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弱くて愚かな少女  作者: 一子
オリビアとブライク
11/18

近づいて離れる

 

 彼は暫くの間、その光景を見つめていた。


 それから一度目を閉じると、領内の他の地域へと目線を移し、地図になにやら書き込み始めた。次に、近くにあった何枚かの紙にも何かを記しそれらを折り畳むと、胸元から笛を取り出し唇にあてた。


 わたくしには音は聞こえなかったけれど、変化はすぐに起きた。開け放たれている大きな窓の縁めがけて沢山の鳥がやってきたのだ。それらはバサバサと羽を揺らしながら騒がしかったけれど、行儀よく並ぶと大人しく何かを待っているようだった。明らかに人間慣れしている鳥達に、私は思わず感心した。


 彼は鳥たちの足に畳んだ紙をくくりつけ、また空へと放った。領内の要人たちへ伝言を飛ばしたのだろう。


 それからまた静かに、領内の様子を見下ろしていた。


 双眼鏡がなくても、西の国境沿いで粉塵が舞い六色の色が絡み合っているのがはっきりと見える。


 領民達は、混乱に陥っているようだ。安全な場所を求めて領主の屋敷を目指していた人々は、ついさっき消え去った会議室を目にして、目的の場所をなくしてしまったようだ。そして会議室と共に領主が消えたことにも気づいているのだろう、屋敷前の広場は、一切の音を失くし、ただただ絶望に包まれていた。



「ブライク。」


 その時、部屋に凛とした声が響いた。


 私は呼吸を整えるため、大きく息を吸い込み吐いた。ただでさえ彼の魔力が私の体を震わせるのに、更に重い圧力が扉の方からやってきたのだから。


「一体どういうことですか。私に王宮へ行けとは。それに無血開城するなど戯れにも程がある。今すぐ前言を撤回すると鳥を飛ばしなさい。棒でも石でも持って戦えと、檄を飛ばすのです。」


 侯爵夫人の勢いある言葉に対し、彼は静かに外を指差した。


「魔法に精通した母上ならばわかるでしょう。魔族の魔法師達の数と、質を、見てください。それに比べて人族には、戦える者がほぼいない。」


 彼の言葉は、圧倒的な勢いで進軍する魔族軍とただ逃げ惑うだけの人族の力の差を、的確に指摘していた。夫人は冷静なその言葉に勢いを削がれて、口を閉じた。母親の反応に頷き、彼は強い口調で続けた。


「誰も無駄死になどさせない。それこそが、父上の意志です。」


 確固たる信念を持った彼は揺るがなかった。けれど、夫人を黙らせることはできなかった。


「国のために死ぬことが無駄死にとは、なんと、愛国心のない言葉でしょう。陛下のための、我らの命です。」


 夫人は生まれながらの王族であり、気位が高く、人々が国のために命を落とすことに、なんの疑問ももってはいない。王侯貴族が、無知で野蛮な人々を統治し、国を繫栄に導く対価として、国民は税やその命すらを、王のために差しだす。それが、『国』というものなのだ。


