君に伝えられることは全て伝えたいと、今は思うようになったんだ。
※以前投稿していた内容と同じです。
あの日から半年
「ああ、そういえば。」
新聞に目を通しながらお茶に手を伸ばそうとしていたブライクさまが、ふと何かに気づいてその漆黒の瞳をこちらに向けた。
「君からもらったインク。」
インク。ああ、初めて会った時に、彼が私のリボンを拾い屋敷に届けてくれたお礼にと姉達と選んだインクのことだろうか。
それが何か、と私は首を傾げた。
「結婚式の記帳の際に使ったこと、気づいていたか。」
彼の言葉に、私は驚いた。
あの結婚式のことを私は何も覚えていない。ただ、はやく終われ終われと心の中で繰り返し、促されるままに立ったり座ったりしていた記憶があるだけ。
そういえば、促されるままに自分の名前をサインした気がする。とても分厚くて真っ白な紙のサイン帳に。そうだ。あんなにも白い紙は今までに見たことがなくて、そこに染み込んでゆく黒に目を奪われたことを私は思い出した。
あのサイン帳は、人の国で延々と受け継がれている結婚の儀式に使われるものだ。一冊目の一番最初の頁には、初代国王と王妃の名が記されている。そしてその後結婚した全ての貴族達がそこに名を連ねてきた。そこにサインをすることには重い意味が含まれている。
私はブライクさまを見た。
あの頃、私は自分の結婚に絶望していた。けれど思い悩んでいたのは私だけではなかったのだ。私をむりやり妻に迎え、軟禁するのだ。戦争にも巻き込もうとしていた。ブライクさまが私に対して何も感じていなかったとは思えない。もちろん好意ではない。懺悔、とでも言うべきだろうか。私のことを考えていて、このインクのことを思い出したのだろう。そして記帳という一番重要な場面で使ったのだ。彼なりの、覚悟があったのだろう。
「ありがとう、ございます。」
鼻声になった私を見て、彼はくくと喉の奥で笑った。
「泣かせるつもりはなかったんだが。」
泣いていません、と私が口を動かすと、泣いているよ、と彼が再び笑う。
「あの時は、わざわざ伝える必要はないと思っていたんだが、君に伝えられることは全て伝えたいと、今は思うようになったんだ。」
ブライクさまは私の前まで来ると、跪いて、私のお腹に頬を寄せた。
「それにしても君は、妊娠してから前にも増して涙もろくなったな。」
私は考えた。私のような子供には興味がないと言って、私の純潔を奪わなかった彼の優しさが、今ならわかる。
初めて会った時に拾われた私のリボン。間違えて、黒く染めてしまった。あの時からもう、私はこの黒に囚われていたのかもしれない。