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弱くて愚かな少女  作者: 一子
オリビアとブライク
6/15

言葉を交わす




 その鋭い声に、(わたくし)は男の手を取るしかなかった。


 男の手の上に、のっていただけの自分の手を動かし、私は言われた通り、大きな手を少し握った。


 握ったけれど、握る必要など、あるのだろうか。私は疑問に思った。この屋敷の奥に、私を監禁すればいいのに。なぜ、この男と結婚などする必要が、あるのだろう。


「なぜ、わざわざ、そこまでするのですか。」


 手を軽く握ったまま、この男を伴侶として受け入れることを了承した自分の手を汚らわしいと感じながら、私は正直に、聞いてみた。


 この男は、答えをくれるだろうか。


 跪いていた男が立ち上がり、私の手をギュッと握りそれを高くあげ、私の視線を自分に向けさせると、私の瞳を覗きこんできた。


「なぜだと思う。」


 私が思った通り、男は答えをくれはしなかった。知りたいから聞いたのに、質問で返すこの男は、きっと私を下に見ていて、試している。

 

 うっすらと笑っている男から視線を逸らし、私は心の中でため息をついた。そして繋がれていた手を丁寧にはずし、近くのソファに腰かけた。

 

 なぜこのような面倒な会話をしなければいけないのだろう。私はうんざりしながらも、答えるしかなかった。


「私が伯爵家の娘だからでしょうか。監禁できないのは。けれど、結婚は。なぜでしょう。貴殿方が、人の国にも魔の国にも私を渡さず利用するためでしょうか。」


 私は思い付いたことをなげやりに、呟いた。男は、私の前にある椅子に腰掛け、私を眺めてから、口を開いた。


「なるほど。馬鹿ではないのか。」


 その侮蔑的な言葉に、私は唇を噛んだ。


「ただ、伯爵家の娘でも、監禁はできる。それ以上に、ギフト持ちであることが理由だ。王や魔王に知られたら、一族全員首が飛ぶ。ギフト持ちを隠し、監禁し、利用しているなど。だが妻なら、理由はどうにでもなる。」


 なぜ、王や魔王に隠す必要があるのだろう。私はよく分からず、首を傾げた。


「貴殿方は、魔の国のために働いているのではないのですか。なぜ、私をわざわざ隠すのですか。魔の国に渡せばいいではありませんか。それとも、魔の国を、裏切るということですか。」


 この男が何をしようとしているのか、きっと、私は聞かないほうがいい。けれど、もうそんなことは言っていられない。私は、この男の妻になるのだから、聞けることは、聞いておいた方がいい。


「魔の国のためにも、人の国のためにも働いているし、働いていない。」


 男の言葉に、私はため息をついた。


 この会話は、時間の無駄だ。この男は、私の知りたいことなどきっと教えてはくれないのだろう。


「よく、分かりませんわ。」


 諦めたように呟いた私に、男はそうだろうな、と返してきた。


「貴女が知りたいことで、私が答えられることなら、今、話そう。貴女は私と結婚するのだから、何も知らないというのは、あまりにも、不自然だろう。」


 その通りだ。


 私は頷いた。


 けれど。改めてそう言われると、何を聞いていいのか分からない。何を聞いておく必要があるか、私は、考えないと。


 考え込んだ私を見て、男は椅子の背もたれに体を預け、足を組み、私を観察しはじめた。その鋭い視線を避けるために私は下を向いた。けれど考え込んでいる私に飽きたのか、男はすぐに、声をかけてきた。


「そう緊張せず、友人だとでも思えばいい。」


 私は男の言葉に、うつむいたまま、眉を寄せた。自分を殺そうとした男を、友人だと思えるほど私の頭は緩くない。緩い、はずがない。


 けれど。その言葉に、私の心は決まった。これからは、聞こう。どうせ腹の探りあいでは勝てないのだから、いっそ、色々なことを聞いて、話してもらおう。私は、そう、決めた。


