breathe
breathe:息をする、呼吸する、生きている
『禽麗のノルディカ』、そして作者である黒雛 桜様に捧ぐ。
――どうして、こうなってしまったんだろう。
――どうして、こうやって生きているんだろう。
光が完全に届かない闇。その中で、フェイメル・モルガーナは独り考えていた。しかし、彼女の肉体は北国のどこでもない場所に『隔離』され、身体が動かなくなっていた。その闇も、彼女の目が閉ざされていることで作られている。
彼女は今、ド・モルガンの下にかくまわれている。しかし、彼女がこうやって『隔離』されていることは彼女自身は知る由もない。しかし、彼女にはまだ命があることを自覚していた――こうして思考し、感情を持つことができているのだから。
――わたしは……何で……。
彼女は、何故このようなところで『生かされている』のかが不思議でたまらなかった。こうしてのうのうと生きている自身に嫌悪感すら抱いていた。今すぐにでも舌を噛みきって死にたいほど辛いのだが、目を閉じて死んだように眠っている彼女にはそれができない。
闇の魔法を自身にかけた。自身が使うことのできる、最高の殺傷能力を有する魔法だ。そうすれば、簡単に死ぬことができると思っていた。しかし、目の前が黒く光ったかと思うと、このわけのわからない場所で眠っていたのだ。
息はできる。こうして自身について考えることもできる。そのことが、彼女を余計に苛立たせ悲しませた。
このまま闇の中に溶けて消えていくのだろうか、肉体と意識がバラバラになっていくのであろうか――独りで震えそうになる。
――わたしは、許されない存在なのに、なのに……。
フェイメルは、自分の行いのせいで悪魔の傀儡として動いていたことを思い出していた。
幼かった頃の軽はずみな考えのせいで、彼女は悪魔に『服従の呪い』をかけられて支配された。悪魔の思いのままに動き、『彼』の思うがままの北国を作るために動かされた。彼女はその間いつも何らかの悪魔が彼女の周りから、どこからでも、這い寄ってくる感触を味わっていた。
ペンドラゴン提督――実際はヴァルベリトが彼の皮を被っているのだが――に、シキが黒竜王であることを告げたのも彼女であった。彼女はそのことを激しく後悔したが、正しく報告しなければ自身の父に死の危機が及ぶと考えると、伝えざるを得なかった。
助けてほしかった。誰でもいいから、救いの手を差し伸べてほしかった。自分で解決できない事柄なので、なおさら彼女はそう思っていた。
そして、ついにその時はきた。
黒竜王の覚醒――彼女が成し遂げてしまった。黒竜王によってセクターは焼かれ、多くの死者が出た。シキがどうなっているのかは彼女には分からない。自身の大切な友にまで被害が及んでいることも、勿論知らなかった。
それでも、彼女は大きな罪悪感を抱えていた。自身に闇の魔法を放ち、自ら命を絶とうとしたのがその証拠である。
それでも、もし仮に、万が一生きてここから帰ってこれたとしても、皆は自身のことを恨んでいるし、罪は消えない――彼女は恐怖に支配されていた。そのことを考えるだけで、壊れてしまいそうで、息ができなくなりそうだと錯覚してしまう。
――ああ、どうすればいいの。わたしは、わたしは!
* * *
彼女の中に渦巻いている消極的な感情。それらはあるものを邪魔していた。
――フェイ……ルちゃ……!
必死に叫ぶ男の声。
――……きて、……イメル。
切なげな女の声。
――戻って……フ……ル……!
必死になっているような口調。これも男の声である。
幾秒か時が経つと、フェイメルは考えるのを止め、漸く何かが自身がいる空間の中で響いているのを確認した。何事だろうかと、無意識に耳をすます。
しかし、何故かよく聞こえない。肉体を動かすことができないので、手を振ってこれらに合図することもできないし、声を出してここに自分がいることを伝えることもできない。目を開けて周りを確認することもできない。文字通りの手詰まりの状態であった。今の彼女にとってそれらは得体のしれないものであるが、得体がしれないからと言って拒絶するのではなく必死に何者かを確認しようとする。
それでも、彼女はその得体のしれない音――彼女はこれが声だと解っていない――から『何か』を感じ取った。それは今まで抱いていた暗くて冷たい感触とは対照的な、明るくて優しい、今までには感じたことのない奇妙なものであった。
それを感じた途端、彼女の心は震え出した。生きられるのではないか、自身の肺が恐怖や絶望で押し潰される前に、息ができるのではないか――こんな大袈裟なことを考え始めることができるようになった。
――何故? 何故こんな……。
すると、もう一つ、得体のしれない音が響き渡った。
――フェイメル! 戻ろう……! 一緒に帰ろう、フェイメル!
――フェイメル!
その声とともに、フェイメルは頭から引っ張られるような感触を覚えた。
視界が、闇から光へと変わった。
* * *
目の前が、少しだけ明るい。あのわけのわからない空間から出られたのだろうか――フェイメルは寝ぼけたような頭の中で考えた。
すると、誰かが自身を抱いて持ち上げるような感触を彼女は味わった。聞き覚えのある声が耳元でやや喧しく聞こえてもくる。ふわりと軽やかに上半身を持ち上げられ、彼女の心臓は少しだけ跳ねる。
少し間を置き、フェイメルの目が開かれた。まだ虚ろではあるが、しっかりと外の世界を見ることができる。
するとその藍色の瞳は、信じられないものを視界に収めていた。
泣きそうな顔になっているウルトの姿が、彼女の眼前にあった。
それだけでも彼女にとっては信じられない出来事であるが、見渡すとアリア、ユーリ、シキ、モルガンが揃い踏みしていた。
その中でも、シキがこの場にいることが彼女にとって一番の驚きの要素であった。シキ以外の人物もそうだが、何故自分のためにここまで集まっているのか、そして何故シキが自身のことを心底心配そうな目で見つめているのか、それが分からなかった。
「……わ、わたし……ああ、どうして、みんながここに……!」
しかし、彼女はその答えを見つけるよりも先に、声が震えて瞳から涙を流した。それから少し間があって、皆が大泣きする声が聞こえてくる。
――わたしは、生きているんだ。生きてここで息をしているんだ。皆とまた会えたんだ!
彼女は顔を覆って泣くことしかできない。しかし、それで十分だった。
――シキ君に謝らなければ……、今までのことを。それで、贖罪になるのなら……!
彼女は必死にしゃくり上げた。まるで、必死に息をしようと泣き声を上げる生まれたての赤子のように。
黒雛 桜様、この度はこの作品の執筆の許可をくださり、本当にありがとうございました。