手が重なる
「結果は。」
父の執務室に入るなり、鋭い声が飛んできた。俺は軽く会釈をしてから、オリビアに関する書類を手渡した。
「全て、合っていると思われます。」
常日頃、穏やかな父の表情が、先ずは驚き、次に哀れみで歪んだ。かわいそうに、口には出さずとも、その表情がオリビアへの同情を物語っていた。
かわいそう。
俺も、同じ意見だ。
だが、それ以上に、あの少女の能力に興奮している自分がいる。
俺は父の手元の書類の、最初のページに書かれている内容の説明をはじめた。
「先ずは、現在魔法師として成功している者五名の属性、系統、魔力量、全て合っていました。」
俺はページをめくり、次の項目を指差した。
「次に、魔法の鍛練を続けたにも関わらず、芽が出ていない者五名。属性は合っていて、現在行っている鍛練とは違う系統を言いました。さらに、今後彼女の示した系統の鍛練を積めば見込みのある者が一名。残りの四名は魔力量が少ないので魔法師には向いていないとのことでした。」
俺はここで一息つき、最後の話題へとうつった。
「四名の人族と一名の魔族に会わせたところ、魔族の者が入室した途端、怯えはじめました。」
父は頷くと書類を改めて読み、暫く考えこんだ。それから視線をあげ、小さく呟いた。
「見事だな。ギフトか。」
俺は頷いた。
「それ以外は、考えられません。」
父が目を閉じ、眉間に皺を寄せた。
「この子がいれば、戦争に勝てるな。」
俺は再度頷いた。
「勝てるでしょう。ですが、彼女の言葉から実践までには、魔法師達は少なくとも5年以上の鍛練が必要です。今我々に捕らわれている状態で彼女が発する言葉が信頼できるかどうか、難しいところです。」
父が、目を細めてニヤリと笑った。
「信頼か。簡単だろう。お前に惚れさせればいい。お前の得意分野じゃないか。」
俺はその茶化すような物言いに、溜め息をついた。得意ではある。だが、好んでやりたい業務ではない。
俺の様子に、父は冗談だと笑いはじめた。だがその笑顔はすぐに曇り、父は浮かない表情で呟いた。
「それとも、人質を、とるか。」
父は窓の外に目を向け、遠くを見つめながら再び考えはじめた。窓の先には魔の国がある。父は何を考え、何を思うのか。
暫くすると、父の目がこちらに向けられ、俺の意見を促された。
「オリビア嬢には、私と結婚していただくのがいいかと。」
父は申し訳なさそうに俺を見つめてから目を閉じ、眉間の辺りを指で押さえた。
「そうだな。」
それから父は、楽しそうに笑い出した。
「我が国でも一、二を争う女ったらしのブライク次期侯爵殿が、王宮で、婚約者がいる伯爵家の平凡な少女と恋に落ち、逃避行、持参金なしでの結婚を申し込む。オリビア嬢天晴れ。といったところか。」
楽しそうな父に、俺は無表情で応えた。
「非常に陳腐な筋書きですね。」
俺の言葉に更に父は笑い、書類を閉じると俺に渡してきた。
「ロマンチックと言わないか。これが事実になれば、最善の案でもある。」
ウィンクをする父に、俺はうんざりして首を左右に振った。
「オリビア嬢にはすでに私の本性が知られています。彼女はいつも私に怯えている。そのような相手を、愛することなど、ないでしょう。」
そうか、父はそう相づちを打つと、何故か俺と目を合わせ問うてきた。
「お前は、どうだ。」
俺は驚き、言葉を失った。
何を言っているのだ、父は。そのような質問を、敢えて、する必要があるか。
「私は、努力もせずにただ生きている人間に興味はありません。まして彼女は何百年に一度いるかいないかと言われるくらい希少なギフトという才能の持ち主でありながら、何もしない、不可思議な考えの持ち主です。私には、到底理解ができません。」
俺の拒絶を、何故か父はニヤニヤしながら聞いていた。
「ブライク、お前の考え方は正しくて合理的だ。お前はその道を突き進めばいい。」
父は執務机から立ち上がり、俺の肩に手を置いた。
「でも肩が凝るだろう。そんな時はオリビア嬢に、揉んでもらえ。」
何が言いたいのか。俺は全く理解ができず、父の手を払った。
「私には専属の按摩がおります。オリビア嬢に頼むなど時間の無駄です。」
俺の返答に、父は大声で笑い出した。俺は何を笑われているのかが分からず、この話を打ち切るために、冷めた声で宣言した。
