたちの乗る飛竜の前方に立派な体格をしたブラックドラゴンの群れが空を覆いつくさんばかりに広がっていた。
その数は二百匹を超えている。
ブラックドラゴンは王国各地に居るとされる魔獣である。
レアというわけではないが、本来纏まって集団で行動する習性はない。
となれば魔王軍の残党にかなりの腕が立つテイマーがいると推測された。
ミモレットは強度なプレッシャーで無意識にアへ顔を晒した。
「あへぇ」
「オイ、白目剥いてる場合じゃないぞ」
「ファッ? わかっとるわ! むにゃらむにゃむにゃもえもえにゃ~ん」
ミモレットはワンドを掲げると即座に高出力の火炎魔術を詠唱する。
エルフのミモレットは騎士団長にして優れた魔術師だった。
「ファイアブラスト!」
大空に巨大な魔法陣が幾つも形成される。
同時にミモレットは前方を黒く埋め尽くさんとする黒竜の群れへと巨大な火球を矢継ぎ早に解き放った。
アタミの鼻を横殴りにする強烈な肉の焼ける臭気を残して、黒竜の群れはミモレットの魔術によって片っ端から撃ち落とされてゆく。
「ヤナセは幼竜じゃ。長くは飛べんぞ」
「わーってるって。敵の親玉のとこまで連れてけ。あとはなんとかする」
ミモレットの奮戦によってアタミは主戦場である広大な草原地帯の上空にようやくたどり着いた。
地上では巨大なゴーレムを先兵とした魔王軍の残党に王国軍が総崩れとなっていた。
このままでは時間の問題で魔王軍は王城に攻め寄せ、城は落ち人々は略奪凌辱殺戮の憂き目に遭うだろう。
「あわわ。負ける、わらわたち負けちゃう。暴虐魔族たちにわらわのワガママボディ、穴という穴まで開発されちゃうぅん」
「アホか」
とはいえ、罪もない人々が苦境に陥るのを黙ってみているアタミではない。
「……ンなことはさせねーよ」
アタミは鼻の頭を指先でこすって視線を真っ直ぐ敵に向ける。
「ん? なんかあのデケーのが厄介そうだな」
「あれが元魔王軍東方制圧隊長の魔獣ボーグマンじゃ!」
眼下には二、三百メートルに達するであろう巨体を持つ一つ目の巨大な怪物がにゅるにゅると無数の触手を繰り出し、無人の野を行くが如く王国軍を蹴散らしている。
白薔薇を染め抜いた旗が最前線で風になびいているが、徐々に後方へと押され出す。
このままでは時間と共に王国軍の必敗は必定だった。
「見よ、我らが白薔薇騎士団の旗じゃ。アイスたちが奮戦しておるが、あの魔獣は残らず魔術攻撃をレジストしておる。アタミでなければ勝負にすらならんじゃろ」
「ほんじゃ、任せろよ」
アタミは飛竜の上に立つと自分の腰に手をやって固まった。
「なにをやっておるのかな、君は?」
「悪い、剣忘れた」
「アホかあああっ。なんでこういうときに限っておまえはポカするんじゃああっ」
「わーるかったって。あ、そうだ。ミモレット、おまえの武器貸してくれよ」
「わらわが持っておるのはちっぽけな守り刀だけじゃぞっ!」
「この際なんだっていいんだって。ホラ、早くしろよ」
「あああっ。ダメなのじゃアタミ。そこはっ、乙女の大事なところなのじゃっ。ダメええっ、もっとしてええっ!」
「よっしゃ、これだな」
ミモレットの卑猥な絶叫を背にアタミは高度一万メートルから地上へとダイブした。
一方、そのころ魔獣ボーグマンは地上で王国軍を思うままに屠り、殺戮の愉悦に浸っていた。
(なんと容易いことか。この小さきニンゲンどもの儚さよ)
ボーグマンは楕円形の大きな身体に一つ目の巨眼と多数の触手を持った魔獣である。
山のような巨体はそれだけで見る者を威圧し恐怖感を与える。
そして単純に大きい。
巨大なのだ。
生物において質量が優っているということはそれだけ生命力が高いことに繋がる。
世界最強種と呼ばれるドラゴンであっても、その火力によってボーグマンの体力を削ることも難しいとされていた。
つまり魔獣であるボーグマンを瀕死の状態に追い込む敵は未だかつていなかった。
(私に勝てる生物などこの地上に存在しえない。唯一、邪魔であったのが先代の魔王であるが、ニンゲン程度に敗れたということは私が不必要に恐れていただけであったか)
極めて単純な楕円と触腕で構成されているボーグマンであったが、その知能は非常に優れていた。
