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探偵としての嗅覚という名の情報網に好感を踏まえて

 警察は事件が起こらなければ動けない。

 軽犯罪から凶悪犯罪に掛けて、全てが全部、未然に防ぐということは出来ない。

 疑わしきは被告人の利益に。

 冤罪を避ける為にはどうしても必要になることだった。

 せいぜいが夜間の見回りを増やすか、迷惑行為を行っている相手へ注意喚起をする程度。

 前者はともかく後者は火に油を注ぐようなものだろう。

 そうして殺人事件へと発展するケースもある。

 つまりここでは何が言いたいかと言うと。

 警察にはそういった情報が事前に集まっているけれども、それらを有効に活用することが出来ないというわけだった。

「今回はどれくらいの確度で起こりそうですか?」

「三割。私の弟子はそう推測したけれどね。個人的には四割は堅いと思う」

「希望的観測ですか」

「純粋な推察だよ」

「その心は」

「私の好きな数字が三だから、ゴマをすって寄せたんだろう」

 そうして、ぼくが積み込んだタブレットの休止状態を解除した彼女は、弟子から送られてきているのであろうデータを操作し始めた。


 彼女には三百三十三人の弟子が居る。


 誰もが優秀であるけれど、彼女に対しての態度の取り方は様々だ。

 恐れに敬ったり、共に感じ入ったり、嫉妬に塗れたり。

 敵として応じたり。

 今回、警察などから仕入れたあらゆる情報を精査し、事務所へと送って来た彼女の弟子は、彼女を崇敬しているか、共感しているタイプだろう。

 自身の生活費を切り詰めても、彼女に対して活動資金を振り込んだりする者もいる。

 師弟関係では無く、信仰。

 己の人生をすら捧げ切る狂信者。

 だからこうして事務所に引きこもっている彼女が、これから起こるかどうかも怪しい事件を追い求めるなんて真似が出来るわけだった。

 与名さんがその気になれば三百三十三人どころか、日本国民全員だって従えてみせるだろう。

 ぼくはそれをしないことを不思議に思って「なんで人数を決めてるんですか」と尋ねたことがある。

 弟子にさえしてしまえば、自身と敵対して謎を作るように指示を出すことも出来るはず。

 ぼくとしてはそんな殺人を教唆するようなことをして欲しくは無いので、彼女がそういったことを考えないように立ち回る必要もあった。

 しかし、与名さんが言う理由は凡人には理解し得ない。

 答は単純明快でありながら複雑怪奇。

「それが最も美しい数字だからだよ」

 なんて当然の如くに言い切った。

 イギリスには『ブレイブマン』と呼ばれる天才がいるけれど、彼もそんなようなことを言っている。

 共感能力を持っている人によっては、その数字は彩り鮮やかで、手触りの繊細な、心打ち震える数字なのだと言う。

 凡人なぼくとしては悪魔の数字の半分ということくらいしか、思い浮かばなかった。

 天才の考えることは分からない。

 彼女の考えることは分かりたい。

「残り六割で事件が起こらなかった場合は?」

「温泉巡りだね。最近は肩が凝っていけない」

 やっぱり読めない。

 前は腰が痛いと言いながらも事件後には遊園地ではしゃいでいた。

 肩を揉み解してから、後部座席でシートベルトを外し、横たわろうとする彼女に「その姿勢を取るのなら、今すぐ運転を止めますよ」と叱咤する。

 これから高速に乗ろうと言うのに、何を考えているのか。

「君の運転を信頼しているよ」

 緩みそうになる唇を引き結ぶ。

 それは自儘を通そうとする彼女の言い訳だと分かり切っていた。

 彼女に褒められるならば、請われたようにしたくはなるけれど、与名さんの安否こそ第一。

「では安全運転の為に、国道を行きましょう。到着した頃にはすべてが終わってるかもしれませんが、与名さんの命には代えられません」

 実際にぼくが法定よりも下へ速度を落とし始めたので、彼女は嫌そうにしながらもシートベルトを付け直す。

「君は私の保護者か何かか」

「そう思われるのなら、子供のように振る舞うのをして下さい」

 ぼくを保護者に例えた癖に、怒った様子を表すのに、頬を膨らませる彼女はやはり子供っぽいと思う。

 そんな彼女を可愛いと思うぼく。

 与名さんの弟子たちの中で言うのならば、一体どれにあたるだろう。

 崇敬か共感か嫉妬か敵対か。

 恋慕か。

 そのどれもが当てはまらない気がする。

