No.9
ーー眩しい…ここは…?
ーー俺は…どうなったんだ…
目が眩む程の光。
恐らくそれは一瞬のことだった。
でも俺にはその感覚がとても長く感じられた。
冷たさも和らいでいる。
息苦しさもない。
体の感覚も…戻ってきた。
ーー俺はまだ、生きている?
そう思った直後、自分が地面にへたり込んでいる事に気がついた。
いや、地面というのは少し語弊があって、それは床が何か金属の様なものであると認識するのに少し時間が掛かった。
意識がだんだんとハッキリして思考を巡らせることが出来るようになると、俺は更に自分の置かれている状況に混乱することになった。
今俺がへたり込んでいるのは、何かのカプセル…
よくSF映画とかで出てくる、人工的生命体やエイリアンなんかがコポコポと溶液に浸され保存されている円柱形の装置…まさしくそれそのものだ。
まず俺は自分が被っているガスマスクのようなものを脱ぎ捨てた。
脱いでいる最中に気がついたが、どうやら髪の毛がとても伸びていて腰のあたりまで長いようだ。
ーーー俺はいつからこの中にいたんだろうか? まさか本当にシミュレーション説あるのか?
それから自分の頭や胴体のいたる場所に数十本、よく病院で心電図なんかを採るときに使われる電極付きのケーブルの様なものが接着されていて、それをプチプチと引き剥がしていった。
目の前を見ると、その円柱形の装置を形成していたであろう分厚いガラスが、装置の外側へ向かって割れて床へ破片が飛び散っているのが確認出来た。
加えて自分の体にも滴っている液体が、ガラス片と一緒に派手にぶち撒けられているのが分かった。
ほんのりだが…その液体からは冷気のようなものが上がっていた。
液体窒素…?
これが冷たさの原因なら、俺は部屋で夜中目が覚めた時、既にカプセルに入れられていたってことか…?
「どう……がはっ!ごほっ!」
どういうこと…と呟こうとしたのだが、急に入りこんで来た外気に肺が驚いたのか、むせる様に激しく咳が出る。
「…はぁ…う、はぁ…はぁ…」
考えても良く分からないので、俺は息が落ち着くのを待って外側を調べることにした。
それしかないとも言えるが。
俺は体中に力が入ることを確認して、恐る恐る立ち上がった。
「生まれたままの状態」の俺は、床に散らばっている割れたガラス片に細心の注意を払いながら外へ抜け出した。
辺りを見回すとそこはちょうど俺が住んでいた1LDKのアパートより少し広いくらいの大きさで、先程抜け出て来た装置以外には簡素な机がある程度で、後はその机の横に更に外へ通じているであろうドアが付いている。
何故かドアは半開きだったが、それよりも俺はあのドアは「開くドア」だと確信出来ほっと胸を撫で下ろした。
部屋には窓がないようで薄暗く、明かりは天井に付いている円状の蛍光灯からのものだ。
振り返ると、まさしくSF映画に出てくる様な装置がそこにあった。
そのカプセルの脇には、それもまた大きな装置…コンピューター?が俺の胴回りくらいありそうな太いケーブルやホースで繋げられていて、SF映画で言うところの「生命維持装置」みたいな感覚かなと勝手に考えていた。
その「生命維持装置」に付いているモニターに赤い文字で「バッテリー残量が無くなりました。補助電源に切り替えてください。」と表示が出ていた。
「音声の正体ってこれだったのか…」
俺はパソコンの知識も少し持っているし、何か情報があるのかどうか調べようかと思ったのだが、触れようとした瞬間に電源が落ちたようで、モニターがブラックアウトした直後に装置から聞こえていたモーター音のようなものも聞こえなくなってしまった。
補助電源…に、切り替えようにも方法が分からんしな…。
装置の周囲を見渡していると、暗さに目が慣れてきたからか部屋の様子が鮮明に見えるようになり、よくよく確認すると所々に何かが爪で引っ掻いたような後や
血しぶきが付いていることが分かった。
「え…マジでエイリアンとかいないよな…?こんなひとりの状況とか、映画なら完璧に殺されるパターンだな…」
壁にはカバンをかける様な突起があり、そこには雑に服が掛けられていた。
その服は女性もののワンピースのように着丈が膝の辺りまであるTシャツの様なものだった。
多少の血しぶきには目をつぶり、俺は迷うことなく「生まれたままの状態」から脱却することを選んだ。
「ん?そういえば俺コンタクト入れてたか?」
そうだ、俺はコンタクトを外して寝た。
今気付いたが普通に…いや、むしろ前より見えてるよなこれ…?
