始まりのきっかけ その1
ある日、夢を見た。
僕達人間が何に脅かされることもなく、皆毎日仕事へ行き、学校へ行き、子育てをし、友人や恋人との会話を楽しみ、世界76億人の人々がそれぞれの毎日を送っているこの世界。
そんな世界の方が夢なんじゃないのかと思えるような光景が、目の前には広がっていた。
そこには、僕達が普段目にする草花は皆無。視界の先には、茶色の空、ごろごろと転がる僕の背丈ほどの岩、地平線まで延び続けている土。真紅の瞳を持った狼の無数の死体。僕は恐怖で体が動かなかった。
足が震え、全身に鳥肌が立った。眠りに入ったと脳が自覚した瞬間目が開き、お世辞にも穏やかとは言えない場所でただ独り、立っていたのだから。
人間の本能だろうか。
ここにただ突っ立っているわけにはいかない。この場所はヤバイ、絶対にヤバイ。僕の命が危険に晒されている。そう思った。
歩け、歩けと必死に自分に言い聞かせながら、一歩、また一歩と足を進めた。風と、僕が砂利を踏む音、その空間にはただそれだけの情報しかなかった。孤独感で気が狂いそうだった。涙も溢れた。
あぁ、明日の朝起きたらきっと憂鬱な気分で学校に行かなくちゃいけない。今まで見た夢の中で最も気味が悪い夢だと思った。
どのくらい歩いただろう。体が疲れを覚え始めたころ、僕の背後から砂利を踏む音がした。やっと僕以外の人間に出会えた!喜びの気持ちで思わず笑顔になった。僕はその場で勢いよく振り向いた。
でもそこには、きっと世界中の誰もが恐れてしまうモノが存在していた。喜びの気持ちは一瞬で恐怖へと変わり、また全身に鳥肌が。本当に僕は運がない。
そこには、さっき見た大量の狼と同じであろうモノと、黒い人型の、ユラユラ体を揺らしながら「ぁ…あぁ…」と呟き、こちらへゆっくりとその足を近づけているモノがいた。
僕の脳が、僕が考えるよりも先に僕の全身へと伝えた。
「逃げろ!!!!!!!!!!!!」
一目散に僕は走り出した。
現実の世界では走ったことのないくらい全力で。息が切れても、横っ腹が千切れそうになっても、ひたすら走り続けた。僕の後ろにいた狼と黒いモノは、僕と一定距離を保ったまま追いかけてきた。
不思議に思った。なぜ追いついてこないのか。あの黒いモノならともかく、狼なら僕をすぐにでも捕まえて、その鋭い牙で食い殺すことが出来るはずだ。
おかしいと思ったとき、僕は足を止めた。目の前には最早骨組みだけになってしまったり、辛うじてだが壁も残っている家が数軒あった。違う、問題はそこではない。
家の屋根や壁の裏から、10匹を優に超える狼達が僕を見ていた。口からは涎を垂らし、真紅色の瞳はただ僕だけを見つめていた。
追い込んでいたのだ、僕を。自分達の餌となる僕を。
今度は涙は出なかった。絶望した気持ちのまま、僕は膝をついた。人間というのは、本当に自分の死を自覚したとき、涙など流さずにただ、その運命を受け入れてしまうのだと実感した。
後ろからは追いかけてきたモノが2体、前方からはたくさんの狼が近づき、僕を殺そうとした。
”殺そうとした”。僕は死ななかった。
死を覚悟し、ただただ食い殺されるのを待っていた僕を、青白い光が包み込んだ。何が起きているか全く分からなかった。狼たちはその光に弾かれて吹き飛び、黒いモノは光に触れた瞬間に声を出すこともなく大きく後退した。
僕は辺りを見回した。何が起こった?
その答えに繋がりそうなヒントがあった。
青い鎧を身にまとった女性が、僕のすぐ横に立っていた。綺麗な金髪で、透き通った青空のような瞳。手には、漫画やゲームで見るような光り輝く長剣と、小ぶりな盾。
女性は僕を見つめていた。
困惑していると、女性は頬を緩ませ、僕に問いかけた。
「まだ、死にたくないよね?」