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弱くて愚かな少女  作者: 一子
オリビアとブライク
2/15

ブライクという青年




 11歳の夏、(わたくし)には大きな秘密ができた。

 

 私はこの秘密を守るため、色から目を逸らすことを決めた。


 けれど、色が見えることが普通だと思っていた日々も、普通ではないと知ってからも、色は私とあり続けた。


 そして私は、だめだと思いつつも、人と会う時は色に惹かれた。私はいつも、その人の姿形は覚えずに色ばかりを覚えている。そしてたまに、遠くからでも分かるほど強く色づいている青や、まるで生きているかのように自由に跳びはねている赤を見つけると、無視しようと思いつつも、つい、目を奪われたりもする。


 けれど、私は貴族の娘で婚約者もいる身である。外出の機会は極わずかで、出会う人も限られていた。


 だから何か問題が起きることはなく、ただ静かに日々が続き、またこれからも続いていくのだと、私は、そう、思っていた。



 人の国では、国民は15歳で成人を迎える。


 貴族は成人を迎えると社交界デビューをする決まりがあり、同時に婚姻を結ぶことも可能となる。なぜなら社交界デビューとは、王への謁見の権利が与えられたことであり、王から許可が必要な婚姻はそもそも謁見ができなければ可能とならないからだ。


 私は商家に嫁ぐので、少し話は違うけれど、通常は成人した二人が王の前で婚姻の許可を得る。もちろん、ほとんどの場合はその親達が事前の根回しなどをするのだけれど、たまに、身分の違う二人が親からの許可を得る前に陛下から許しを得て結婚してしまう、というロマンチックなこともおきる。


 我が国の王は絶対的な権力を持っているけれど、他家への干渉は多くない。各家の婚姻に口を出しているなんて、聞いたことがない。


 私も15歳で社交界デビューをしてから、国王主催の大きな舞踏会には必ず出席している。とはいえ、国王が主催するものは年に三回だけで、全ての貴族が参加する決まりだ。


 地方の領地に根付いた商家に嫁ぐと決まっている私は、王都の舞踏会で婚約者を探す必要も、他の貴族達とつながりを作る必要もないので、この三回だけを出席することになっている。


 私の婚約者は貴族ではないので舞踏会に参加することはできないし、私も結婚すれば貴族位がなくなり、もう、参加することはできなくなる。


 

「さすが、領内随一の商家のご子息ですわね。生地も、型も、上等で最新。なによりも、オリビア様の肌の色を一番美しく見せてくれる、この淡いピンクのドレスとリボン。ほんとうに、ステキですわ。」


 侍女がため息をつきながらうっとりと眺めているのは、国王主催の舞踏会に私が着ていくためにと婚約者が誂えてくれたドレスだ。派手過ぎずかわいらしい淡いピンクの生地に、真っ白で小さな花がさりげなく刺繍されている。髪につけるリボンは少し大きめで、地味な私の顔を美しく引きたててくれる。


 私は婚約者の顔を思い浮かべ、はにかんだ。


 もちろん、このドレスはデザイナーが手がけたものだ。けれど、最後にこれと決めてくれたのは、あの、仏頂面の婚約者なのだ。そう思うと自然と顔がゆるんで、私はついつい笑い声をもらしてしまった。


 侍女は私の腕にドレスを通しながら、私の声を拾ったのか同じようにふふと笑った。


「お嬢様は、ほんとうに、お幸せですね。」


「ええ、そうね。貴族の娘にしては幸せよね、私。」


 私は溢れる笑みを隠しもせず、婚約者から貰ったリボンをなでた。


 私は、大切にされている。


 その想いに、応えたい。

 



「オリビア、決して一人にならないように。分かったね。」


「分かっておりますわ、お兄様。もう四度目の舞踏会ですし、私も、もう、16です。」


 まだ婚約者のいない兄が、今日の私のエスコート役だ。けれど兄は挨拶回りに忙しいので、ずっと私の相手はできない。


 とはいえ、心配など何もないはず。商家に嫁ぐ予定の地味な伯爵家の三女に、わざわざ接触しようとする人などいないのだから。


 私は今まで、男性からダンスに誘われたことなど一度もない。つき合いを、除いては。


 それが、私のここでの価値なのだ。


 幼い少女のように、ロマンチックな事件を夢見たこともあるけれど、今はもうそんなことはないのだと、私が、一番よく分かっている。


 私はただ、色とりどりのドレスやオーケストラの生演奏や見たこともないご馳走を、見ておきたいだけ。結婚すれば私は王都を離れ、伯爵領の中で生活し貴族でもなくなる。もうすぐ見ることができなくなるこの王都の華やかな出来事を、沢山、見ておきたい。


 ただ、それだけ。




 その時。

 

 ゾク。

 

 肌の下で、何かが、生まれた。


 驚いた私は、そこに触れようとして、やめた。


 そこ、だけではない。体のあちらこちらから、同じような何かが一気に外へ向かって立ちあがり、けれど体の外に出ることはなく私の中にたまっていった。その何かが、今度は一気に私の中を駆けめぐり、私の後ろの方に、集まって、止まった。


