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第一容疑者候補の不在

 屋敷の前に到着すると、メイド服や警備服を着た数十人が慌ただしく門の外へと出ようとしていた。

 やはりカメラで見ていたのだろう。

 彼ら彼女らは迷うことなく、ぼくらが左折した道へと足を運んで行く。

 うち何人かはぼくらを案内した警備員が逃げ去って行った道へ。

 この仰々しさでは関所も閉鎖されていることだろう。

 ぼくは助手席に座った男の怯えた顔を思い起こし、ただ自分にはどうにもできないと頭を振るって、それを考えから飛ばした。

 与名の身を案じる。

 情報をリークした人物を話すまでは身の安全を保障されるだろう。

 ぼくに身体を貸してくれている彼女もいる。

 護衛役としては信頼できた。

 彼女自身については―――あまり好きにはなれない。

 与名さんとの同性同士の繋がりに嫉妬していることもある。

 けれど。

 与名さんの良い様におもねるところが嫌だった。

 ただの同族嫌悪かもしれない。

 鏡に映る自分の前髪がいつまでも決まらないもどかしさに似ている。

 とにかく彼女のことを、その程度には好きになれなかった。


 ぼくは警備の減った屋敷の内部へと入る為に、扉をすり抜けた。

 入り口にはお屋敷の定番であるエントランスホールがある。

 しかし、よく見かける一対となる階段が両脇にあるわけでは無かった。

 左手に一つの扉。

 正面にも一つの扉。

 右手には一つの扉と上に続く階段がある。

 左手へと進むと、ダイニングとリビングルームがあり、来客用と言った様子だ。

 さらに先へ進むと家族が過ごすスペースであろうファミリールームとブレックファーストルーム。その先にキッチンがあった。

 突き当ったところには二階へと続く階段と、家政の部屋だろう質素な個室が幾つか用意されているようだった。

 ホールに戻り正面へと進むと、またもや左手と正面と右手に扉が一つずつ左手に行けば、先ほど見た来客用のリビングルーム。

 鹿や狼などの剥製が幾つか並んでいるのは、周囲が山であり、狩猟するには最適だからだろう。

 食べる分には良いけれど、狩りが楽しいという感覚はよく分からない。

 正面を進めば屋敷と同面積はあろうかという広い庭へ。

 右手には書庫があった。

 中に入ると南側にもう一つ扉があり、そちらから出ると右手にエントランスホールが見える。

 正面にはバスルームがあり、左手には寝室―――だろうか?