 恋と言うには、ぼくが抱いている想いは重過ぎるように感じた。

 そもそも彼女にとってぼくは、弟子と言うよりは使いっ走り程度にしか思われていないだろう。

 胸の辺りがしくしくする。

「さてさて君は途中から居なくなっていたようだから、今回の『起こりうるかもしれない』事件をもう一度おさらいしておこうか」

 そう言ってタブレットを右へフリックした彼女は、彼女の弟子からの情報を表示し、読み上げてみせる。

「今回の舞台になるであろう場所は、三ツ橋グループの総帥『三ツ橋宗二郎みつばしそうじろう』が住まう山奥深きを越えた、ど田舎に佇む家々の数々」

「待って下さい」

 ところどころにおかしい部分が聞き取れた。

「山奥深きを越えた? 家々の数々?」

 普通こういった場合、山奥深きに佇む屋敷あるいは古城、というのが定番だと思うのだけれど。

 今回は日本国内のことなので、まあ、古城は省く。

 しかし、家々というのは一体―――?

 次の彼女の言葉で、定番、という言葉がいかに凡人の想像の範疇だったかを思い知らされることになる。

「三ツ橋家は町一つ分はあろう敷地を私有地として保有していてね。とある盆地のすべてが彼らの庭なんだよ。周りは全て自身の所有する山々で囲まれ、その中心に自らの直系や分家などを住まわせ、身の回りを世話する者も同じように家や寮を用意されている。また、従業員でも希望者がいて、許可さえ下りれば住まわせて貰うことが出来るそうだよ。彼らが生活するに必要な商業施設、娯楽施設、農場施設などなど、私有地の中で衣食住程度は済ませられるよう作られているみたいだね。私有地だから警察の介入も難しそうだ。職務執行法の第六条はなかなかファジーだからね。警察上層部に知り合いの一人でもいたなら、中に入ることもままならない」

 聞いてる途中から開いた口が塞がらない。

 世の中に金持ちは数多くいるだろうけれど、ここまでスケールが大きいなんて思いもしなかった。

 町一つを作ってしまうとか。

 金持ちという奴は。

 天才以上に度し難い。

「職場への行き来とかはどうするんです?」

 目的の場所は交通バスすら無い山奥を越えた奥地。

 主要都市まで車を走らせるにして、片道に四時間以上はかかるだろう。

「ユビキタス社会だからね。社用にサーバー化すればデータの一括管理も出来るし、パソコンやWEBカメラなどのウェアラブル化も進んでいるから、こうやってテレビ会議で指示を出してもいるらしいよ」

 彼女はそう言って、WEBカメラに自分を映してから、タブレットにてその姿を再生してみせた。

 数秒経つと、撮影した分が終わったのだろう。

 現状の様子がタブレットにて映し出される。

 つまりはぼくが運転している姿だ。


 厳密に言うと、ぼくの姿そのものはカメラに映らないのだけれど。


 便利なものだ。

 調べもの程度にしかパソコンを扱えないぼくのような人間には、目の回りそうな未来だった。

 早く、考えるだけで操作が出来るようにして欲しい。

「そういうのってお偉いさんは嫌うんじゃないんですか」

 ぼくのような時代錯誤が最新の機器を使うコトを苦手とするように、会社の上に居る人間は往々にして年齢を重ねているだろう。

 パソコンの操作などが上手くないというのもあるけれど、何より、面と向かって話さなければ不義理であるとでも考えていそうに思う。

「三ツ橋家のトップが人間嫌いでね。家族ですらも近づけたがらない。身の回りを世話する秘書以外は直接に会うことも出来ないらしい。まるで何かに備えているようとまで言われるほどの引きこもりっぷりだよ。だからこそ、率先してそういった直接会って話さなくていいWEBを導入しているようだよ」

 彼女は先ほど撮った自身の姿と、ぼくの運転する姿を繋ぎ合わせて、コメント共にフェイマスブックへアップする。

 わざわざ口に出して『これから二人っきりで旅行です』などと余所行きの口調で音声入力し、楽しげだった。

 これが純粋にぼくと二人きりだからという理由なら望外の喜びなんだけれど。

 当然そうではない。

 確かにぼくらは旅行へ行くのだけれど、その目的を考えたら、そんなにははしゃいでもいられない。

「しかし、そういった資産家の情報がよく警察にありましたね」

 古い歴史を持つ旧財閥は警察組織の前身である警察予備隊が創設される前から暗躍していることもあり、その内部情報などは例え警察であったとしても、軽々に手を出すことは難しい。