 それが通り過ぎたあとの私の皮膚は堅くなり、まるで鎧のように私の柔らかい身体を包んでいる。


 私は、ゆっくりと、自分の肌をなでた。


 何。これは。私は、震えはじめた自分の身体を抱きしめるしかなかった。



 その時。


 後ろに、何かが、ある。


 まるで後ろから引っ張られているような不思議な、嫌な感覚に、私は抗って、真っ直ぐ立つために、足に、力を入れた。


 私は、振り向くべきか、否か。


 決断しなければ、そう思った時、私の視界が揺れた。


 今まで見えていた赤が、青が、緑が、他の沢山の色が、突然ぼやけて混ざりあい、溶けはじめた。私が慌てて自分の目を押さえると、今度は、耳が、おかしい。今まで聞こえていたざわめきが、同じくここにあるはずなのに、私の耳はその役割を忘れたかの様に何の音も拾わなくなった。


 違う。


 見えなくなったのではない。


 聞こえなくなったのではない。


 まわりの全てのことがどうでもいい程に、私の全てが、後ろに、向いている。


 後ろに、何かが、ある。


 私は、ゆっくりと、振り向いた。


 黒。


 そこには、何かを囲んでうねるように暴れる、圧倒的な黒があった。


 何かを言おうとして、私の口が開いた。言う。いいえ、違う。私は叫ぼうとした。叫ぼうとして、けれど、何を叫ぶべきか分からないまま、私は、私の、声にならなかった声を、飲みこんだ。


 この黒は、知らない。


 これほど深く、濃く、静かに、けれど怒り狂っているような黒を、私は知らない。


 あれは、何。


 濃淡がある。漆黒のような深い闇の黒と、見たことのない、黒。


 あれは、何。


 ああ、そうだ。あれは、真っ赤な血が凝り固まった時にできる、禍々しいまでに濃い、黒。


 私の体はまるで機械人形のように、うまく動かなくなってしまった。ぎこちない動きで、私はその黒の中心にいる青年に目を向けた。彼は私に見られていることには気がつかず、女性と楽しそうに、話をしていた。


「おい、またブライクのやつ新しい女かよ。」


「全くあいつは飽きもせず、未亡人狙いか。」


「しっかしなんだって皆あいつに落ちるんだ。あいつの女ぐせの悪さは、有名だろ。」


「全くだな。どうかしてる。」


 私の耳は、その役割を思い出したようだ。周囲の音を拾いはじめた。何かが、聞こえる。私はほっとして耳に震える手をやると、耳の上に飾られていたピンク色のリボンに指先が当たり、リボンが、ゆっくりと、床に落ち転がった。


 カツン。


 その音に気がついたのは、その青年だった。

 

 青年は私の方へ歩みより、静かにリボンを拾い上げた。


「お嬢さん、落とし物ですよ。」


 流れるような美しい動作で、私に向かってリボンを差し出した青年の顔が、私には、よく見えなかった。


 私に見えたのは、真っ黒な世界と、その真ん中にある小さなピンクだけだった。


 私は、震えた。


 体が、動かない。


「どうかしましたか。具合が、悪いのですか。」


 青年の好意に応じない、どころか小刻みに震え黙りこんだ私の顔を、その彼が心配そうに覗きこんできた。


 向けられた、真っ黒な瞳から、私は目を逸らした。


 吸い込まれる。


 私の全ての感覚が、この青年を避けることを望んでいる。私は固まったままの身体をなんとか動かし後ろに下がり、そのまま、走り出した。




 何だ、あの少女は。


 俺はピンク色の少女の後ろ姿を頭の天辺から足の爪先まで観察し、手がかりを探った。


 幼く平凡な顔。似ている人物は。そういえば、伯爵家の嫡男に少し似ている。あそこは騎士の家系だからか重厚な服装を好む。質は良いがデザインが重すぎて垢抜けないドレス、あの家なら、合点がいく。俺と面識がない、妙齢の少女。


 三女の、オリビア嬢、だろうか。


 それにしても、あの目。焦点が合っていない、いや、焦点は合っていたのか。俺を見ながら、何か別のものを見ているような捉えどころのない不気味な目。


 あの女、一体、何を見ていた。


 俺が考え込んでいると、大声で俺の悪口を言っていた昔の学友が、意地悪そうに口を開き話しかけてきた。


「ブライク。どうやらお前と話すと妊娠するって噂が城中に広まっているようだな。」


 俺は男に一瞥をくれると、微笑み、吐き捨てた。


「そうだな。それならお前達も気をつけた方がいい。俺の子が、できるぞ。」


 俺の言葉に、周囲の男達が下品に笑った。


 俺は隣で所在なげにしている女性の手を取り、彼女の耳元で甘い言葉を囁いた。上気した頬を確認し、俺は彼女の手を取り舞踏会を後にした。



 面倒だな。


 俺は溜め息をついた。


 あの少女が落としたリボン、捨てたいが、捨てるわけには、いかないか。




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