「やっぱり裸眼だ…まさか本当に実験で身体をいじられてたりしてな…」
俺は改めて自分の身体を確認した。
「身体は特にはーー!!?」
俺は着ていた服を脱ぎ捨て、カプセルに残ったガラスに自分の姿を映した。
「ーーー9」
左胸、心臓の辺り。
そこにはオールドイングリッシュの字体で9という数字があった。
「9…マジでモルモットか?…人体実験説か!?」
これはちょっと冗談が過ぎる。
それにいくら鍛えていたからといって、この筋肉のつき方は異常だ。
細い体に無理矢理筋肉をぎゅうぎゅうに詰め込んだような体だ。
…何かに巻き込まれている。
そう確信した。
「…あれ?なんであんな所に?」
装置を抜け出す時には気付かなかったが、金属の骨組みで作られた椅子がカプセルの傍に転がっていた。
恐らくは部屋の入り口付近に倒れている簡素な机と対のものだろう。
まさか、最初に聞こえた金属の落下音て…!
でもそうなると、誰かが俺をこの装置から助けようとしたのか…?
「分からん……」
ここでこうしていても埒があきそうにない。
服を着直して俺は更に外へ出ることにした。
ドアに手を掛けた時、黒いバインダーが足元に落ちいることに気付き、拾いあげてみた。
A4サイズの簡単な書類が1枚だけ挟まれているようだった。
書類に目を通すとそれは「カルテ」のようなもので、表題にこう書かれている。
『被験体No.9の経過観察』
「胸のは本当にその番号か…。というか被験体って」
なんかもう驚かなくなってきた。
ここまで来ると逆に冷静だ。
カルテの内容は箇条書きで簡単に書かれている。
『・身体状況…良好』
『・拒絶反応…無し』
……………
……………
………
……
本当に簡単な書類で、後は身長やら心拍やら本当にカルテの情報のようなことが書かれていた。
…とりあえず、俺はNo.9ってことが分かった。
本当に人体実験の為にいつの間か連れ去られたのだろうか。
そうなると、番号からして最低後8人はいる可能性がある。
いや、俺で9人目の被験体で装置はひとつという可能性も…まあそれは考えても分からんか。
それに書いてある文字は日本語だ。
ここは日本であろうということも推測できた。
とりあえず外に出なきゃ始まらないな。
俺はその書類をもとに戻して改めてドアを開いた。
#####
外に出ると50メートルくらいの廊下が続いていた。
廊下に照明は少なく薄暗い。
剥き出しのコンクリートのような壁と相まってどこか無機質で、俺が仕事で使用していた事務所を連想させた。
1番向こうに上へと続く階段が見えた。
ここは地下なんだろうか…?
廊下にはドアが9つあり、俺がいた部屋を含めてやはり9つ部屋があるようだった。
「俺は角部屋だった訳か…」
よく見ると俺がいた部屋と同じように引っ掻き後や血を引きずったような跡があり、ますますエイリアンの存在が色濃くなってきた。
「もう、いるのは仕方ないとして…グチャグチャネトネト系だけは勘弁して欲しいな…」
ペタペタと足の裏に伝わる冷たさを感じながら、俺はなるべく音を立てないように隣の部屋のドアに手を掛けた。
「また…開いてるな…」
この部屋のドアも、俺の部屋同様すでに半開きの状態だった。
さっきは開いていたので気付かなかったが、ドアはどうやら暗号によるロックがかかっていたようで、レバーの横に入力する為のキーパッドが取り付けられていた。
としたら…誰がこれを開けたんだろう?
半開きのドアを全開にして俺は警戒しつつ中へ入った。
入って直ぐに装置を見て驚いた。
中にはまだ……人が入っている!!