 強ばっている身体にさらに力を入れて、私は、重い口を開いた。


「では。教えて、くださいますか。魔族とは、人族とは、なんなのですか。」


 男は少し驚いたように私を見つめてきた。


「随分と壮大な質問を選んだな。いつ帰れるのか、これからどうなるのか、そのようなことを聞かれると予想していたが。」


 組んでいた足を戻した男が、前屈みになり私のことを眺めてきた。


 私を押し潰そうとしていた圧力が薄らいだことに気がついて、私は顔を少しあげ男の方を見てみた。上から見下ろされていた私が、今は、まっすぐ目の前にいる男の顔を見ることができた。


 男は、笑っていなかった。


 うっすら唇の両端を上げていた男が、今は、何の表情も浮かべていない。けれど、先ほどまでの柔らかい笑みより、今の表情の方が温かい、私は、なぜかそう思った。


 男は私を眺めたまま、聞いてきた。


「具体的に、何が知りたい。詳しいことは、私では答えられないと思うが。」


 笑うのをやめた男は、とても真面目そうに見えた。


 つい先程まで、気持ち悪い愛想笑いを浮かべて偉そうにしていた嫌な男は、一体どこへ行ったのだろう。私は首を傾げた。この無表情な方が、この男の、素なのだろうか。


 いいえ。それはない。それはないわ。


 私に簡単に素を見せるとは思えない。一体何枚の仮面を、この男は持っているのだろう。


 私はため息をついた。とても、敵いそうにない。


 それでも。私は。


 私は、生きたい。


 そのために、知りたい。知らなければ。


 私は背筋を伸ばし、両手を握りしめ意を決して、口を開けた。


「私は、人族と魔族は元は同じ人種だけれど、魔族は魔法の力を強めた、」


 そこで、私は言葉を切った。


 続きを言えずに迷っている私に、男が、目で先を促してきた。私は言いづらい言葉にうつむき、そっと、続きの言葉をささやいた。


「忌むべき存在、だと教わってきました。」


 男の表情は動かず、口が開くこともなかった。


 反論されると思っていた私は、それがなかったことを不思議に思いながら先を続けた。


「けれど、貴方が、その、忌むべき存在、とまで言われるべきか、分からないのです。善人か悪人かは別として、私には、普通の人族と、同じように思えるのです。ただ、黒い、だけで。」


 私は、自分の支離滅裂な説明に絶望しながら、うなだれるしかなかった。私の言いたいことは、伝わるだろうか。私が不安になっていると、男が少しの間をおいてから、聞き返してきた。


「貴女は、私や昨日見た魔族の者に怯えている。それは、忌むべき存在、だからではないのか。」


 表情のない顔で、表情のない声で問われ、私はため息をついた。


 先程までの柔らかい笑顔からも、固くなった今の表情からも、私には、読めない。この男が何を考えているのか、私には、想像すらできない。


 私が教わった通り、魔族を貶すような言葉を今言っても、大丈夫なのだろうか。突然、あの剣で切られたら、どうしよう。


 男の腰に下げられた、大きな剣に私は目をやった。鍛えあげられた体と、大きく平たい大剣。前線で戦う騎士ではないはずの男が持つ、使い込まれたあの剣が、もし私に向けられれば、命はない。


 私はあっさりと、殺されてしまうだろう。


 そう思いつつも、私は話の続きをすることに決めた。話さなくても、切られるかもしれない。そうならば、話して、みよう。


「そうです。忌むべき存在だと教えられてきたので、貴方が魔族だと気づいて怖いのです。けれど、貴方が私を殺そうとしたのは、魔族だから人族を殺すとか、そういうことではなく、貴方個人の事情なのでしょう。そうならば、人族と同じだと思ったのです。人族と魔族はずっと憎しみあっていて、今はもう別のものだと皆が言います。でも、そうは、見えないのです。」


 この男と長い時間を過ごしたわけではないけれど、私が聞いていた、思っていた魔族は、人族を見れば襲いかかるような野蛮で、言葉も通じない狂人の集まりのようなものだ。けれどこの男は、野蛮でも言葉が通じない狂人でも、ない。


「それとも、貴方は、特別なのですか。」


 私の問いに、男は首を左右に振った。


「魔族と人族は、同じようなものだ。そもそも魔族の魔法が長けたのも、生まれつきそうなるのではなく、魔法の増強を促進する丸薬を飲むからだ。人族も、それを飲めば魔族になれる。」


