目が合う
人の国と魔の国は、長い間争いを続けている。
どちらかが悪いわけではない。国民を飢えさせないために、新たな大地が必要なのだ。
人族と魔族は同じ人種で、見た目も能力も変わらない。けれど魔族は長い間魔法の研究を続け、人族よりも強い魔法を編み出してきた。魔力量も、多い。
私にもそれくらいの知識はあったので、あの青年が、何なのか、想像することはできた。
あの血が凝り固まった様な黒を、私は今まで人のまわりに見たことがない。それにあの暴れるような魔力。あれは、人のものとは思えない。
私の肌が、訴えてくる。
彼は、人ではない。
けれど、ではなぜあの青年があそこに当たり前のようにいたのか、私には、分からない。誰かに相談したいけれど、そのためには色が見えることも説明しなければ、筋が、通らない。
それは、困る。
私はこの能力を公表しないと決めているのだから。
そもそも、もし私の能力を明かしたとしても、私以外には色が見えないので、彼が魔族だと確認することもできない、はず。
行き詰まった私はうなだれ、けれど、ソファから立ち上がった。
とにかく、情報を、集めなくては。
「オリビア、どうしたの。私達のお茶会に参加するなんて、珍しいわね。」
「ほんとうに。何か、欲しい物でもあるの。」
私の二人の姉達は、口許を扇で隠し、ふふふと上品に、華やかに笑った。
この二人のお茶会は、有力貴族の屋敷に招かれた時のための予行演習で、姉妹二人だけしかいないというのにいつも張りつめた雰囲気が漂っていて、私には、居心地が悪い。
姉達には分からないよう、私は心の中でため息をついた。ここに来れば、美味しい紅茶とお菓子がいただける。けれど。ぜんっぜん、まったく、おもしろくない。少しの時間がまるで永遠のように感じられて、私は、苦手だ。
我が家にある最高級の茶葉で淹れられたお茶を一口、口にしてから、好奇心で溢れた瞳で私を見つめている姉達に、私は尋ねた。
「実はお姉様達に聞きたいことがありますの。ブライクさま、というお方をご存知ですか。」
私の問いに、姉達は首を傾げた。
「ブライク。どちらのブライク様のことかしら。どの様な方なの。」
姉の言葉に、私は少し考え込んだ。
黒いことしか覚えていない。
姉達に、伝わるだろうか。
「髪と瞳が黒い方です。ええと、20代、でしょうか。20代後半くらいかもしれませんわ。背が高くて、とても姿勢の良い方です。」
最初はからかうように笑って話を聞いていた姉達が、私の人物描写を聞いてから急にお互いを見合って、何かを目配せした。そして二人は難しい顔つきで、私の顔を覗きこんできた。
「侯爵家の、ブライク様、ね。ねえ、オリビア。聞いてちょうだい。オリビアには素敵な婚約者がいるわ。あなたがブライク様と関わりを持つ必要は、ないわ。」
「そうよ。あのお方は、何て言えばいいのかしら。そうね、女の、敵ね。」
姉達の言葉に、私は驚いた。姉達は、私があの方に好意を持ったと思ったのだ。
私ははしたなくも両手を思いっきり振り、それを否定した。
「お姉様達。そうではないのです。この間の舞踏会で、私がリボンを落としたことはご存知でしょう。そのリボンを、そのブライクさまが拾ってわざわざ送ってくださったのです。いただいたお手紙には家名が書いてなかったのですわ、礼は必要ない、と。でも私どうしても、お礼の手紙と、他に何かを添えたいと思ったのです。けれど、どちらのブライクさまかも分からないし、何を添えたらいいか、いい案も、思いつかなくて。」
姉達は私の話を聞き、ほっとしたように微笑んだ。私がブライクさまから届いた手紙を姉に渡すと、二人は中を確認してからまた頷きあった。
「そういうことだったのね。そうならば、私達も一緒に考えなくてはいけないわね。」