目を閉じたままの女性が、俺がカプセル内で気付いた時と同じようにマスクを被りケーブルを接着された状態で溶液に浸されていた。
この女性も俺と同じなのか、カプセルのあちこちにひびが入っている様だった。
当然、胸の左側には「8」のタトゥーが入っている。
俺は直ぐにカプセルへ駆け寄り、なにかガラスを壊すものがないか探した。
俺はドアの横の机を両手で持ち上げ助走をつけて思い切りカプセル目がけて投げつけた。
「…ッ!!」
『ガシャーーン!!』
カプセルに当たった瞬間、けたたましい音と一緒にガラスが砕けて、満たされていた液体と共に部屋へ飛び散った。
俺は溶液とガラス片に気を付けながら女性のもとへ駆け寄った。
「大丈夫か! 今出してやる」
俺はマスクやケーブルを引き剥がし、女性をカプセルから部屋の中央辺りまで移動させた。
「体が冷たい…それに硬い……」
脈も無く呼吸もしていない。
胸に耳を当てても心臓の音は無かった。
「遅かったのか…?」
俺は必死で救命措置を行った。
何度も、何度も繰り返した。
「はぁ、はぁ…」
俺はしばらく措置を行っていた。
「…」
しかし、やはり女性の状態が変化することは無かった。
彼女は…既に死んでいた。
よくよく考えてみると、俺は偶然出る事が出来たようだが、それは本当に奇跡に近いものだった。
俺だって死んでいた可能性は大いにあった。
「…カプセルの脇に転がっていたイス…あれは誰が…?」
電源が切れる瞬間…この女性はもがき苦しんだ筈だ。
行き場のない不安や恐怖に押し潰されていただろう。
冷たさに身を震わせ、息すら満足に吸えない状況で何も分からないまま最後を迎えたのだろう。
そう思うと、俺の中に悲しみと同時に怒りが込み上げてきた。
俺は女性に、部屋にあった服を体にかけて手を合わせ、急いで隣の「No.7」の部屋に駆け込んだ。
#####
「頑張れ!」
男性からの反応は無い。
「…帰ってこい!」
俺は「No.2」の部屋で、机で割ったカプセルから男性を部屋の中央まで移動して、救命措置を行っていた。
ここまでの六人で、生存者はいなかった。
年齢がバラバラの男女だった。
中にはもがき苦しむようにケーブルに絡まり、苦痛の表情を浮かべていた者もいた。
だが、この男性は助け出した時にはまだ微かに体に温度が残っていたのだ。
今までの人達は、カプセルから部屋へ移動させる時には既にとても冷たく、体も硬くなっていた。
なので今回、この男性に触れた瞬間に「まだ間に合う」と、そう思った。
バッテリーが他の装置より長くもったのかもしれない。
「必ず助ける…」
俺は信じて救命措置を続けた。
しかし…
「…」
措置中もどんどん体温が下がり、冷たくなって行くのがわかっていた。
呼吸も戻らない、心臓も動かない。
いくら肺に空気を送っても反応が無い。
それでも俺は続けた。
最初にこの部屋を訪れていたなら…助けられたのだろうか。
順番さえ早ければ、助かった人も居たんじゃないのか。
先ず最初に全ての部屋を見て回るべきじゃなかったのか。
誰が、何のために…
被験体にされた人の中には小さな女の子もいた。
…血も涙もない。
「どうかしてるな…人を物みたいに…」
俺はどこに向けていいかも分からない感情を胸に抱えて、ただ拳をきつく握り締めた。
人権も何もあったもんじゃ無い。
なぜこんな事が行われていたのか。
そもそもここは日本なのか?
俺は措置の手を止め、随分前に事切れていたであろう男性に服を被せ、手を静かに合わせた。
たった今、七人目の死亡を俺は確認した。
その瞬間、俺はずっと自分が異常なほど冷静にいられることに気が付いた。
なんだろう。
体も頭も冷めている…こんなことがあったというのに…もっと慌てても良い状況なのに。
俺は長く深呼吸して酸素を身体に巡らせた。
そして改めて現状を考えた。
今は何も分からない。
ここでなにか実験が行われていたのは事実だ。
俺が奇跡的に生き残ったのも事実だ。
…知りたい…
自分の胸に手を当て、鼓動の音を確認する。
ここがどこかも分からない…事情も何も知らない。
…自由…
心底やりたいこと。
格闘技でもない、絵でもない、仕事でもない、こんな風な感情になったことは他にはない。
…真実を知る?
