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弱くて愚かな少女  作者: 一子
番外編
15/18

俺は運が良かった。


あの日から二月


「俺は運が良かった。」



 帰るなり(わたくし)を腕に閉じこめて、ブライクさまがしみじみと呟いた。それは喜んでいるような苦しんでいるような、曖昧な声音だった。


 以前よりも大分感情を表に出すようになったブライクさまだけれど、あまり見ないその表情に私は首を傾げた。



「何か、あったのですか。」


 運がいい、と言っているのだから良いことに違いない。けれどそれにしては不思議な喜びかただった。



「君を手に入れることができた。」


 私。私のこと。一体何が言いたいのだろうか、私は目で先を促した。



「俺が、あの日を君と一緒に迎えなかったら今俺はいない。」


 ブライクさまが言う、あの日、がいつを指すかは簡単に察せられた。あの日、侯爵領で死のうとしていたのだから確かに私がいなければ、今ここにはいないかもしれない。



 確かにそうですね、と同意してから私は続けた。


「あの日がなければ、私達は恋にも落ちていなかったでしょうね。」



 私達は、会った瞬間に恋に落ちる運命的な恋人達とは違う。お互いに恋い焦がれ情熱的に燃え上がる彼等とは違うのだ。私達はあの日、あの時に恋に落ちなければ他のどんな瞬間にも恋に落ちることはなかったと思う。



「あの日が何年か先でも、後でも、私達はきっと結ばれてはいなかったでしょうね。」


 あの日、あの時、あの状況、その全てが揃わなければ、ブライクさまが私の前で自分の弱さを見せることはなかったと思う。死を覚悟し、父は逝き、母とは最後までうまくいかなかった。そんな状況だから誰かに話したかったのだろう。相手は誰でもよかったはず。偶々そこに私がいた。あのような隙が彼に芽生えることなど後にも先にもあの時だけだと思う。



「もしあの日が起こらず、ずっと人の国で婚姻関係にあったとしても、私達が愛し合うことはなかったでしょうね。」


 長い時間をかけて例え信頼関係が築けたとしても、ブライクさまが私を愛することはなかっただろう。もしかしたら私は惹かれていたかもしれないけれど、ブライクさまの仮面を外すことはきっとできなかっただろう。



「お義父様に、お礼を言わなければいけませんね。」


 ふふと笑った私とは対照的に、ブライクさまはさきほどからの複雑な表情を浮かべたまま重そうに口を開いた。


「いや。お礼を言うのは俺だけだ。」



 私がよくわからず首を傾げると、ブライクさまは寂しそうに小さく微笑んだ。


「あの時、俺は君に救われた。」



 そして一拍の間をおいて続けた。


「けれど君は、むしろ俺に巻き込まれたのではないか。」


 ブライクさまの言葉に、私は力強い腕の中に抱きしめられているのに心に距離を感じてしまい戸惑った。



「君はあの日俺を救わなければ、いつか俺ではない誰かと出会い幸せになっていたと思う。」



 私は考え込んだ。そう言われると、そうかもしれない。あの時私は初で、ブライクさまの甘い言葉に流されたし、他の人を愛することもできたかもしれない。もちろん今はもう無理だけれど、以前の私なら他の人との幸せもありえただろう。



 ブライクさまの複雑な表情の意味が分かった私は考え込んだ。要するに、自分は嬉しいけれど、私には無理をさせたのではないかと心苦しいのだ。そんな心配は必要ないのに。私は今十分幸せだというのに。なぜ今私がとても幸せだとは思ってくれないのだろう。なぜ他の誰かといるほうが幸せだったと決めつけるのだろう。なぜ他の誰かよりも絶対に幸せにすると言ってくれないのだろう。ブライクさまはたまに、変なところで自分に自信がない。母親に愛されなかった影響がこのようなかたちで現れているのだろうか。



 私は少し腹が立ち、ちょっと意地悪をしてやることにした。



 意地の悪い笑みを浮かべてブライクさまを見上げ、私は頷いた。


「そうですわね。確かに、私、他の方と一緒になったほうが幸せだったかもしれませんわ、ね。」



 私の反撃に目を丸め、けれどブライクさまはくすくす笑って囁いた。


「そこは俺に気を遣って、そんなことはありませんわ、と嘘でも首を横に振るところだろう。」



 私は楽しくなってきてその言葉を遮った。


「いいえ。嘘はよくありませんわ。」



 言葉に詰まったブライクさまに、私は更に追い打ちをかける。


「他の方と恋に落ちれば、魔の国でこんなに働かされたり、貧乏したりせずに愛し愛されて毎日さぞ幸せだったことでしょうね。」



 私の嫌みに、しゅんとしたブライクさまが小さな声で謝った。


「すまない。」



 そんな小さくなった大きなブライクさまを抱きしめて私は笑ってやった。


「いいのです。ブライクさまが私を幸せにできていないとなぜ思うのかはわかりませんが、それなら私は幸せにしていただかなくて、結構です。」



 ブライクさまを尻目に、私の笑いは止まらない。


「私は勝手に幸せになりますから。貴方の隣で。」



 ブライクさまは目を見開き何かを言おうとして口ごもり、結局口を閉ざし、降参します、というように両手を挙げた。それから暫く考えて謝ってきた。



「すまない。偶にとても不安になることがあるんだ。これで良かったのかと。今までは家族を守るという目標があったから、最善の選択肢をただ選べばよかった。けれど今は、君にとって、いや俺達にとって、何が最善かは分かりづらい。」



 ブライクさまの口から出た弱音に、私は嬉しくなってしまった。


「ブライクさま。それだけ大切に思って下さっているのであれば十分です。選択肢を間違えて土地も家もなくしても、貴方がいれば、いいえ、私達が一緒なら、私は幸せですわ。」



 ブライクさまに私の体はぎゅっと強く抱き込まれてしまった。揺れ動く表情が見えなくなってしまったことが残念で、私は顔をあげようとしてもがいたけれど拘束を外すことはできそうになかったので、やめた。ブライクさまは今きっと照れていて、今までに見せことがないほど恥ずかしそうな顔をしているに違いない。見たいけれど、ブライクさまが見せてくれるまで待とうと私は決心した。


 私はブライクさまが幸せそうな顔をしているのを想像して目をつぶった。


 


 あの日以外に、私がブライクさまを手に入れることができた日はなかっただろう。私は自分の運の良さに、心の底からほっとして微笑んだ。




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