 公安や内調ならばあるいは。

 けれど、彼女の人脈が広いからといって、長い期間をアメリカに留学していた与名さんにそんな人脈があるとは思えない。

 FBIに知り合いがいるらしいけれど、日本国内の情報には疎い。


 彼女本来の力を使った?


 その自問は思い浮かべるまでも無いことだった。

 彼女はぼくに答えるべく彼女の弟子がどこから情報を提供したのかをタブレットに映し出す。

「総帥専属の秘書を買収したようだよ。名前は『猪原カクいのはらかくこ』。年齢が五十五歳で大学を卒業してからずっと勤めているらしいね。人間嫌いの秘書をやるなんて、よほど真面目で我慢強く、良い人なんだろう」

 いい人だと、与名さんは言う。

 彼女が言うなら、それはつまり事実なんだろう。

 必然、ぼくは聞きたくなる。

「なんでまた、そんな人が情報のリークを?」

 猪原秘書が善人であるならば、決してそんな真似はしないだろう。

 しかし、与名さんの答は善人であればあるほどに犯しやすい内容だった。

「生まれたばかりのお孫さんがちょっとした病気らしくてね。わずかでもお金が欲しいそうだよ。雇用主である総帥にもお金の工面を頼んだらしいけれど―――」そう言って、指先で端末をフリックし「ああ、駄目だったようだね。生涯を掛けて返すと言っても信用されなかった。これは腹も立つだろうね。三十年以上も勤めて来たのもあるだろうけど、誰しもが知っている大企業をいくつも抱えるグループの総帥である癖に、子供一人の手術代を惜しむんだから。怒らないわけがない」