何も出来なかった…してこなかった自分の人生、今まで生きてきて背負っていた多くのしがらみ、それらはここには無い。
完全なる自由。
ーー心には怒りや悲しみより、もっと別の感情が湧いてきている。不謹慎なのは百も承知だ、でも隠せない。これは人の闇、俺の過ごしていた世界を消していったのと同じ闇が心を覆っていく感じがした。
今はそれに身を委ねている。
いや、むしろあの闇が世界を消していったように俺が人間として積み上げてきた嘘を消したのかもしれない。
これこそが、行動するということなのか。
何をしたのか?
既に息の無い人達に措置をした。
嫌という程の無力感を味わった。
絶望という感覚を初めて知った。
「…? …あ」
俺は笑っていた。
今、思った通りに行動する、という妙な充実感。
自分が心底自由だと思った出来事。
既に俺の心には「狂気」が宿っていた。
多分、闇は覆った訳でなく殻を取り去っただけで、俺は真ん中に元々これを持っていたのだろう。
昔、俺が知りたかったものの正体。
成功した人が知っていて俺が知らなかったもの。
自由に自分勝手に生きている人が知っていて俺が知らなかったもの。
嘘をつかない、ルールに縛られない、目的を達成する為ならなんでもする、そんな欲望を果たす為の切符。
こうしたい、という気持ちを押し殺さずに解放させる唯一の方法。
俺は…
何も知らないままに苦しみ、死んでいった人達。
生まれた意味を自分で決められなかった人達。
それの悲しみを超えていくほどの好奇心、冒険心。
俺は狂気を知り、狂気に染まる心を受け入れ、感覚や光景を自分の奥底に深く深く刻み込んだ。
俺はそうする、そう感じたのだから。
ならば行動する、自分勝手に。
冒険をしよう、復讐という理由を携えて。
#####
俺は最後の…「No.1」の部屋に来ていた。
その部屋は今までとは明らかに違っていた。
まず部屋の広さ、俺がいた部屋の十倍以上ある。
「痛ッ…」
何かの破片を踏んだようだ。
「荒れてるな…」
床に散らばった資料、飛び散った何かの破片、床に倒れたままの机や椅子。
「また血か」
床から壁にかけて激しく飛び散っている赤くどす黒い液体。
床を引きずったような跡。
「映画ならこの辺りで鉢合わせするからな…慎重に行動しよう」
奥へ行くと、カプセルがあった。
ガラスは綺麗に取り払われていて、誰がか装置を操作し正しい手順で外へ運び出されたようだ。
その装置自体も巨大だった。
よく見るとカプセルの後ろも全て装置のようで、ケーブルやホースで繋がっているわけではなく、装置に直接埋め込まれているようだった。
モニターは変わらず真っ暗で、この装置も既に停止しているようだ。
「…」
装置の操作盤の下に、カルテが落ちていたので拾ってみた。
バインダーにも紙面にも血しぶきがかかっていることについては既に気にならなくなっていた。
『被験体No.1特異個体の経過観察』
「特異個体…?」
「同調に問題は無く…すぐにでも運用が可能…」
「媒体の取り込みも上手くいっている…」
「………まるで訳がわからん」
俺が一言そう呟いた静寂の後…
ジャリ…
「ーーーーーー!!!」
背後から雄叫びが聞こえ部屋中に響き渡った。
「本当にお約束だな…」
すぐに振り返って確認すると、そこには真っ黒い毛皮を纏った二〜三メートルはあるであろう四足歩行の獣が、不気味に光る赤い瞳でこちらを睨みつけていた。
『グルルルル…』
明らかに威嚇している。
「ーー?」
絶対的ピンチにも関わらず、俺の胸の鼓動は高鳴っている。
それどころか狂気の衝動が湧いてくる。
次から次へと。
もう、どうしようもないくらいに。
「…戦いたい…! 戦いたくてたまらない!! 俺は…戦闘狂?」
アドレナリンがどんどん出てくるのが分かる。
俺の真っ黒に染まった狂気の心の中に、熱く黒く冷酷な炎が宿るのを感じた。
その炎はすぐに全身に広がり、狂気を焚べることで俺を焼き尽くしていった。
これを、この充実感を知りたかったんだ、俺は。
「とりあえず…グチャグチャネトネト系じゃなくてよかった…」