君の涙の原因が俺だと、嬉しいんだ。
あの日から十月
はあ、私が盛大な溜め息をつくと、目の前に座っているブライクさまが少し引きつった笑みを浮かべた。
「リビィ。何かあったの。」
私の目は据わっていることだろう。ブライクさまはそんな私からそろりと目をそらした。
先日ブライクさまから、女性達と関係していたのは情報収集の為であった、と聞いてから私の心は毛羽立っている。
ブライクさまは私がこの間の話から不機嫌なことには気づいているけれど、それについて謝ったりはしない。
「オリビア。この間の話だけど、俺は彼女達を愛していたわけではない。」
その言葉に、私はまたもや盛大な溜め息をついた。
「私はむしろ、全員を愛していたと言われた方が、良かったのです。」
私の恨めしそうな声に、ブライクさまは目を見開きなるほどと頷いた。
「君が怒っている理由は、女性達と関係した俺にではなく、彼女達を傷つけたことに対して、なんだな。」
私はその問いには答えたくなかった。だって、私は、もちろん、ブライクさまが女性達と関係を持っていたことも嫌だから。けれど、それを口に出したら、ブライクさまの辛い過去を否定することになりそうで気が引ける。
「ブライクさまが悪いわけではありません。」
家の事情がなければ、ブライクさまはそんなことはしなかっただろう。その行為が他人を傷つけるとしても、それが家族のためならブライクさまは一切の迷いなく行動したのだろう。そして自分に悪評がたつことに何のためらいもなかったのだろう。
私は立ち上がってブライクさまの後ろに回ると、そのたくましい背中に頬をつけそっと抱きしめた。きっとブライクさまこそが、一番彼女達に申し訳ないと思っているはずだ。それも分かる。
ブライクさまはくくと笑った。君に慰められるのは久しぶりだな、と呟いて。
けれどそんなブライクさまを見ていたらやはり私の心は毛羽立っていく。私はもとの席に着くと、ブライクさまを正面から覗き込んだ。
「私が、ブライクさまと彼女達のことに対して何かを言うのはおかしいと思いますわ。」
私は、ブライクさまでも彼女達でもない。その上ブライクさまと一緒にいる立場から、彼女達のことを何か言うのは彼女達からしたら不愉快だろう。それでもやはり、心情を思うと辛いのだ。侯爵とブライクさまが人の国を裏切っていたことで、彼女達にも調査の手が伸びているかもしれない。ただでさえブライクさまがいなくなって辛いのに、実は情報を得るために利用されていたのだと知ったら、更には国からあらぬ嫌疑までかけられているとしたら。どうだろう。
私は、ついつい利用された彼女達の視点に立ってしまう。
「辛い。」
私がまたもついた溜め息に、ブライクさまは何も言わず私を見つめていた。
私は、以前の凍りついたまま微笑むブライクさまは好きになれないけれど、本性を知らずにいたら格好いい方だと憧れていたかもしれない。憧れて、ブライクさまに近づける彼女達を尊敬したかもしれない。そうだ。私なんて、きっとブライクさまが関係していたどの女性よりも、垢抜けない平凡でつまらない少女だ。
ふと私は気がついた。私はなぜブライクさまとこのような関係になれたのか。たまたま、この能力があったから。美しさや教養に磨きをかけてきた彼女達の足下にも及ばない。その事実に、愕然とした。
「私は何の努力もせず、ただ持って生まれたこの能力のおかげでブライクさまと、このような関係になれた。なんだか、狡いですわ。」
私は何かに押しつぶされそうで、口の中が乾いて気持ちが悪い。声もかすれてしまった。
そんな私を眺めていたブライクさまが、目を丸くしてから、あははと大声で笑い出した。
「君は考えすぎだ。それにもしそれが狡いなら、世の中の恋人達はずるだらけだ。」
ブライクさまはあっさりと私の負の感情を切り捨てて、明るい笑顔を浮かべた。