「そうね。伯爵家の威信にかけて、あの方が気に入るものを添えなくてはね。」
「確か、あの方は…」
こうして私は二人の姉からあの青年の情報を聞き出してみたけれど、魔族とつながるようなものは何もなかった。
ブライクさまは、由緒正しい侯爵家の嫡男で、28歳の騎士。独身。父親は国王の側近で、母親は王族の血をひくお姫様。人の国で生まれ育ち、女たらしで特に未亡人との噂が多い。六属性の中で一番珍しい闇属性魔法の持ち主。
私は送られてきたリボンを手に、ため息をついた。
あの黒は、先祖返りかもしれない。
もしかしたら、本人も知らないのかもしれない。
何も、なかったことにしよう。
私は決めた。
このリボンのお礼を送れば、もう二度と会うこともない。私は、何も見なかった。
そうしよう。
それにしても、まさか私があの方、ブライクさまに好意を寄せていると姉達に思われるとは、思いもしなかった。
ない。
ありえない。
あれほどまでに不気味な人間は、見たことがない。リボンのことが終われば、もう二度と、関わりたくない。
私は、あの方が、こわい。
身体が、勝手に震えるほど、こわいのだ。
姉達と相談し、父が取り寄せてくれた希少なインクは、とても色が濃く貴族の間で流行しているものだ。
ついでにと、私へも小さな瓶が一本渡された。
蓋を開けてみると、その鮮やかな黒に吸い込まれそうになって、私の手が少し震えた。その震えで、一滴の黒が、ピンクに散った。私は自分の愚かさに目を閉じたけれど、なぜかあまり、気分は落ち込まなかった。
汚れてしまった大きめのリボンを引き出しの奥に押しこむと、お礼の手紙とインクの壺を手に、私は、部屋を出た。
昨日、国王陛下より緊急の召集があり、全ての貴族が王の前へ参上することとなった。
私は慣れない正装をし、家族と共に馬車に乗り王宮へと向かっていた。
父は、騎士団の正装をしている。
真っ白で張りのある生地には金色の刺繍が施され、左の肩や胸には、国王陛下から賜った色とりどりの勲章がいくつも縫い付けられている。10代の頃から最前線に立つ父は、時には陛下を守りながら戦うこともある精鋭で、我が家の誇りだ。
戦況が落ち着いている今は、王都に戻っている父だけれど、何かあれば、何年も、家には帰ってこない。騎士の家系である我が家は、代々当主も最前線で戦うことが慣わしで、そのまま命を落とすことも多い。
現国王陛下が若い頃、戦況が激しくなり父の兄弟達も亡くなった。まさか、五男にまで家督がまわってくるとは思いもしなかった、父はよくそう言っている。それほど、戦況が激しかったのだと。
馬車に乗ってから一言も話さず考え込む父を、家族全員が案じていた。
王の召集は何のためか。誰も口をきかない静かな馬車の中には暗い雰囲気が漂っていて、居心地が悪くて、私は窓の外に目をやった。
寒い。
窓の外に見える街並みは相変わらず砂っぽく灰色で、薄暗い空は寒々としていて笑ってはいけないような、重い空気が街中に漂っている。馬車の中でも、地面から凍るような冷たさが這い上がってきて、寒い。
私は両手をこすりあわせて、かじかんだ指の感覚を戻そうとした。
ふと、黒いタキシード姿の男性が目に入り、私はある人物のことを思い出した。私は心の中で祈った。あの方が、いないことを。もしいたら、リボンのお礼を言うために、近づかなければいけない。
いやだ、近づきたくない。
どうか、どうか、いないで。お願いします。
私が心の中で懸命に祈っていると、父に遠慮しながらも口を開いたのは兄だった。
「父上、一体何があったのでしょうか。」
父は愛する家族を見渡すと、静かに首を左右に振った。
「分からん。もしかしたら、戦争になるやもしれん。」
父の声は低い。その重い声と重い口調に、馬車の中の空気も重くなった。