 リビングとダイニング、ファミリールームを合わせて尚広い空間の中で、ベッドが一つ置かれていた。

 主寝室というものだろうか、しかし、ここには総帥も、次期総帥である透一郎氏も居ない様子。

 それどころか一階には誰も居なかった。

 ホールから左手の廊下を進んだ時と同様に、その寝室の片隅には二階へと繋がる階段がある。

 上がって見ると、一階とは違いシンプルな構造をしていた。

 どれも同じ内装の個室が八つあり、四つずつ、鏡合わせに並んでいる。

 その内の一室に総帥である三ツ橋宗二郎氏が居た。

 ベッドは電動で角度が変わるものなのか、背もたれはほぼ垂直近くで、宗二郎氏は上半身を起こす形で座っている。

 寝台の横には心電図などの機器が置かれていて、いくつかのコードが宗二郎氏の痩せ細った胸の内へと伸びていた。

 ガラス越しに映る月を眺めている為に、入り口からでは彼の表情を窺えない。

 たった一人でまんじりともせず動かないその姿は、なにかとてもうすら寒い気持ちにさせられた。


 かつて。

 自分もそうであったように。

 誰もいない場所に、ただひとり。

 背筋が寒くなる。


 急激に頭が痛んだので、ぼくはその場から逃げるように壁をすり抜けた。

 突き当たりにカンファレンスルームがあるようで、親族会議と言うのはここで行われるのだろう。

 遮音措置がとられているだろう分厚い扉も難なく抜けると、中はやたらにせせこましい。

 全員が席に着けば、すれ違うのも苦労するほどに空きが無い。

 議論をする際、部屋は狭い方が厳しい結論に至りやすいという話を聞いたことがある。

 一族会議。

 三ツ橋の人間と、その議題に関わる人間が論じる重大な場。

 だからこそ、この屋敷にはそぐわない部屋を設けているのかもしれない。

 ぼくは細長い楕円形のテーブルを囲む面々を見回す。

 車中にタブレットで見た人物が、ほぼ揃っているのが見て取れた。

 入り口前の下座に腰かけているのは分家であり女性でもある三葉紅葉女史。

「これだから本家に胡坐を掻いているだけのバカは困ります」

 その左手に座る三ツ橋一士は戸惑ったように言う。

「三葉さん。大叔父の御前ですから、もう少し言葉を選んだ方が……」

 消え入りそうな言葉へ応じたのは女史では無く、彼の向かいに居る橋俵総明氏だった。

「一士君の言う通り。ここは三ツ橋一族会議の場。本家の人間に対して言葉が過ぎましょう」

 慇懃ではあるけれど、無礼にも聞こえかねない大仰な物言いで女史の言葉を戒める。

 橋俵氏の右には威次氏が座っていて、その正面が空席となっていた。

 威次氏は眉間に深い皺を刻んで、隣に座る橋俵氏を見やる。

「この重大な会議に遅れるという愚を犯した東三が悪なのだ。三葉は言い得ている」

 これに対して、威次氏の斜め向かいに座った長男である透一郎氏は「東三も忙しいのだろうて。何せ今回の会議で社を退くことになるのだから。色々と整理も必要になろう。それに遅れると言ってもまだ開始には三分ほどある。落ち着いて待とうじゃあないか」と、そう言って窺い見るように上座へと目を向けた。

 透一郎氏が向けた目線の先には、誰も居なかった。

 しかし、出席はしている。

 テーブルの上には一台のノートパソコン。

 画面に映し出されている映像には、現三ツ橋グループの総帥である宗二郎氏がやせ細った顔を映し出していた。

 目だけは爛々と輝いている様子だけれど、ともすれば瞳孔が開いているようにも思えて、あたかも死んでいるように見受けられた。

 胸に伸びたコード類などは、見えないように調整しているのだろう、肩より下の様子は見えない。

 まんじりとも動かない様子は、先ほどと何ら変わりなかった。

 しかしまだ生きている。

 肩の辺りが静かに上下しているのが見えた。

 そうして、ぼくはほっと胸を撫で下ろす。

 与名さんに先行して現着することは多々あるけれど、今回は倒叙ミステリとしての立場をとらなくて済みそうだった。

 犯行を目撃すると、色々と困る。

 被害者を助けようとする理性が働いてしまうのもあるけれど、彼女が推理に悩んでいると、犯人を言い出したくなる。

 無論それは能力を捨ててまで純粋な推理に挑みたい彼女へのひどい裏切り行為であり、そんなことをしてしまった時点で、ぼくは怒られてしまうだろう。

 保護者が子を叱るようではあるけれど、彼女との関係はもっと厳しい。

 捨てられるかもしれない。

 たった一人で立ち尽くし続ける。

 延々と続く退屈な時間。

 人を殺せる退屈は、死んだ人間ゆうれいまでは含まれない(ころせない)。

 想像するだに恐ろしかった。

 あの無為に過ぎる日々を思い出す度に―――与名さんが正義を振るわないことを否定できなくなる。

 彼女には正しくあって欲しいけれど、退屈である怖さを、ぼくは知っている。

 彼女の苦しみが誰よりも分かる。

 それは彼女を想う大勢から抜きん出るアドバンテージとして少しの優越と、大きな自己嫌悪を伴うものだった。

 一つ。

 深く長い息を吐いて、大きく吸う。

 会議室に集まるメンバーが東三氏についての擁護や罵倒を繰り返し、次第にお互いを皮肉った罵り合いに変わって、現在も悪い空気を維持すべく話し合いを続けていた。

 総帥はただ無言を貫いていた。

 ぼくが会社勤めをしたとして、トップにならなければ気苦労が絶えそうに無い。

 いいや。

 トップになったところで、自分たちの子供らが目の前でこうも争う姿を見せつけられるのなら、そちらの方が辛そうだった。

 彫像のように黙したままの総帥から目を逸らす。

 タブレットの左後ろには、パソコンの操作を任されているであろう秘書の猪原カク子が立っていた。

 一族会議の場に立ち会わせていたのなら、それは確かに重要な情報も握れるだろう。

 室内にいるのは以上。

 もしも今に殺人が起こった場合、実行できるのは東三氏ただ一人になる。

 そうなったら、与名さんは落胆することだろう。

 推理もへったくれも無くなる。

 さすがにこのタイミングで実行するほど、東三氏は愚かでは無いはず。

 彼の経営は上手くいかなかったとはいえ、それは極端な日本経済の変化が原因であり、彼の無能によるだけでは無いはずなので、安易な手段を取らないと思う。

 ならば東三氏は一体どこへ?

 全員の会話を聞く限りでは、この会議で彼の運命は決まる。

 東三氏に勝ち目が無いのは、経営の何たるかを知らないぼくでも分かった。

 逃げ出してしまえば、次の異動の際に不利に働くだろう。

 この会議を欠席する理由が無い。

 不在だからといって、後日に会議をずらすほどに軽いものでは無い筈だ。

 しかし、彼はついに来なかった。

 先ほど透一郎氏が言っていた三分が経ち、黙して語らなかった総帥がその重い口を開いた。

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