「挙げ句、父親を、殺されたというのに、抵抗も、せずに屈服するなど、なんと、なんと薄情な。」


 夫人の冷静さが少しずつ崩れはじめた。凛とした表情に暗さが混じり、濁った瞳は何をうつしているのかわからない。


「そう。そういうことなのね。」


 少し考えてから、はっと何かに気づいたように一人納得した夫人は、突然甲高い声で笑い始め彼を見据えた。


「裏切り者は、お前だったのね、ブライク。」


 場違いの、夫人の溢れんばかりの笑顔から吐き出されたのは、毒だ。実の息子に、何を言おうとしているのか。それでも私はただ息をのんで、見守るしかない。


「魔族と組んで、この領地を渡すつもりなのでしょう。あの黒い爆発もお前ね。父親を殺してまで、何を得るつもりなの。」


 夫人の薄暗く淀んだ瞳は楽しそうに彼の姿をうつした一方で、瞳にうつった彼の姿は、ゆらゆらと揺れていた。言葉の毒に、揺れていた。


「母上、私は。」


 紫色に変色した、震える彼の唇からこぼれた呻き声のような言葉を、夫人は聞く耳を持たないと、遮った。


「黙りなさい。」


 弱々しく母へと伸ばされた手は、無惨にも払われ、触れた母子の手が、パシッと音を立てた。


「触らないで。汚らわしい。」


 彼は払われた手を見つめてから、そっと撫でた。まるで母との接触を慈しむように、そっと。


「良かった。裏切り者はあの人ではないのね。」


 今度は少女のように、夫人はうふふと笑った。冷静さの欠片もない、子供の様に無邪気な声で。


「私は王宮へは行かない。逃げるなど、王族の恥です。」


 ふらふら揺れながら、踊るように部屋を出ようとする夫人を、慌てて彼が引き止める。


「母上、父上は貴女に生きて欲しいと。」


 彼の腕をするりとかわし、夫人は彼の顔を覗きこんだ。


「ねえ、ブライク。生きる、とは王宮で泣いて暮らすことなのかしら。愛する人と一緒なら、死んでもいいじゃない。」


 その時、はじめて彼の表情が人間らしく歪んで、夫人の両肩を掴まえると問いただした。


「母上。父上を、愛しているのですか。」


 夫人は眉間に皺を寄せて呆れたように肯定する。


「何を今更。当たり前です。」


 その答えを、彼は予想もしていなかったようだ。両親が愛し合っていたという事実が、彼の表情を崩すほど彼に絶望を与えたようだった。


「なぜ父上にそれを伝えなかったのですか。父上は、貴女から愛されるに足る男にはなれなかったと、貴女の安らぎにはなれなかったと、ずっと悔やんで苦しんでいたのに。」


 夫人は、呻くように低い声で自身を責める彼を見上げて、少しの間考えて、最悪の言葉を選んだ。


「黙りなさい。お前になど、何が、わかるというの。」


 突き放すように放たれた夫人の最後の言葉は、部屋の中を漂い、なかなか消えてはくれなかった。



 去っていく夫人の後ろ姿を、彼は見つめていた。そこには悲しみも怒りも何もなかった。壊れた人形がただそこにあるように、彼もただそこにあった。


 やがて彼は何事もなかったかのように、地図を確認し始めた。


 けれど、大げさに溜め息をつくと、こちらを向いた。そして嫌悪感を隠しもせず、私を、睨みつけた。


「貴女は、こんな生きるか死ぬかという時に、何もせずただ泣いているのか。」


 彼が指し示す方角では、確かに争いが起きていた。爆音と悲鳴が絶え間なく続いていた。けれど私の耳には、それらはまるで遠くで起きている出来事のように聞こえていた。


 私は今、はじめて本気で彼を見つめている。涙で視界はぼやけているけれど、彼を見つめたいと思っている。


「泣いて、何が悪いのです。」


 出た声は小さくかすれていたけれど、私の意思をはっきりと伝えてくれた。


 けれど、彼はそんな私を苛立たしげに見下ろした。


「私はそんなに哀れか。かわいそうか。同情など必要ない。」


 彼のにじみ出るような気迫に、私は一瞬怖じ気づいた。彼が築いてきた高い壁と、高い自尊心が、私の涙を否定しようとする。俺に近づくなと、私を、威嚇する。


 けれど、この溢れる涙は、止まらないのだ。勝手に出てくるのだから、私にだって、どうにもできない。どうにもできない。どうにもできないのよ。私は、勇気を振り絞って言葉を探した。彼と目を合わせて、続けた。止まれない。今、止まるわけには、いかない。


「違います。私は、ただ悲しい、だけ、なのです。」


 呆れたように私を見下ろして、彼は、呟いた。


「自分のことでもないのにか。」


 うるさい。


 うるさい。うるさい。うるさい。


「うるさーーーーい。自分のこととか、他人のこととか、そんなことは、どうでもいい。同情はやだ。哀れむな。とかなんなの。同情したり、かわいそうだと思うことの、何がいけないのですか。貴方が悲しいから、私も悲しい。私は泣きます。こんな時でも、悲しければ泣きます。」


 父親が死に、母親から詰られ、またその母親も死地に向かっている。彼が家族を大切に思っていることは明らかなのだ。悲しくないはずがない。


 彼は、早口にまくしたてた私に驚き、目を見開いた。崩れた彼の表情を見て、私は清々した。人形の顔などやめればいい、その方が、断然、魅力的なのだから。


「私は、自分のことですら涙も出ないのに。なぜ貴女が。」


 彼の疑問は当然かもしれない。なぜ、どうして、人は理由を知りたがる。けれどそんなものはないのだ。生きていて、まっとうな理由がある事などほんの一握りなのだから。


「わかりません。理由なんかないのです。涙が出ることに、理由などそもそも必要ないでしょう。でも貴方が泣けないのなら、それでいい。その代わり私が二人分、泣きますから。」


 彼は私を見てため息をついて、零した。


「貴女の言っていることはめちゃくちゃだ。私が悲しいから貴女が泣くなんて。意味がわからない。そんなのなんの理由にも、慰めにもなっていない。」


 けれど、その言葉にもう刺はなかった。


「でもまあ、なんというか。気を張って、背伸びしているのがバカバカしくなってきた。」


 彼はぐしゃりと、整えられた髪の毛を手で崩し、床に座り込んだ。


「父上が言っていたのはこういうことか。貴女に肩でも揉んでもらえと、前に言われたよ。その時は意味が分からなかったけど。」


 こちらをちらりと見てくくと笑った彼に、私もなんだか楽しくなってきてふふとこぼした。


 私達は暫くの間、不思議な時間を共有した。この戦いのことも、家族のことも、自分達の関係のことも全て忘れて、笑った。身体が軽くなり、とても居心地がいい。彼とこんなにも優しい時間を共有できるなんて思ってもいなかった。