人の国と魔の国の国境線は、あってないようなもの。日々小競り合いがおき、お互いが境界線を越えたり越えられたりしている。
戦争は、いつ起きてもおかしくない。
陛下の一声で、戦争がはじまる。
争いが激しくなれば、騎士団に所属している父も兄も無関係ではいられない。もしかしたら、母も私も、何かに巻き込まれるかもしれない。
私は、両手を握りこんだ。
不安で考え込んだ私を遮ったのは、兄の力強い声だった。
「我らが陛下のために。」
兄が高らかと挙げた声に、家族全員が頷いた。貴族は国を守るために戦う、それが貴族の在り方なのだから。
「皆のもの、よく集まってくれた。感謝する。」
重そうなマントを翻しながら、国王陛下が玉座に向かって段差を上がり、上がりきったところでこちらを振り向くと、頭を下げている全ての貴族に向かって、上から、声をかけた。
陛下の張りのある声に応えて、皆が頭を下げたままお辞儀をし、顔を上げた。その様子を頷きながら見守り、陛下が玉座に腰をおろした。
私はスカートを両手で持ったまま、何となく、姉達の方へすりよった。
前の方に、黒い色が見える。いるのだ。侯爵家の、ブライクさまが。
男性達は、詳しいことを聞くために陛下の近くに寄っていた。ブライクさまも、かなり前の方にいて、私には気づいていないようだ。私はほっとして、少し体の力を抜いた。
「皆に集まってもらったのには訳がある。最近国の内情が、魔の国へと流出しているようでな。この中に、情報を流しておる者がいるようだ。」
陛下の声が、大きいわけではないのに広い謁見の間に響き渡って、私は息を飲んだ。
情報を、流している者。
陛下の声に、場が揺れた。今まで固まっていた貴族達が一斉に動きだし、謁見の間が一気に騒がしくなった。
「一体誰だ。」
「まあ、恐ろしい。」
「この中に。密偵が。」
密偵。
私の日常からは、かけはなれた言葉。けれど。なぜか。身体が、震える。居心地が、悪い。私は頭を少し振って、顔をあげた。
その時、私は、なんとなく、彼を、見てしまった。
ブライクさまは隣の男性と話をしながら、ふと、周囲に目をやった。
目が合った、気がした。
けれど彼はすぐにまた話をはじめたので、私は安心して姉の後ろに隠れた。
謁見の間から騒がしい長い廊下へ出ると、私は強ばった身体を少し伸ばしてから力を抜いた。
父と兄は先頭で話しこみ、母と姉達はその後ろを噂話をしながら歩いている。私は家族の後ろ姿を眺めながら、この居心地の悪さの理由を考えていた。
戦争がはじまる。
魔族の密偵。
魔族であろう彼。
重い足取りがどんどん重くなって、家族の後ろ姿が遠ざかっていった。私はその事に気がついて慌てて、追いかけようと足に力をいれようとした。
その時。
ガシッ。
何かに首を掴まれ、私は後ろに引っ張られた。体が無理やり固定され、私の足が宙に浮いた。一気に肌が粟立つ感覚に、私は彼が近くにいるのかもしれない、そう、思った。
ガチャと、扉が閉じられる音が聞こえた。
そして目の前には、黒。
「オリビア嬢、貴女は、何かを知っているのか。」
まるで恋人同士のように私を抱き寄せ、顔を近づけ、ブライクさまが、囁いた。
私の体はいつの間にか震えだし、声など出せはしなかった。何も考えられない頭では、何を言えばいいのかも分からない。
彼が舌打ちし、私の首を掴む手を緩めた。
ドサッ。支えをなくした私の身体は床に落ち、人形のように転がった。私は痛む喉を押さえうずくまった。
何。
いったい、何が起きているの。
「ブライク、その少女は。」
突然聞こえてきた声の方へ、私は助けを求めて必死に手を伸ばした。けれど伸ばしきる前に、私は絶望して意識を手放した。
現れた男もまた、黒かったのだ。