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18「魔獣撃破」

 アタミは珍しく憤慨していた。


 理由はエルフが汚した廊下を掃除していなかったからだ。


「許すまじ」


 エルフ娘の残した気を追って辿るのは難しくなかった。


 途中で、幾人かの冒険者が倒れていたので助けるのに思った以上時間がかかった。


(あ、そういえば避難がどうとか。……ま、いいか)


 今、アタミの中にあるのは、あのべちょべちょになった廊下をエルフ娘を使って早急に原状回復させるという一事に尽きた。


 速度をアップさせて走ると坑道の開けた場所にたどり着いた。


「あ、いた。てか、デカ」


 巨大なクモが大空洞の中央に陣取っている。


(あれは、エビルスパイダーだったか。こんなデカいクモだったっけ?)


 なにしろアタミは魔王討伐の際に数え切れないほど昆虫系のモンスターを倒していたが、クモ系は種類が多すぎたので確実にそうだといいきれない。


(いや、ちょっと待った。これはどう考えても状況がおかしい)


 視覚に魔力をぶち込んで即座に強化した。

 大グモの張った糸に囚われたエルフ娘に視点を移す。


 彼女は相当なダメージを受けていることがわかった。

 それだけで充分だ。


「見つけた」


 とりあえず自分の存在をアピールしようと、今まさに歩脚を振り下ろそうとしている大グモ目がけてモップを投げつけた。


 軽く投げたといってもアタミの力はずば抜けている。

 空気を震わせてモップは宙を滑空すると巨木のように太い歩脚を鋭く切り裂いた。






 訳がわからなかった。


 魔王軍の捕虜となりエビルスパイダーとの合成手術を行われ、本来の肉体を棄損した代わりに無限の力を手に入れたはずの元C級冒険者のピーターセンは混乱した。


 手中にあったS級冒険者ヴェロニカにトドメを刺そうとした瞬間、わずか残り少ない脚を破壊されたことに驚愕していた。


 モンスターとの合成によってピーターセンは膂力や体力だけではなく危機に対する抜群の察知能力も桁違いに向上していたはずであったが、飛来して来た棒の存在に気づくことができなかった。


「悪いがその子を食うのはやめてくれ。掃除がまだ終わっていないんだ」


 目の前に突如として現れたのは、ピーターセンもよく知るギルドの制服を着込んだ変哲もない男だった。


 手にはバケツとデッキブラシを持っている。


 パッと見は、職務のひとつとしてどこかを掃除しに来た格好そのものである。


 ――もしや、コイツは俺を狩りに来たギルドの秘密兵器なのでは。


「おまえは、もしかしてS級冒険者かなにかなのか?」

「いや、俺は通りすがりの事務職員だ」


 キリッとした表情で男がバケツを地面に置きそういった。


 外見と言葉に矛盾は生じない。


 しかし、ピーターセンの向上した魔獣としての本能が目の前の男の存在を最上位の危険であると懸命にアラートを鳴らしているのだ。


 ぶおん


 と、大気を割って凄まじい勢いでバケツが投げつけられた。


 薄い鉄で構成されているそれは、空中を飛翔する途中で押し潰された塊となって奇妙に円を描き、ヴェロニカを拘束する糸をスッパリと断ち切った。


「ナーイスキャッチ」


 ――馬鹿な。


 男は糸から解放されて落下したヴェロニカを抱きかかえると優しく地面に下した。


「な、なんのつもりだ……」


「いいから重傷患者は黙ってろよ。今、あの虫を駆除するからな」


 魔獣となったピーターセンの聴覚はすぐ足元にいる男の心音を拾っていた。


 なんら心拍数に異変はない。


 S級に相応しい身体能力を示したヴェロニカでさえピーターセンと向かい合ったときは、鼓動の乱れを見せたが、男はなんら変わることなく規則正しい心音そのものだった。


 ――おれはあのS級冒険者たちを打倒するほどの実力を備えるよう変化したのだ。


 だから、目の前の男を恐れる理由がない。

 恐れてはならない。


「誰が虫だ。舐めるなっ!」


 ピーターセンは腹から即座に自慢の糸を射出して男の身体を雁字搦めに巻きつけた。


「馬鹿が。ノコノコこんな迷宮の奥底にやって来て死ぬとは。挽肉にしてやる」


 激しく吠えながらピーターセンは糸をぐるぐる回転させて勢いよく男の身体を岩壁に叩きつけた。


「や、やめろ……」


 ヴェロニカが芋虫のように地面に転がったまま呻いているが、ピーターセンの胸中にはなぜか余裕が一切浮かんで来なかった。


 ライオスである亜人を叩きつけるときでさえ、あとのお楽しみのために肉体を腐ったチーズのようにドロドロにしない加減をしたが、今回に限っては全身全霊全力を込めた。


「死ね、死ね、死ねぇ!」


 凄まじい破壊音と共に、いつもならば強者が弱者をいたぶるというシチュエーションの酔いが回って来るはずなのだが、ピーターセンの心は強烈な恐怖に塗り固められていた。


 圧倒的に有利な状況だ。


 振り回している相手はタダの事務職員で冒険者ですらない。


 ――それなのに、なぜだ。この心の臓を鷲掴みにされているような圧迫感は。


 潰れろ。


 願いを込めて男を天井にぶち当て、その反動を利用し真っ逆さまに地面に落とした。


「へ、へーへへへ。どうだ、欠片も残らんだろう」


 土煙が濛々と立ち昇り天井のモジャコヒカリゴケで淡く照らされた全景が完全に閉ざされている。


「あ、あ、そんな……」


 先に声を上げたのはヴェロニカだった。

 だが、ピーターセンは驚愕のあまり声すら出ない。


 洞窟の四方八方に叩きつけられてミンチになっているはずの男は無傷のままで肩のホコリを払っていた。


「くっそ。また制服ダメにしちまったじゃねぇか」


 ――あ、ありえない。


 鋼よりも固いはずの糸も完全に引き千切られていた。


 それが証拠に男は手に握った糸の束をまるで糸こんにゃくでも引き千切るようにプチプチと裂いている。


「ば、馬鹿な。おれは魔獣になったんだ。最強無比の力を手に入れたはずなのに……」


「掃除しなきゃなんねぇから早くしろ」


 ピーターセンであった改造魔獣エビルスパイダーは渾身の力を奮い起こして男に襲いかかった。


 歩脚の薙ぎ払いや打撃は使わなかった。


 圧倒的な質量を持つ自身の身体を張ったのしかかりで決めるつもりだ。


 相手と自分はダニと竜ほどの体重差がある。

 そこに賭けた。


 瞬間、わずかにデッキブラシを構えた男の姿が視界の端に映った。


 そのようなものは歯牙にもかけないはずであった。


 そう思ったとき、クジラほどもあるピーターセンの巨体がふわりと宙に浮かんだ。


 同時に、腹の底で火山が爆発したような物凄い熱を感じた。


 ブラシの一撃。


 無造作に男が振るったデッキブラシから繰り出された強烈な破壊エネルギーが水面に落とした石ころの波紋のように全身に広がってゆく。


 頭胸部から腹部に凄まじいエネルギーが伝播し、それが黒い波濤となって残った脚部の隅々まで浸食し、細胞という細胞を殺し尽くす。


 炎の塊が無限に増殖して、世界を喰らう。


 熱で全身が膨れ上がり意識が強烈な痛みと恐怖と虚無感とで塗り潰されてゆく。


 明確な死を意識することもできずにピーターセンだった肉体は粉々に砕け散って霧となり坑道のあちこちをくまなく汚した。



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