 その言葉に、私は震えた。


 ウマレツキデハナイ。


 ガンヤクヲノム。


 ヒトゾクモマゾクニナレル。


 魔族と人族は違うもの。だから、絶対に分かり合えないのだと、私は思っていた。けれど、真実は、同じようなもの、だなんて。


 私が余りの衝撃に言葉を失っていると、男は平然と続けた。


「人族の有識者ならば皆が知っていることだ。その丸薬は癖が強く、通常誕生日毎に一粒づつ奥歯で噛み砕き飲み込む。だがその際に、歯が黒く染まる。だから魔族とは、奥歯の黒い者のことだ。ただ、私や父は人族の中で暮らすため歯を黒くするわけにはいかない。私達は、丸薬を砕いて水で薄く伸ばしたものを飲む。これは人族にはまだ知られていない方法だ。他言無用で。」


 タゴン、ムヨウ。


 何か大事な秘密を、私は聞いてしまったけれど、いいのだろうか。


 震えている私を横目に、男は頷いた。


「心配はない。貴女が私がいないところで誰かと会うことは、ないだろうから。」


 私は、息を飲んだ。震えている身体、渇いた喉、私は戦うことすらできない役立たずな自分を呪いながら、絶望するしかなかった。


 私は、生涯、この男の側を、離れられないらしい。


 結婚は、監禁と、同じことなのだ。妻の地位を与えられても、私には何の自由も権利もない。きっと屋敷では、地下牢に入れられるのだ。


 私が一人納得していると、男が部屋の端にある机に移動し紙とペンの用意をはじめた。 


「魔族の話がしたいなら、私にも教えてくれないか。貴女が私を魔族と見破った、色が見えるとは、具体的にどのようなことを言うのか。黒い、というのは、どう、見えるのか。」


 私が死ぬか生きるかを左右するであろうその問いに、正直に答えるべきか、私は、迷った。


 もし、色が見えること、人族と魔族を見分ける方法が、誰にでもできる方法なら、この男は私から情報を得た後、私を、切り捨てるだろうか。


 多分、そうする。私は、きっと殺される。


 そうならば、私の能力が素晴らしいもので、私以外の人間にはできないことだと、この男に、思い込ませた方がいい。


 この男には、多分勝てない。それでも、私は負けられない。勝たなくていい。落ち着いて。余計なことは言わないで。ゆっくりでいい。


 私には、生かす価値が、ある。だから、大丈夫。


 私はソファの上で、丸まっていた背筋を伸ばし、カラカラに渇いた喉を潤すために、唾を飲んだ。握りしめた両手は汗ばんでいて、気持ち悪かった。私は男に向かって、話はじめた。


「私、には。属性が、そのままの色で、人を囲むようにあるのが見えると、昨日、申しました。属性は、一人につき、一色、です。けれど、貴方には、黒が二色、見えるのです。闇属性を表す漆黒のような黒と、血が固まったような黒、です。そして昨日の方も、二色。水色と血の黒でした。そのような方々にはお会いしたことがなかったので、何かが違うと、思ったのです。」


 男は注意深く私の話を聞きながらペンを走らせ、聞いてきた。


「なるほど。魔族の丸薬は、魔法の増強を促進し、それ自体にも闇属性を持っている。なぜ通常の闇属性の黒と違う色なのかは分からないが、持って生まれたものと、後からつけたものの違いか。なんにせよ魔族は、生まれ持った属性と丸薬の闇属性の二属性を持つことになる。だから強い魔法が使える代わりに、光属性に弱い。特に闇属性の魔族は、弱い光属性の魔法師にすら勝てない。貴女が光属性の持ち主ではなくて、良かった。」


 その言葉に、私は魔法の法則を思い返した。


 火水風土の四属性は、例えば水は火に強く土に弱いという性質を持っていて、全ての属性が違う属性に強く、弱い。けれど光と闇属性は特殊で、闇属性は他の属性よりも強く高度な魔法が使えるけれど、なぜか光属性にとても弱い。光属性は闇属性に強いけれど、攻撃系が少なく癒しの系統が多い。


