10「オーク殲滅」
「ああ、もうメンドクセェ。おまえはいいカッコしぃじゃなくてただの知恵遅れだったんだな」
「ぶひょひょ、まずは腕をねーじねじの刑に――」
オークのひとりがアタミの腕をねじ切ろうとゴツく肉厚の手のひらをそっと伸ばす。
「お、力比べか?」
アタミはひょいっと受けるように手を伸ばした。
「阿呆が」
オークの呟き。
握手をする格好で互いに力を入れ合ったとき、オークの表情が一変した。
凄まじい絶叫が流れる。
「ぎげえええっ! いだっ、いでぇえええっ。手が潰れるううううっ」
「いや、嘘でしょ?」
アタミはたいして力を込めていない。それどころか蝶の羽を摘むような繊細さで触っているというのにオークは巨体を仰け反らせて激痛を全力で訴えていた。
(マズいな。久々で力のバランスが滅茶苦茶になってる)
勇者であったアタミは戦時と平常時の力のコントロールは完全にできていたが、いざ民間に勤めることになって、かれこれ三カ月近く力を発揮した戦闘を行っていなかった。
つまりは勘所が狂っていたのだ。
「ま、いっか」
ぐちゅ
アタミがほんのわずか力を入れるとオークは五指をミキサーで摺り潰されたように破壊されて泣き喚きながら地面に転がった。
肉厚のぷっくりした指から白い骨が突き出ている。
オークは泣き叫びながら七転八倒し痛みを訴えた。
「て、テメェ。いきなりなんてことをっ。ぶっ殺してやるぅううう!」
弟分を傷つけられた三人のオークが武器を振りかざして突進して来た。
もはや彼らに揶揄うような余裕は微塵も残っていない。
アタミはゆっくりと腰に手を伸ばし、今の自分が無腰であることを思い出した。
(あ、そっか。剣はもう持ってないんだっけ)
指先をひらひらと動かしながら腰の軽さをわずかに寂しく感じた。
別に武器がなかったとしてもアタミの力は規格外である。
ぐーるぐると拳を振り回しながら突進して来る肉塊たちに拳打を放った。
オークの冒険者シードル・サンセットは驚愕していた。
自分たち兄弟は大陸において並ぶ者がないほどに悪名を高めた。
それがなぜだ――?
精強で知られる地竜まで仕留めた実績のある自分たちが。
目の前にいるタダのギルド職員の手によって葬られようとしている。
現に、たった今突っかかっていったマシューとボブとレオンは消された。
殺されたというよりも消されたというのがしっくり来る。
なんの特徴もないニンゲンの男が手を払ったかと思うと――。
弟たちは超高速で壁に叩きつけられたのだ。
蚊を手のひらで叩き潰したときのように。
弟たちは赤黒い液体となって壁の染みの一部と化した。
ばしゃん
鈍い音が鳴ってオークたちが血塗れのコマ切れ肉になるのは悪夢としかいいようがなかった。
「る、るううう、ろおおっ!」
叫んだ。
シードルは地竜に追い詰められたときも叫ばなかったが今回は違う。
喉を突いて出る嗚咽に似た絶叫は自分でも止めることはできなかった。
認めよう。
目の前にいる男は竜以上の怪物だ。
恐怖を感じるようなオーラは一切出していなかったが、それゆえの怪物であると今は理解できている。
ギルドで女にさえ絡まなかったら――。
シードルは自分の中に湧き出した、今まで一度も浮かぶことがなかったネガティブな考えを打ち消すかのように吠えながら斧を使った。
大都市の名工に打たせた肉厚の鉄斧だ。
大岩よりも硬く巨大な怪物も打ち殺して来たそれを全力で目の前の災厄に打ち下ろす。
男は無言のままそっと指を差し出すと、シードル渾身の一撃を止めた。
中指と人差し指。
チリ紙を摘むようにそっと押さえている。
――この男は人か魔か。
「ふ、ふんぬぐううっ」
絞っている。
シードルは全力を振り絞っている。
だが、鉄斧はピクリとも微動だにしない。
男は見ようによっては呆けたような表情でジッとシードルに見入っていた。
飛び上がって巨体の重さも生かしての最高の打ち下ろしだった。
それが児戯のようにあっさりと止められている。
まさしくこの世の悪夢だった。
「悪いな。まだ研修中なんだ。忙しい」
それがシードルの聞いたこの世における最後の言葉だった。
次の瞬間――。
光の速さで鉄斧が真横に振られシードルは壁に叩きつけられてぺちゃんこに潰れた。
服を汚してしまった。
冷静に考えれば殺すほどの悪行ではなかったかもしれないが、自分が受付に立つたびに絡まれても面倒なので、アタミはこの行動を「了」とした。
指を最初に潰したオークもとりあえずあと腐れのないように壁に叩きつけその存在をなかったことにした。
今アタミがオークたちを叩きつけた場所は倉庫の裏なので人通りはほとんどないだろうが、残った肉片やら血が腐ると後々に苦情が来そうな気がする。
仕事を終えたのち清掃することを思うと、ちょっとばかりに憂鬱になった。
「やっべぇ。服の代えは部屋に戻らないとないな。まだ仕事残ってるってのに」
返り血でベタベタになった服を引っ張りながらアタミは片目をつぶった。
「アタミさん、アタミさんご無事でしたかっ」
事務所に戻るとまたひと騒動だった。
フランセットが警備兵を一個連隊背負ってアタミに突進して来た。
「なんだよこの騒ぎは」
「きゃあ! アタミ、あんたすごい血よ。すぐ医者に見せないと」
「ああ、わたしのせいで、すみません、すみません」
「いや、別になんてことなかったから。フランセット、落ち着けって」
「アンタ、すっごく酷い顔になってるわよ!」
「ああ、酷い。わたしのせいでアタミさんのお顔が」
「いや、これ元々こういう顔だからね」
――とりあえず身体の血はなぜかアタミの意に反して殴られた際に出た鼻血によって広範囲に散らばり汚れたということで決着した。
「大袈裟だな」
アタミはフランセットに付き添われて自室のベッドに無理やり寝かされていた。
「お医者さま、本当に呼ばなくて大丈夫ですか?」
「平気だよ。それよりも」
「それよりも?」
「仕事勝手に休んで大丈夫だったのかな。一応、俺、新人だろ」
「そのあたりはわたしが上長のほうにしっかりご説明させていただきますから、アタミさんはお気になさらず休んでいてください」
「はぁ、まあ休んでいいのなら休ませてもらうケド」
アタミは長い戦場暮らしでいつでもどんな状況でも眠れるように訓練されていた。
(そんな俺が自分のベッドで寝転んで寝れないわけないじゃないか)
「ぐう」
あっという間にアタミは深い眠りに落ちた。