「オリビア。人はそういう偶然を、運命と言うのだろう。」
私は口をぽかんと開いてしまった。なんてはしたない。そんな私を見てまたあははとブライクさまが笑う。
けれど私の毛羽立ちは収まらない。ブライクさまを見ると胸がざわざわする。
「私。ブライクさまとしばらくの間、離れていたいのですがよろしいですか。」
突然の申し出に、ブライクさまが固まる。それから眉間に少し皺を寄せて問うてきた。
「しばらく、とはどれくらい。一時間、二時間ならもちろん構わない。けれど、一日、もしくはそれ以上なら断る。」
私はまたも口を開けてしまった。まさか断られるとは思いもしなかった。こういう時は、私に気をつかって優しく了承するべきではないだろうか。
「君が俺と離れたいように、俺は君と離れたくないから、どちらの意見を優先するか話し合う必要があるな。」
私はまたも溜め息をついた。面倒臭い。
「わかりました。では一日おきにお互いの主張を通しましょう。まずは私。」
「なぜ君からなんだ。断る。」
ブライクさまは立ち上がり、私のお腹に気を使いながら私を抱え上げると、体を強ばらせた私をものともせず奥の部屋へと進んでいった。
「これからたっぷり話し合おう。俺達の部屋で。」
やめてくださいぃぃぃ。私の絶叫はブライクさまのいい笑顔に吸い込まれていった。
「子に障るようなことはしない。」
にたりと上がった口角に、私は赤くなった頬をおさえた。
はあ。私は溜め息をつく。軽い寝息をたてているブライクさまの横顔を眺めていたら、理由のわからない涙が溢れてきた。
彼女達のことを考えると胸がざわついて落ち着かない。心が毛羽立って苛々する。ブライクさまが彼女達に触れたのが嫌。甘い言葉を囁いたのも嫌。でも仕方がなかった。ブライクさまを責めたくはない。今は私を愛してくれている。彼女達は今泣いているかもしれない。良かった、と思ってしまう。もう私達に近づかないで。同時に傷ついているだろう彼女達の気持ちを思うと辛い。
まるで相反する気持ちが私の中で渦巻いてせめぎ合っている。一体私は彼女達のことをどう思っているのだろう。ブライクさまと離れて時間をおいて、何がしたいのだろう、私は。自分でも全くわからない。
こんな私の姿を、知られたくない。
そろりと目を開けたブライクさまが、私の頬に手を伸ばして微笑んだ。また泣いてるの、ブライクさまの声は優しかった。その声に、なぜだか私の心が震えた。ブライクさまはくすくす笑いながら聞いてきた。
「俺のために。」
ブライクさまのために、だろうか。違うような気がして私は首を左右に振った。
「俺のせい。」
ブライクさまのせい、そうだろう。けれど頷いていいものか迷っていると、ブライクさまが、俺のせいか、と呟いて、ありがとう、と言った。
そのお礼の意味が理解できず首を傾げた私に、ブライクさまはとても優しげに微笑んだ。
「君の涙の原因が俺だと、嬉しいんだ。」
私はその意味も分からず首を傾げていた。
「君が俺を想って泣いていると嬉しいってこと。理由は何でもいい。嬉しい、悲しい、嫉妬、嫌だ。でも他人のために涙を流していると、正直腹が立つ。」
子供のような無邪気な顔に、私は手を伸ばした。そうだこの人は、私の弱さも愚かさも大切にしてくれる。そういう人だ。この人の前で、私はいい格好などしなくていいのだ。
涙と共に溢れ出る言葉。私はそれを止めようとはもう思わなかった。
「ブライクさまが、他の方に、触れたのが、嫌。仕方ないけど、嫌なのです。彼女達は、きっと今、辛いだろうと思うのに、私は良かったと、思ってしまう。もうブライクさま、は、私のものだって。」
ブライクさまはそんな私を見つめて、笑んだ。
「ありがとう。君がそう思ってくれて嬉しいよ。」
私はきれいな笑顔を浮かべたブライクさまの頭を叩いた。ブライクさまはあははと笑い私を抱きしめると、またありがとうと囁いた。