「人族の王家が、近親婚を重ね光属性を維持しているのは、そういう理由だ。」


 オウケガ、キンシンコン。


 知らなかった。


 けれど、私は納得もした。世の中には、私の知らないことが沢山ある。それは面白いけれど、こわい。


 人の国の現王は、光の大魔法の使い手で、一度に、仲間全員に癒しの魔法をかけることができる。それは陛下だけが使える魔法で、魔法師として、王として、誰からも尊敬され愛されている。

 

 その時、私はふと一つの疑問に行きついてしまった。そして私は、ついつい、思ったことを、口に出してしまった。


「では、人族の王族と魔族が結婚するのは、その、無理、なのでは。」


 この男の母親は国王の従姉妹で、王家でも珍しい光属性の持ち主だと、姉達から聞いたことがある。


 男が手を止め、目を丸め、口を開きかけて、閉じた。そして少しの間をおいてから、額に手を当て、苦い顔をした。


「貴女は、物事を理解しているようで、していないのに、妙なところで鋭いな。」


 男はため息をつくと、少しなげやりに、話し始めた。


「そうだな。あり得ないな。父と、母の、関係は。」


 伏し目がちの黒い瞳が、ゆっくりとあげられ、私の瞳を捉えた。


「我が侯爵家は魔族の密偵だ。だが、通常の密偵とは違い、何代も相手の地に溶け込み、人間として生活しながら、情報を得ている。その任につくのは侯爵のみ。魔族とつながっているのは、現侯爵の父と、次期侯爵の、私だけだ。」


 男が明かした事実に、私は驚いた。


 侯爵、だけが、密偵。


 家族にすら本当のことを知らせず、生涯、騙し続ける。たった、一人で。


 男が、机の端に置かれているワインのボトルに手を伸ばした。貴女も飲むか、グラスに真っ赤な液体を注ぎながら男は私にも確認してきた。私は何も言わず首を左右に振り、血が飛び散ったように真っ黒なこの部屋に、震えた。


 何か、嫌な予感がする。


 私の震えに気づいているのかいないのか、男の口が、ゆっくりと、開いた。真っ赤な舌が、ゆっくりと動いたのが見えた。


「貴女には、事実を伝えよう。貴女は知りすぎている。だが、始末もできない。そうであれば、味方になってもらうしかない。」


 味方。


 何を言っているのだ、この男は。


 私はソファからよろけながら立ちあがり、大きな声を出そうとして、叫んだ。けれど、出てきた声は小さくかすれていて、たどたどしかった。それでも、声は、私の思いを伝えてくれた。


「味方。味方になど、なれるはずが、ありません。」


 なぜ。


 なぜ私が魔族に味方すると思ったのか。この男は。恐怖から、同情から。いいえ、そんなことは、ありえない。私は、人族だ。魔族になるなんて、絶対に、ありえない。


 膝の震えで、私は床に崩れ落ちた。


 私は、魔族の味方になるよう躾られるのだろうか。もう人族としては、生きられないのだろうか。


 ああ、ごめんなさい。お父様、お母様。もうきっと、家族に会うことも、叶わない。


 男はため息をつくと立ち上がり、私の方へと歩いてきた。差しのべられた男の大きな手を振り払い、私は自分で立ち上がろうとした。けれど、私の抵抗は役にたたず、気がついた時には手を捕まれ立たされ、ソファへと押しやられていた。


「15の夏、私も同じことを思った。人族の中で育ってきた私が、突然魔族の密偵になどなれないと。だが、私は密偵になることを選んだ。それは、」


 ソファに体を預けた私を真上から見下ろし、男はそこで言葉を切った。そして続きを言うことなく、会話を一方的に切り上げ部屋を出ていった。



 涙でぼやけても真っ黒なその後ろ姿に、私は問いかけた。


 貴方はいったい、誰に、忠誠を誓っているのですか。貴族は国を守るために、国王に忠誠を誓う。人族であることに、誇りを持って。


 けれどあの男は、人族でも魔族でもあるようで、ない。


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