「人質の人選を、はじめます。」
父は笑うのをやめ苦い顔をしたが、俺を止めることもなかった。
昨日、私が秘密を明かしたあと、数人の魔法師が連れてこられ、属性を当てるように、あの男に、言われた。
その中に魔族が一人いて、あの男は私の反応を見ていた。
それから私は、まるでお姫様のような扱いを受けている。きっと私の力を何かに使うために、生かすことを選んだのだろう。
当然と言えば、当然。私の力は、特殊すぎる。
これを使えば、人族は魔族に勝てるかもしれない。けれど、それでいいのだろうか。魔族を滅ぼすことに意味はあるのだろうか。戦争の跡地はいつも荒れる。けれど今のこう着状態ならば、人族も魔族もある程度幸せな日々が送れているように、私には思えるのだ。もちろん、戦争をやめるのが一番なのだろうけれど、父も兄もそれはできないだろうと言っていた。
もうあまりにも長い時間、人族と魔族は、憎しみあい傷つけ合ってしまったから。
私は毎日を、その日の天気や気分で生きてきた。兄や姉達のように、台風だろうと剣の練習をしたり体調が悪くてもダンスの練習をする予定は組まれていなかったから。
だから、雨の日は剣の練習をするよりも本を読めばいいと思うし、体調が悪ければ好きな音楽でも聞けばいい。それが自然で、一番だと、感じるのだ。
だから、戦争に勝つことよりも、ただ、幸せになりたい。私は、そう思うのだ。
こんな私を、あの男は、笑うだろうか。きっと、笑うのだろう。
そんなことをとりとめもなく考えていると、コンコン、というノックの音と共に、あの男が来ていることを侍女が告げた。
私は立ち上がり、今までに一度も着たことがない程上等なドレスの裾を広げ形を整え、背筋を伸ばし居住まいを正した。
そして、深く、深く、息を吸い込んでから、どうぞ、と声をかけた。
私はどうなるのか。
聞きたくはない。聞きたくはないけれど、聞かなければいけない。
ゾクゾクと粟立つ肌をなで、私は扉の方に目をやった。
「失礼します。」
男は開いた扉から音もなく中に入ると、私の全身を確認した。
「濃いドレスもよく似合う。」
その誉め言葉に、私は自分の姿を見下ろした。
私は、今まで好んで着ていたピンクや白といったドレスとは対照的な、紺色のシンプルなデザインのものを着ていた。今朝、何十着もあるドレスの中から侯爵家の侍女達が相談し決めたものだ。私に、一番似合うと言って。私はその言葉を疑っていた。けれど、出来上がった私はとても上品で奥ゆかしいレディとなっていた。昨日からの出来事で、昨日よりも五歳も十歳も年を取った気分なことも重なって、急に大人になった様な、いいえ、大人にならされた様な、複雑な、気分だ。
男がニコリと笑い、芝居がかった仕草で頷いた。
「そのような貴女を妻に迎えられる私は、幸福者だな。」
私は、息を飲んだ。
私は、この侯爵家に監禁されるか、魔族の国で獄に繋がれるか、どちらかだと考えていた。
私の想像よりもはるかに良い待遇に、けれど、私の全身からは汗が噴き出し、体は熱いのに、ガクガクと震えはじめた。
結婚。
この男と、私が。
なぜ。いやだ。この何を考えているのか分からない気持ちの悪い男と、私が、結婚。
ああ、時間を巻き戻したい。
私は、いったいどこで、何を、間違えてしまったの。
「くく。さすがにそこまで嫌そうな顔をされると、傷つくな。」
全く傷ついた様子のない声音の男が、私の前で大げさに膝まずき、仰々しく、私の手に触れた。男の大きな手の上に、私の小さな手が重ねられた。
「オリビア様。どうか貴女に恋い焦がれるこの哀れな私の手を、取ってはいただけませんか。」
私の体は固まったまま、何も答えられなかった。
否やと言いたい。
けれど、言えるはずもない。
「貴女を生涯、守り抜きます。」
男が瞳に熱を込めて、私を見上げてきた。
ドクン。
私は不覚にも、ときめいてしまった。体が急に熱くなり、頭がクラクラしてきた。こんなことを言われたのははじめてで、恥ずかしくて、心臓が、壊れてしまいそうだ。
けれど。
すぐに黒い瞳の熱はなくなり、ただ冷静に私の態度を観察している男に気がついて、私の体も一気に冷えていった。
「オリビア嬢。これは選択肢ではない。決定事項だ。手を、取りなさい。」