 二人の笑い声が一段落した頃、彼は壁を背に天井を見つめながらポツポツと語り始めた。


「母は、妹が光属性だとわかってから俺への関心をなくしたんだ。母に触れるのも、もう何年、いや何十年ぶりのことだったか。」


 彼は払われた自分の手を眺めた。それから自分の表情を隠すように、両手で顔を覆った。


「そんな母の気が引きたくて、色々やった。けれど何をやっても、褒めてくれるのも怒ってくれるのも、いつも父一人だった。」


 溜め息のような言葉が彼の唇から溢れ出す。今まで誰にも言えなかった、けれどずっと言いたかった言葉。


「だから妹がいなくなった時、俺は嬉しかったんだ。ずっと自分のために、妹が消えることを望んでいたから、誰かが俺の願いを叶えてくれたんだと思った。」


 私は静かに、彼の懺悔に耳を傾ける。


「でも妹を失った母は壊れた。俺では妹の代わりになど、そもそもなれなかった。それどころか母は、俺のことを忘れた。罰があたったんだ。罪のない妹を呪い続けた罰だ。だから俺は償わなくてはいけない。でもまた今回も母を救うことができそうにない。」


 なんて馬鹿な男だろうか、この人は。


「そんなことで、罰などあたりません。」


 私の声は、彼に届くだろうか。彼の心を溶かす方法を、私は持っているだろうか。


「自分の幸せを願うことは、罪ですか。」


 彼はゆっくりとこちらを向いて、小さく首を左右に振った。


「貴方はただ、自分の幸せを願っただけでしょう。妹の不幸を願ったわけではありません。それに思っただけです。確かに褒められたことではありませんが、そんなことで誰も貴方を責めたりしない。罰したりなどしません。」


 唇を少しあげて、彼はうっすらと笑んだ。


 けれど、それは、諦めの笑みだと感じた。私の言葉でなど、彼の心は動いていないのだ。私は何を言えばいい。何をすればいい。


「貴方は悪くない。」


 彼の表情は変わらない。きっとわかっているのだ。そんなことは私に言われなくても。本当は自分が悪いわけじゃない、けれど。


「自分を責めないで。」


 では、一体誰を責めればいいのか。まして母親を責めることなど、彼にはできなかったのだろう。だから自分が悪いのだと、家族のために生きなくてはいけないのだと、自分を縛って生きてきたのだろう。


「貴方は自分の思うままに、生きていいはずです。」


 そんなことは、一度もなかったと侯爵から聞いた。ずっと仮面を被り、家族のために生きてきたと。


「家族のために生きるな、とは言いません。でも自分をもっと大事にして、くだ、さい。ううう。」


 私が言えることは、こんなにも陳腐でありふれた、私ではない誰かが考えた言葉ばかり。こんなもので、何かが伝わるわけがない。


 もう、何を言えばいいのかわからない。


 そんな私を見て、彼は小さく笑った。


「君は本当に、泥臭いな。貴族のくせに、慰めの言葉もスラスラと言えないなんて。思ってもいないことでも、さも当然だとばかりにまくし立てるのが貴族だろう。」


 私は、返す言葉がなくて黙り込んだ。


「だけど一生懸命なのは伝わったよ。俺も君みたいに取り乱して、泣きわめいていたら、何かが変わっただろうか。」


 彼は私の頭の上に手を置いて、ぽんぽんと子供にするように、私を宥めた。


「髪もドレスも汚れてよれよれ。涙と鼻水で顔もぐちゃぐちゃ、目も腫れてる。」


 突然はじまった私の描写に、私は驚き、恥ずかしくて真っ赤になった。身形のことなど全く気にしていなかった。慌てて汚れた箇所を隠そうとしたけれど、彼の指摘通り、どこもかしこも汚れていてみすぼらしく、隠すことなどどできなかった。


「でもそれでいい。君らしくて、かわいいよ。」


 恥ずかしさに俯いていた私を立たせながら、彼はそっと囁いた。私は突然の褒め言葉に、口をパクパクさせながらあえいだ。


「君は逃げろ。」


 彼は私を引きずり何もない壁の前に立たせると、カーテンのタッセルの一つをぐっと引っ張った。音もなく、私の前に、道が現れた。


「真っ直ぐ進んで、二股についたら右へ。東側の隣の領地に出れる。」


 そう言って彼は予め用意していた松明に火をつけた。このために火種を暖炉に灯していたのだろう。


 私は彼の勢いに押され、松明を受け取り、その暗闇の中へと足を一歩踏み出した。


 けれど、彼は、来ない。


「貴方は。」


 振り返った私に、彼は優しく微笑んだ。


「俺は最後までここにいる。見届けたいんだ。この領地の行く末を。」


 無情にも、私の後ろで扉が閉まっていく。


 私の手は届かない。




 私の声は、彼の心に、届かない。


 

 


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