 金持ちは金を使わないから金を持つ。

 そうは言ったものだけれど、ようは使いどころの話だろう。

 秘書の子供一人にお金を使うくらいならば、名前を明かした状態で恵まれない子供たちに愛を与えた方が、企業イメージが良くなる。

 無駄金を使わない。

 賢くはあるけれど、倫理的には賛成しかねる内容だった。

 与名さんにも賛同して欲しくない。

 だから。

「世知辛い世の中ですね」

 そう批判的にぼくは言う。

「それは遠まわしに私を非難しているのかな」

 気付かれてしまった。

 やはり彼女は聡い。

 ぼくは自身の考えを改める。

 弱みを握って情報を引き出しているのは、彼女じゃ無く、彼女の弟子。

 与名さんは悪くない。

 しかしまあ、彼女がその秘書を脅しつけていたところで、ぼくは説得はすれども、彼女の結論に口は出さなかったろう。

 嫌な気持ちになった。

「ぼくだって身内でなければ、救いたいとか思いませんよ」

 手元に贅沢が出来るだけのお金があったなら、どうするか分からないけれど。

 募金という行為は、ぼくをほんの少し人間らしくしてくれる。

 それはひどく利己的なもの。

 善良とはほど遠い考え。

 良識を取り除いた第三者的見方をすれば、その秘書がどうかしているともいえた。

 彼女は働いた対価として、雇用主から給金を受け取っているのだ。

 その時点で猪原秘書と雇用主の間では貸し借りなど済んでいる。

 人情なんて曖昧なものに価値を見い出し、お金を工面して欲しいと頼む方が悪い。

 と。

 理屈ではそうなる。

 あるいはその猪原という秘書は、宗二郎氏に見透かされていたのかもしれない。

 病気の孫を人質に取られれば、三ツ橋グループを売ることも厭わないと。

 信頼に足る人物、足り得ないと。

 事実、彼女は三ツ橋グループの内情を外部に漏らしている―――とは考え過ぎか。

 誰も彼もが、安楽椅子探偵よろしく解いてみせる、後部座席の彼女では無い。

 裏切ることを想定できていたなら、子供の一人くらいは救うだろうし、そういう節が見られるようになった時点で、解雇しただろう。

 あるいは事故に見せかけて殺すか。

 少なく見積もっても口を利けないよう脅すだろう。

 この手の仕事をしていると、思ったほどに世界は悪意に満ち満ちていることが分かる。

 記憶を失い、探偵である与名さんの傍にいるようになってからは、ますますそれが顕著に見えてしまう。

 ぼくは知らず力が入ってしまい、踏み込み過ぎていたアクセルを緩めて、バックミラーに映る彼女の瞳を見やる。

「行き先を聞く限り、容疑者がごまんといそうな感じがします」

 町一つ分の敷地に住まう、三ツ橋グループの関係者たち。

 『五万といそう』と言ったけれど、それ以上の人がいれば、それはもう町ではなく市だ。

 彼女が町と言ったからにはそれ以下の人数には違いない。

 ボトムで三千人。

 トップで四万九千九百九十九人。

 これがまだどこかのコンサート会場とかで、会場にいる人間が一人でも逃げ出せば爆弾が爆発する、といった状況ならばいい。

 除外すべき被害者が、一か所に集まっているのだから。

 しかし、今回は盆地一つを丸々所有。

 そのどこで殺人が起こるのかが分からなければ、そこに辿り着くまでが途方もない。

 まして聞き込みをするために敷地内を移動するだけで、どれだけ労力のかかることか。

 彼女の徒であるぼくが、足を棒にすることは間違いない。

 気が滅入りそうになる。

「容疑者に『なるかもしれない』人たちね。言葉は正しく使う様に」と得意げに言う彼女はぼくの気持ちを察してくれたのか「私の言い方も悪かったけれど、容疑者候補は総帥に近しい親族、あとは親族が信頼を置いている側近っや側付きの人たちなどに注意すれば良いから、実際のところ三十人くらいかな。頭に入れて置くべきなのはね」なんて気軽に言ってくれる。

 彼女の際限ない記憶力ならば問題ないのだろうけれど。

 ぼくのような凡人にとっては、それでも多すぎる。

 一クラス分の名前を覚えるのだけでも一苦労だろうに、その為人ひととなりや人間関係、過去の経歴などを頭に入れるなんて。

 相関図を作るのだって線が重なり過ぎて、滅茶苦茶になりそうだ。

 ぼくのうんざりした表情を見て取ったのだろう、バックミラー越しの彼女は馬鹿にしたように笑む。

「心配しなくても、これから動機を元にして候補を絞っていこうと思ってはいるよ。容疑者としての確度が高い順に並べ替えて―――そうだね。数字的には三人が好ましいけど、共犯の線も考えて、六人には絞り込もうか」

 それなら何とか許容範囲だ。

 ぼくはただでさえ人の顔と名前が一致しない。

 ドラマに出演している俳優は、顔を知っていても名前が出てこないことなど多々ある。

 十人を超えた時点で、覚えていられはずもない。

 そして。

「その物言いだと被害者になるかもしれない人は決まってるんですね」

 それが決まっているのならば、その人をマークしておけばいい。

 盆地すべてを回る必要は無いということ。

「被害者に『なる』人だよ。言葉は正しく使う様に」

 日常生活においてぼくに小言を言われるためか、彼女はこうやって言葉を訂正して、言い包めることに喜びを見い出している。

 バックミラーに映る彼女の笑みは微笑ましい。

「加害者が被害者に変わることは無いと?」

 ぼくは当然に思い浮かぶ疑問を問う。

 因果応報。

『撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ』

 彼女の好きな探偵の台詞であり、たびたび流用する言葉。

 殺すつもりが抵抗に遭い、それこそ用意した凶器で、自身の心臓を貫かれるかもしれない。

 ぼくは無意識的に自身の胸を撫で擦るようにしている。

 なぜ痛むのだろう。

 とんと心当たりがない。

 ぼくの戸惑いを、先ほどの質問に対しての疑問だと思ったのであろう。

「反撃が出来るような人物では無いからね」

 そして、眉根を寄せて説教をする。

「私は言って挙げたよ。容疑者候補は総帥『に』近しい親族だってね。総帥『と』近しい親族と言って彼自身を候補に含め無かったところで、被害者になる人が誰であるかくらいは察して欲しかったかな」とそう言って彼女は操作していたタブレットを、バックミラーに映す。

 そこには

 御年百二十歳を迎える大還暦。

 杖をついて立つ、痩せ細った老人―――三ツ橋宗二郎氏が映し出されていた。

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