力や魔力に長ける魔族は己を過信することが多々ある。
それらがやがて自分の首を絞め敗北に繋がることが多く見受けられた。
だがボーグマンは用心深く、耐え忍ぶことが得意で、機を計ることができた。
そして、ことを起こすに至ってその行動は迅速だった。
おそらくは人間領侵攻計画でもっとも邪魔となる勇者の存在を陽動作戦で遠ざけ、手薄を狙っての奇襲攻撃。
単眼の巨大な魔獣はこの日ために魔王軍の残党を必要な数まで搔き集め、兵員の輜重に関してまで細かく自分で指示するほど緻密で計画性に富んでいた。
さらにボーグマンの漆黒の体表は極めて高い魔術抵抗力を誇っている。
事実上魔術攻撃でダメージを与えることが不可能なのだ。
(勇者を除いたニンゲンの国では白薔薇騎士団がもっとも手強いと聞いていたが、拍子抜けだ。この私に魔術無効化のスキルが無ければ、或いは危うかったかも知れぬな)
こと、魔術行使による個々の攻撃はボーグマンからすれば計算違いに優れたものであったが、それも自身が陣頭に立って戦えば無効化できる。
ボーグマンは自分の背中を凍らせようとしている練達なニンゲンの魔術攻撃にわずかであるが配慮しながらジリジリとただひたすら前進を行っていた。
(おお、夕日が赤い。燃えるようだ)
血と糞尿で彩られた草原を肌を刺すような冷たい風が通り過ぎてゆく。
目前に落ちてゆく痛いほど目に染みる赤い陽球のような夕日がボーグマンの胸に荒涼たる思いを抱かせた。
(ニンゲンは脆い。だが、私は情に流されぬと決めたのだ)
勝ちは決まっていた。
それこそボーグマンが残党軍の指揮を執ると決めた瞬間に。
踏み潰された王国兵の亡骸を蹂躙しながらボーグマンは意気揚々と入城する。
そのはずだった――。
天から雷光のような速さでとある存在がボーグマンへとまっしぐらに落下するまでは。
反射的にボーグマンは落ち来るそれを必死で身体を捻じった。
ダメだ。回避は間に合わない。
瞬時に意識を切り替える。
よけるのが不可能なら防ぐのみだ。
四方に展開している触手をすべて引き上げて防御に回した。
ボーグマンの身体は楕円形の塊だ。
側面にイソギンチャクのような触手が無数に生えていると思えばいい。
ただしこの触手はひとつひとつが非常に巨大でひと振りで数百の騎士を殲滅することができる太さとパワーを持ち合わせている。
すべてを頭上に掲げてガードに徹した。
ボーグマンは魔術抵抗力のみならず物理防御も桁外れに強固だ。
「オオオッ」
知らず、吠えていた。
ボーグマンは巨大な単眼を頭上に向けてこの世に誕生してから一度も上げたことのないような吠え声で抗った。
だが無駄だった。
無慈悲な雷光は一瞬でボーグマンの中央部を引き裂いて大地に達した。
カッ、と身体の奥底で太陽が炸裂するのが分かった。
凄まじい破壊エネルギーだ。
ちょっと前までニンゲンの軍隊を思う存分踏み躙っていた自慢の身体が根底から破壊し尽くされた。
身体がちょうど真ん中から引き裂かれて左右に爆裂しながら倒れてゆく。
痛みもなにも感じない。
呆れるほどの強烈無比な一撃だった。
「ちょっとズレたかな。もっと真ん中狙ったんだが」
声が聞こえた。
瞳の焦点を合わせる。
そこにはなんてことのない世間話をするように佇むひとりの男がいた。
薄れゆく意識の中でボーグマンはハッキリと男の存在を感じ取った。
この男だ。
手にちっぽけなナイフを持つ男が自分を斬ったということが本能的に理解できた。
ニンゲンを駆逐して魔族たちの王道楽土を作る。
自分は生来魔王などよりもこの世を統べる自信があった。
自惚れではなくそのための力も知恵も貯えた。
(それが、馬鹿な。こんな男の一撃で霧散するとは)
「キサマは……」
最期の力を振り絞ってボーグマンが語りかけようとすると、男が持っていたナイフの刃が粉々に砕け散った。
「あ、やべ。折れちった。あとで文句いわれっかな」
そのときボーグマンは未だ残っていた動体視力で確認した。
男はナイフの柄を人差し指と親指とで摘まむように持っていたことに。
全力ではなかったのか?
問いにならない疑問符を最後に残った脳細胞で想いボーグマンは世界から退場した。